横浜1963

ここで引くわけにはいかない

浜中食品の取引先で美香子が関わっていそうな企業を探すソニー。その中に外国人が経営していそうなレストラン3軒を見つけた。その時、刑事部長の川本正勝警視正に呼ばれる。

 ソニーが「失礼します」と言って入室すると、四つの顔が同時にこちらを向いた。刑事部長の川本正勝警視正に警備部長と捜査第一課長、そして外事課長の大村俊彦警視である。
 ドアの方を向いて正面に座る川本と相対するように、三人はパイプ椅子に座っている。
 窓が開け放たれ、涼やかな海風が吹き込んできているとはいえ、さほど広くもない部屋に男が五人も集まれば、暑苦しいことこの上ない。ソニーは首筋に汗が伝うのを感じた。
 川本が、吸いかけの「朝日」を指揮棒のように振りながら言った。
「そこに座れ」
 壁に立てかけてあるパイプ椅子を開き、ソニーが腰掛けると、大村が、上半身をねじらせた。
「沢田君から上がっている報告は、すべて伝えてあります」
 ソニーがうなずくと、捜査第一課長が仁丹を口に入れつつ川本に言った。
「ガイシャの身元も判明したところですし、沢田君も一生懸命です。もう少し行けるんじゃないですかね」
 ──そういうことか。
 赤沢美香子の事件は、連続性がなさそうだと判断され、捜査が中止、ないしは留保に追い込まれつつあるのだ。
 川本が机上の灰皿に煙草をもみ消した。その手つきには、苛立ちが籠っている。
「俺もそう思うよ。だがな、これは上からのお達しなんだ」
 川本が人差し指を上に突き立てた。
 おそらく警察上層部か県知事関係者が何かを嗅ぎ付け、探りを入れてきたに違いない。それを川本は「捜査の中止命令」と解釈したのだ。
 そうした空気を読めなければ、官憲の世界での出世は覚束ない。しかし必ずしも、それが命令であるとは限らない。
 ──まだ目はある。
 抵抗するかどうか、ソニーが決めかねている時である。警備部長が、安堵したかのような声音で言った。
「それなら仕方ありませんな」
 汗っかきの警備部長は、白い大きなハンケチを出して、しきりに顔の汗を拭いている。
 重い沈黙が漂う。
 ──ここで引けば、美香子さんは浮かばれない。
 写真の中で笑う美香子に重なるように、母の面影が脳裏をよぎる。
 ──美香子さんを、俺の母のように、この町の吹き溜まりで野垂れ死にさせていいのか。
 疲れ切ったような二人の死に顔が、交互に浮かぶ。
「ひとまず手を引こう」
 川本が腕組みしつつ断を下した。腕組みするのは、「これで結論とする。もう反対意見は聞かない」という意思表示である。
「はい」と三人がうなずく。
 同時にパイプ椅子をずらす音が聞こえた。三人が席を立とうとしているのだ。
 ──ここで引くわけにはいかない。
 ソニーは肚をくくった。
「お待ち下さい」
 慌てて振り向いた三人の目が一様に見開かれた。川本の方針に反対する平の警察官など、この世にいないからだ。
「もう少し、やらせていただけませんか」

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