横浜1963

リールが、凄まじい速度で回り始めた


刑事部長の川上から7月いっぱいで捜査打ち切りを言い渡されたソニー。 残された時間は13日。
間違った捜査はできない。それでもソニーは、「ステーキハウス・ニューヨーク」「ダラス・アリス」「バージル・ケイン」が気になり、捜査を始める。

 ステーキハウス・ニューヨークは、伊勢佐木町にほど近い吉田町三丁目にある。
 終戦後、伊勢佐木町の大半は接収されてGIたちの街になった。福富町にバラックを建てて住んでいた人たちは追い出され、そこには、カマボコ兵舎と呼ばれる米軍の兵舎が立ち並んだ。
 伊勢佐木町の名門百貨店である松屋は米軍病院に、同じく野澤屋はPXに、洋菓子の老舗の不二家は米軍専用食堂に、映画館のオデヲン座はオクタゴン劇場と名を変えられ、米軍専用の映画館とされた。ほかにも眺めのいい一等地や、由緒ある建築物は、ことごとく接収された。
 ソニーが少年の頃には、そうしたものも大半が接収解除されていたが、いまだ多くの建築物や場所に「Off Limits」と書かれた看板が立っている。
 いかに戦争に勝ったからとはいえ、米軍の行き過ぎに腹を立てる大人たちは多い。ソニーが住んでいた「いろは長屋」では、酒を飲んで憤るしよう軍人が何人もいた。
 彼らは空き地に腰を下ろし、一升瓶を真ん中に置いて愚痴をこぼしていたものだ。日本は負けたのだから仕方がないとはいえ、進駐軍は東京裁判と呼ばれる事後法で裁判を行い、日本の指導者たちを断罪するわ、日本を悪と決め付けるわ、自分たちを善として、日本国民に立ち直れないほどの劣等感と罪悪感を植え付けようとしている、と彼らは論じ立てた。
 その中でもリーダー格のろくさんと呼ばれる片足の元軍曹は、少年たちを集めては「米軍の理不尽」を説いた。
「奴らは敬意というものを知らない。本当の戦争とは、終わった後には互いに敬意を持つものだ。しかし米軍は違う。奴らは本気で俺たちを猿に戻すつもりでいる。そんなことが許されてたまるか。俺の生きている間は無理でも、いつか歴史が必ず奴らを断罪する」
 その六さんも、ある冬の朝、空き地の土管に寄り掛かったまま事切れていた。役所から派遣された業者が、六さんが大切にしていた松葉杖を空き地の角に放り投げ、六さんの遺骸を手荒く片付けていく様を、ソニーはじっと見ていた。
 六さんのような傷痍軍人は、どこにでもいた。皆、ぼろぼろの軍服を着て、アコーディオンや三味線を手にし、野毛山や伊勢佐木町で、悲しげな軍歌を歌って小銭をもらっていた。両腕のない者は、義手を地に付け、四つん這いになって情けを請うていた。
 六さんはハーモニカを担当していた。その調子っぱずれの音は、子供の頃の淡い思い出の一つになっている。
 ソニーは西有寺の近くで、米兵が彼らの前を通ったのを一度だけ見かけたことがある。米兵は犬でも見るかのように一瞥をくれると、彼らを無視して、その前を通り過ぎようとした。それを見た六さんは演奏を中止し、米兵をにらみつけた。
 後で六さんは、「奴らと抱き合って泣きたいとまでは言わねえ。だけどな、互いに戦った者同士だ。敬礼ぐらいして通り過ぎていったっていいじゃねえか」と言って悔し泣きした。
 戦った者どうしが擦れ違う街で、ソニーは生まれ育った。とくに伊勢佐木町は、日本とアメリカの文化が混在していた。
 吉田町は伊勢佐木町の隣町というだけでなく、大岡川を隔てて関内方面に面していることもあり、人通りは多い。ステーキハウス・ニューヨークは吉田町の通り沿いではないものの、そこから少し入った場所にあり、十分な客の入りも期待できる。
 ──戦後のどさくさに紛れて、払い下げてもらったのだな。
 米軍関係者には日本人女性と結婚する者も多い。そうした中には、米軍をやめて日本に根付き、飲食業を営む者がいる。彼らは米軍の伝手を使って一等地を借り受けるなど、多くの恩恵に与っていた。
 昭和三十年くらいまでは、米国から牛肉を入手するルートは日本人になく、米国人経営のステーキレストランは、どこも繁盛していた。
 ソニーは、同じ外事課の重藤敏子を連れ出してステーキハウス・ニューヨークに行った。
 この店は割とフォーマルな感じで、米軍関係者以外にも、商用で来たらしい外国人客の姿もあった。少なくとも、常連が居つくような店ではない。
 店内にいるのが外国人ばかりのためか、敏子は少し緊張している。
 ウエイトレスが持ってきたメニューを見ながら、ソニーは嘆息した。
 ──最も安いもので三百円か。
 どれも、家賃の四分の一に達する料金である。
 国鉄の初乗りが十円、かけそば一杯が三十五円、ピース一箱が四十円という時代に、三百円はこたえる。
「随分と高いんですね」
「僕がおごるから、心配は要らないよ」
 オーダーを取りに来たウエイトレスは、日本人のようである。ソニーが英語でオーダーすると、きちんとした英語で受け答えができる。どこで習ったのか尋ねたが、うまく受け流された。それはソニーを怪しんでのことではなく、多忙が理由のようだ。
 最近は英語を話せる、ないしは話せるようになりたいという日本人の若者が増えつつある。そのため駅前などの繁華街には、英会話教室なるものも登場してきている。
 さりげなく店内を見回してみたが、とくに気になるものはない。
 食後、「素晴らしいステーキでした。店長にお会いし、ぜひお話ししたい」とウエイトレスに言ったところ、マネージャーらしき日本人男性を連れてきた。
 その男によると、「オーナーは米国人で、ずっと米国に帰っている。いつ戻ってくるかは分からない」とのことである。
 結局、ステーキハウス・ニューヨークでの収穫はなかった。

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この連載について

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