横浜1963

少しでも、この世の中をよくしたいからさ

バージル・ケインにて、ソニーは客に扮し、美香子と一緒にいた将校の正体を聞き出そうとした。
しかし、あと一歩のところで店主に感づかれてしまい、店から追い出されてしまう。
店から県警への帰途、横浜の官庁街を歩きながら、ソニーは過去に思いを馳せていた。

 十五になって自立心が芽生えると、きちんと英語を学び、自分から道を切り開かねばならないと思うようになった。ソニーは見た目からして、英語を自在にしゃべれると思われることが多い。それなら英語を人生の突破口にしようと思ったのだ。
 ソニーが初めてフェンスの中に入れてもらったのは、母が死の床に就き、糧を得る術を失った頃である。
 その頃は人手不足で、どこにも求人があった。米軍居留地の求人は、居留地の出入口ゲート近くに設けられていた掲示板で知った。
 そこには日本語で、「キャフェテリアで日本人KP募集 週一日休み 英語が話せること 月給七千円」と、たどたどしい字で書かれていた。
 KPとはKeeperの略で、食堂の皿洗いや掃除を受け持つ係のことである。しかし日本人と指定しているところから、米や野菜といった、日本で仕入れねばならないものを運んでくる業者との折衝も任されるのだろう。
 英語のできる日本人は少ないのに、給料はさほど高くない。この募集を出した基地の人間は、人手不足にあえいでいる日本の実情を知らないのだ。
 しかしソニーは、英語が学べて日々の糧を得られれば、それでいいと思っていた。
 さほど深く考えず、ソニーは応募することにした。
 幸いにして、その頃でも簡単な日常会話ならできた。母の客は外国人だったので、耳で覚えたらしいのだ。
 守衛所で恐る恐る来訪目的を告げると、守衛は担当者に取り次いでくれた。しばらく待っていると、よく太った黒人が現れた。キャフェテリアの主任だという。
 それがスパイダーとの出会いだった。むろんスパイダーというのは仇名で、本名はヘンリー・B・スペクターという。スペクターという苗字の音がスパイダーと似通っており、さらに子供の頃からよく太っていたので、逆にそう付けられたと後で聞いた。むろんその仇名を、本人は大いに気に入っていた。
 ソニーを見たスパイダーは、守衛から日本人と聞いていたからか、一瞬、驚いたような顔をしたものの、すぐに満面に笑みを浮かべた。
 ソニーが「ハーフ」だと言うと、スパイダーは「ここでは、そんなことは関係ない」と言ってくれた。
 握手のために差し伸べられた手は分厚く、手の甲の黒さに比べて手の平が白いことが、とくに印象に残った。ソニーが少年だったためか、その時、スパイダーは強く握り返さなかった。その優しさが、この熊のような黒人のすべてを物語っていた。
 その場で採用となり、通行証をもらったソニーは、翌日から意気揚々とゲートをくぐった。日々の仕事は、さして厳しいものではなく、たまに通訳の仕事はあっても、さしたるものではなかった。たいていは皿洗いや掃除をさせられたが、ソニーは苦にならなかった。
 仕事は朝四時から十二時までと、昼の十二時から夜八時までの二交代制で、どちらになるかは、一週間前にならないと分からない。
 それでも根岸住宅のキャフェテリアの場合、家族向けの食事が主なので、それほど多忙ではない。しかし大型の軍艦などが寄港すると、朝も暗いうちからバスに乗せられ、おつぱまの兵器しようや横須賀の基地に連れていかれた。
 そんな日は重労働となる。
 追浜や横須賀のキャフェテリアは、二百人が一度に食事できるほど広く、昼と夜の二回、大変な混雑となる。兵隊たちはトレーを持って列を成し、「早くしろ」と声を上げる。ソニーも配膳係とされ、兵隊のトレーに食べ物を盛っていく。前の者より少ないと文句を言われるので、これが意外に神経を擦り減らす作業となる。
 兵隊たちが食べ終わると、ソニーたちKPは残ったものを食べていいことになっている。
 そこには肉や卵料理、シチューのように濃いコーンスープや果汁百パーセントのオレンジジュースなどが、大量に残されていた。
 ソニーも若かったので、喉が痛くなるほど甘いケーキやアイスクリームを頰張った。それらは日本国内では味わえないものばかりで、驚きを通り越して感動した。
 もちろん後片付けはたいへんだったが、たらふく残り物が食べられるので、重労働もさして苦にならなかった。
 ソニーは職場の仲間たちからは可愛がられ、英語力も日増しに付いていった。
 居留地のキャフェテリアで働いている軍属の多くは黒人だった。彼らはソニーを差別しない。彼ら自身が差別されてきたからである。むろん基地内の白人たちも黒人を差別しない。彼らは戦場を共にし、助け合わねばならないからだ。
 スパイダーによると、軍関係の施設は、便所もシャワーも水飲み場も白人と共用だが、米国南部の民間施設の多くは、白人用と黒人用が明確に分けられているという。
 一度だけ差別らしきものを見たのは、白人将校が財布を落とし、キャフェテリアのトイレで、札だけが抜き取られた状態で見つかった時である。
 MPとヘルメットに書かれた白人兵が何人もやってくると、従業員は一列に並ばされた。ソニーも一緒である。ところがMPは、その中から黒人だけを残し、ソニーやヒスパニック系の人たちを列外に追いやった。なぜだか分からないが、黒人の中に犯人がいると決め付けているのだ。
 ソニーたちが見つめる前で、黒人たちは下着だけの姿にされ、両手を高く差し上げるよう命じられた。
 続いてMPは、脱いだ服の中にある財布はもちろん、すべてのポケットを探っていく。
 MPがロブと呼ばれている無口な青年の服を調べていると、そのポケットから分不相応の現金が出てきた。MPが一言二言、ロブを尋問すると、それだけで観念したのか、ロブがうなずいた。
 次の瞬間、MPの警棒がロブの腹を突く。続いて背後から膝に蹴りを入れられ、ロブが前のめりに転倒する。そこに足蹴が繰り出された。
 ロブはぐったりして、「Please forgive me(どうか、許して下さい)」と、うわ言のように唱えていた。
 歩けなくなったロブを引きずってクルマに乗せると、MPたちは行ってしまった。それ以後、ロブの姿を見かけた者はいない。
 息をのむようにしてクルマの去った後を見つめていると、スパイダーが分厚い手でソニーの肩を叩いた。
「Hey, Boy.一つだけいいことを教えてやろう」
 スパイダーは人差し指を突き立てると、目の前でそれを横に振った。
「いつもは仲よくしているように見えても、白人とColoredの間には大きな隔たりがある。近づきすぎると、手痛い目に遭う」
 それから半年ほどして、スパイダーは軍属をやめて米国に帰っていった。兄がニューヨークで警察官になったので、自分も帰国して応募してみるのだという。
 その時、スパイダーが「少しでも、この世の中をよくしたいからさ」と言ったのを、ソニーは覚えていた。
 ──世の中をよくしたい、か。
 ソニーの中で初めて、仕事として警察官のイメージが浮かんだ瞬間だった。

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この連載について

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