横浜1963

人には皆、断ち切りたくても断ち切れない過去がある

美香子の住んでいた長者町のアパートを訪れたソニー。
その時、初めて、赤沢美香子という一人の人間が、その空間で生きていたのだという実感を抱いた。
しかし、事件の手がかりを見つけることはできず、ソニーは自宅に戻ることにした。

市電を乗り継いで県警に戻ろうと思ったが、今日中にできることは少なく、戻っても仕方がない。そのためソニーは元町の入口まで歩き、市電で千代崎町の自宅に帰ることにした。
 その道すがら、石川町方面が目に入った。
 ──あの町の向こうに俺は住んでいたのだな。
 長者町一丁目の交差点からは見えないが、石川町方面に向かう道の先には、打越橋と呼ばれる、橋脚が半円形のアーチを描く巨大などうきようがある。
 そのアーチ橋をくぐると山元町で、そこを左折すると山手で、右折するとソニーが生まれ育った相沢町である。
 ──左に行けば天国、右に行けば地獄か。
 少年の頃、石川町辺りから打越橋を見上げ、ソニーはよくそう思った。
 山手には商売で成功して財を成した外国人が住み、芝生と自家用車のある優雅な生活を送っている。一方の相沢町では、生きていくだけでぎりぎりの人々が生活苦の中でのたうち回っている。その落差はあまりに大きく、ソニーは物心ついた頃から、生きることの厳しさを目の当たりにしてきた。
 ソニーの母は売春婦だった。千葉の農家の出だと聞いたが、実家がどこにあったのか、両親の名が何というのかなどは聞いていない。というか教えてくれなかった。ただ母は子沢山の農家に生まれ、十五歳の時に仕事のあつせん屋に連れられて横浜に出てきたという。
 ところが有無を言わさず料亭のようなところに連れていかれると、昼も夜もない厳しい仕事を強いられた上、間もなく春をひさぐことを命じられたという。
 住み込みなので断わるわけにもいかず、それを受け入れたソニーの母だったが、幸いにも美人だったので、妾に囲われて一軒家を与えられた。しかし旦那の商売が左前になり、ほどなくして、そこからも追い出された。続いて、野毛の顔役だという中国人の情婦になったが、その中国人が殺されたことで、糧を得る道が断たれた。行くあてもなく、三十の坂を越えていた母は、売春婦に身を持ち崩し、最後には外国人専門の〝らしゃめん〟になった。
 それでも母は、少女時代の楽しかった思い出を語ってくれることがあった。
 幼い頃、母の父、すなわちソニーの祖父が柿の苗木を何本も買ったことがあった。その時、苗木を運んできた業者の老人が、「あんたは可愛いから」と言って、柏の苗木を一本、おまけで付けてくれた。柏の木はすくすく育ち、大きな葉をつけたので、家族で柏餅を作った。あんこの詰まった餅を柏の葉で包み、家族そろって食べたが、その餅が暖かくてとてもおいしかったと、母は楽しそうに語っていた。
 その時、祖父が「お前はよく気がつく、賢い子だ」と言ったのを、母はよく覚えていた。その時、祖父がなぜそう言ったのかは、母にも分からないという。おそらく業者の心を摑み、柏の木をもらったことで、「でかした」と言いたかったのだろうと母は解釈した。
 それまで祖父が子供を褒めるなどということはなく、生まれて初めて褒められた喜びから、母は天にも昇る気持ちだったという。だがその祖父も、それから二年ほど後、畑仕事の最中に倒れて帰らぬ人となる。
 祖父がいなくなり、収入の道が断たれたことで、母は売られることになった。斡旋屋に連れていかれる時、母は「ちょっと待って」と言い、柏の木の葉を一枚、むしってきた。もう戻れぬと覚り、実家の思い出に持ってきたという。母はそれを和紙に包んでたんの奥にしまっており、ソニーにも何度か見せてくれた。それは干からびていたが、凜として崩れることなく、はっきりと葉脈を浮き立たせていた。
 その姿こそ、母のように思えた。

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横浜1963

伊東潤

剛腕作家・伊東潤の新境地、本格社会派ミステリー『横浜1963』がcakesにて連載スタート! 戦後とは何だったのか。その答えは1963年の日本と米国が混在する街、横浜にあった。横浜で起こった殺人事件を通して、日米関係の暗部に焦点を当...もっと読む

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