横浜1963

あんたにとって、これは義務なのか

ソニーは、美香子の同僚、三島千秋と出会う。
三島から、美香子が英語に堪能でクリスチャンであったことを聞き出したソニーは、そこに事件とのつながりを感じ取った。
そして、美香子と関わりのあった米国企業を探し始める。

 七月十九日、函館に帰ることになった赤沢慎吉が、県警本部まで挨拶にやってきた。
 知らせを受けたソニーが正面口まで行ってみると、慎吉が戸惑ったような顔で、頭を下げてきた。その胸には、しっかりと遺骨が抱かれている。
「この度は、ご愁傷様でした」
 ソニーも深く腰を折る。
「娘がお世話になりました」
「とんでもありません。これが、われわれの──」
 ソニーは口ごもった。「仕事ですから」と言おうとしたのだが、それでは、あまりに味気ない。
「お帰りまでに犯人を見つけられず、残念です」
「仕方ないことです」と言って一礼すると、慎吉は正面口を出てタクシー乗り場の方に向かった。傍らを歩きつつ、ソニーが「駅まで、ご一緒いたします」と申し出ると、慎吉は「いえ、ご心配には及びません。これだけの荷物ですから」と言って断った。確かに、遺骨以外の慎吉の持ち物といえば、小さなボストンバッグ一つである。
「せめて、それだけでも持たせて下さい」
 その申し出には、慎吉も抗わなかった。
 タクシーのドアに手を掛けた時、突然、慎吉が振り返った。
「刑事さん、どうか犯人を見つけて下さい」
「あっ、はい」
「私の娘を奪った犯人をどうか──、お願いします」
 その声音は至って冷静だが、語尾が震えていた。
「全力を尽くします」
 ソニーには、そう答えるしかない。しかし犯人が米軍関係者だった場合、その名を慎吉に伝えることはおろか、犯人を収監することさえできないのだ。
「捕まえたら、必ず連絡を下さい」
「もちろんです」
「それでは、これで」
 ソニーが鞄を返し、タクシーの扉を閉めると、慎吉は窓を開けて言った。
「どうか、よろしく──」
 慎吉の言葉の語尾が、タクシーのエンジン音にかき消された。
 ──期待に応えられるかどうか分かりませんが、やれるだけのことはやります。
 ソニーは、タクシーが走り去った方角に向かって深々と頭を下げた。

 自分の席に戻ると、美香子の住んでいたアパート前の公衆電話の発信リストが届いていた。
 リストには電話番号と、発信先の名が書かれている。電話番号は打ち出し文字だが、発信先は手書きなので、誰かが電話帳を照合してくれたに違いない。
 それを眺めていると、捜査第一課の三浦一也がやってきた。捜査第一課のフロアは別だが、何かの用事で来ていたようだ。
「リストは、どうですか」
「三浦君がやってくれたのか。すまなかったね」
「いやいや、こんな丹念な仕事、僕にはできないですよ。発信リストを重藤さんに渡しただけです」
 三浦が外事課の重藤敏子に目配せする。
 三浦という男は、どういうわけか同世代の女性なら、誰とでも親しくなる術を心得ているらしい。ソニーには到底、まねできないことである。
「ありがとう」
 斜め前に座っている敏子に礼を言うと、敏子は、恥ずかしげに笑みを返してきた。
「一日平均で七十件ほどか。そんなに多くはないな」
「そうですね。横浜駅前の公衆電話の十分の一くらいですかね」
「あそこは、そんなに多いのかい」
「はい。しかも何台も並んでいるのに、その数です」
 これまで何の変哲もない場所だった横浜駅周辺の発展は、ここのところ目を見張るばかりである。来年に控えた東京オリンピックが、横浜にも多少の恩恵をもたらすらしく、大型ホテルなども建設されている。選手たちはジェット機で来るはずだが、関係者や観客は船で来る人たちも多いため、横浜も日本の玄関口として、装いを新たにしようというのだ。
 ソニーがピースを取り出し、三浦に勧めると、それを黙って受け取った三浦は、意味ありげな笑みを浮かべた。
「僕はこれで十分ですが、重藤さんはね──」
 敏子は口に手を当て、くすくす笑っている。
「分かったよ。喜久家のラムチョコでも買ってくる」
 敏子がうなずいた。
「それだけで済んでよかったですね」
 ピースに火をつけたソニーは、話題を転じた。
「ざっと見たところ、米軍に関係する番号はなさそうだな」
「そうですね。あそこの場所柄からか、法人関係への電話はひじょうに少なく、地方への電話が多いようですね」
 長者町の近くには、寿ことぶき町の職業安定所があるため、港湾労働者向けの簡易宿泊所も多い。彼らの多くは地方から出稼ぎのためにやってきており、なけなしの金をはたいて故郷に電話をする。
「赤沢さんは、実家にもかけていないようだな」
「あんなガラの悪い街の公衆電話は使わないのでしょう」
 それは十分に考えられる。なぜかと言えば、少なくともひとつきに一度、美香子は実家に電話を入れていたからだ。
 ──つまり、別のどこかから電話をかけていたのだ。
 しかし、それがどこかを知る手掛かりはない。横浜にはビルの中や喫茶店など、至るところに公衆電話がある。思い付いた時に電話をかけることは、さほど難しいことではないからだ。
 その時、内線電話が鳴った。
「交通課ですが、外事課の沢田さんを探している方が一階に来ています」
「どなたでしょうか」
「浜中食品のお使いだそうです」
「分かりました。すぐに行きます」
 煙草をもみ消すと、ソニーは勢いよく立ち上がった。

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横浜1963

伊東潤

剛腕作家・伊東潤の新境地、本格社会派ミステリー『横浜1963』がcakesにて連載スタート! 戦後とは何だったのか。その答えは1963年の日本と米国が混在する街、横浜にあった。横浜で起こった殺人事件を通して、日米関係の暗部に焦点を当...もっと読む

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