七
七月十九日、函館に帰ることになった赤沢慎吉が、県警本部まで挨拶にやってきた。
知らせを受けたソニーが正面口まで行ってみると、慎吉が戸惑ったような顔で、頭を下げてきた。その胸には、しっかりと遺骨が抱かれている。
「この度は、ご愁傷様でした」
ソニーも深く腰を折る。
「娘がお世話になりました」
「とんでもありません。これが、われわれの──」
ソニーは口ごもった。「仕事ですから」と言おうとしたのだが、それでは、あまりに味気ない。
「お帰りまでに犯人を見つけられず、残念です」
「仕方ないことです」と言って一礼すると、慎吉は正面口を出てタクシー乗り場の方に向かった。傍らを歩きつつ、ソニーが「駅まで、ご一緒いたします」と申し出ると、慎吉は「いえ、ご心配には及びません。これだけの荷物ですから」と言って断った。確かに、遺骨以外の慎吉の持ち物といえば、小さなボストンバッグ一つである。
「せめて、それだけでも持たせて下さい」
その申し出には、慎吉も抗わなかった。
タクシーのドアに手を掛けた時、突然、慎吉が振り返った。
「刑事さん、どうか犯人を見つけて下さい」
「あっ、はい」
「私の娘を奪った犯人をどうか──、お願いします」
その声音は至って冷静だが、語尾が震えていた。
「全力を尽くします」
ソニーには、そう答えるしかない。しかし犯人が米軍関係者だった場合、その名を慎吉に伝えることはおろか、犯人を収監することさえできないのだ。
「捕まえたら、必ず連絡を下さい」
「もちろんです」
「それでは、これで」
ソニーが鞄を返し、タクシーの扉を閉めると、慎吉は窓を開けて言った。
「どうか、よろしく──」
慎吉の言葉の語尾が、タクシーのエンジン音にかき消された。
──期待に応えられるかどうか分かりませんが、やれるだけのことはやります。
ソニーは、タクシーが走り去った方角に向かって深々と頭を下げた。
自分の席に戻ると、美香子の住んでいたアパート前の公衆電話の発信リストが届いていた。
リストには電話番号と、発信先の名が書かれている。電話番号は打ち出し文字だが、発信先は手書きなので、誰かが電話帳を照合してくれたに違いない。
それを眺めていると、捜査第一課の三浦一也がやってきた。捜査第一課のフロアは別だが、何かの用事で来ていたようだ。
「リストは、どうですか」
「三浦君がやってくれたのか。すまなかったね」
「いやいや、こんな丹念な仕事、僕にはできないですよ。発信リストを重藤さんに渡しただけです」
三浦が外事課の重藤敏子に目配せする。
三浦という男は、どういうわけか同世代の女性なら、誰とでも親しくなる術を心得ているらしい。ソニーには到底、まねできないことである。
「ありがとう」
斜め前に座っている敏子に礼を言うと、敏子は、恥ずかしげに笑みを返してきた。
「一日平均で七十件ほどか。そんなに多くはないな」
「そうですね。横浜駅前の公衆電話の十分の一くらいですかね」
「あそこは、そんなに多いのかい」
「はい。しかも何台も並んでいるのに、その数です」
これまで何の変哲もない場所だった横浜駅周辺の発展は、ここのところ目を見張るばかりである。来年に控えた東京オリンピックが、横浜にも多少の恩恵をもたらすらしく、大型ホテルなども建設されている。選手たちはジェット機で来るはずだが、関係者や観客は船で来る人たちも多いため、横浜も日本の玄関口として、装いを新たにしようというのだ。
ソニーがピースを取り出し、三浦に勧めると、それを黙って受け取った三浦は、意味ありげな笑みを浮かべた。
「僕はこれで十分ですが、重藤さんはね──」
敏子は口に手を当て、くすくす笑っている。
「分かったよ。喜久家のラムチョコでも買ってくる」
敏子がうなずいた。
「それだけで済んでよかったですね」
ピースに火をつけたソニーは、話題を転じた。
「ざっと見たところ、米軍に関係する番号はなさそうだな」
「そうですね。あそこの場所柄からか、法人関係への電話はひじょうに少なく、地方への電話が多いようですね」
長者町の近くには、寿町の職業安定所があるため、港湾労働者向けの簡易宿泊所も多い。彼らの多くは地方から出稼ぎのためにやってきており、なけなしの金をはたいて故郷に電話をする。
「赤沢さんは、実家にもかけていないようだな」
「あんなガラの悪い街の公衆電話は使わないのでしょう」
それは十分に考えられる。なぜかと言えば、少なくとも一月に一度、美香子は実家に電話を入れていたからだ。
──つまり、別のどこかから電話をかけていたのだ。
しかし、それがどこかを知る手掛かりはない。横浜にはビルの中や喫茶店など、至るところに公衆電話がある。思い付いた時に電話をかけることは、さほど難しいことではないからだ。
その時、内線電話が鳴った。
「交通課ですが、外事課の沢田さんを探している方が一階に来ています」
「どなたでしょうか」
「浜中食品のお使いだそうです」
「分かりました。すぐに行きます」
煙草をもみ消すと、ソニーは勢いよく立ち上がった。