横浜1963

俺には、やはりこれが合っている

赤沢美香子の勤め先であった「浜中食品株式会社」へ向かうソニー。
優良企業とされていながら、一週間以上も出社していない美香子を探そうとしなかったことに疑問を抱きながら、ソニーは社長の川島泰造に事情を伺う。果たして、犯人の手掛かりは掴めるのか。

 浜中食品は、国鉄桜木町駅から大江橋を渡って少し関内側に入った常盤町六丁目にある。
「浜中食品株式会社」と楷書体で彫られた銅板製の看板には、老舗しにせ企業らしい安定感と自信が感じられる。
 ソニーが受付で来訪を伝えると、いけと名乗る初老の管理部長が現れ、丁重に社長室に案内してくれた。
 カーペットや壁紙にしみ込んだ煙草の臭いが、こうした会社に特有の雰囲気を醸し出す。部屋に入ると、レースのカバーが掛けられた古びたソファーセットが、中央にでんと据えられている。
 しばらく待っていると、「お待たせしました」と言いながら、社長の川島泰造が入ってきた。
 川島は痩せて小柄な上に、銀縁眼鏡を掛けた神経質そうな男である。
 当節、銀縁眼鏡は珍しく、よほどの金持ちか、外国関連の仕事に従事する者でないと、なかなか手に入れられない。そうした点からソニーは、川島がしや者で見栄っ張りだという当たりを付けた。
 電話では、「神奈川県警外事課の沢田」としか伝えなかったので、川島はソニーの顔を見て面食らったらしく、眼鏡の焦点を合わせるように、何度かフレームに手をやった。
「私はハーフですが、国籍は日本です」
 そう言って警察手帳にある身分証を見せると、川島は「いや、そういう意味ではありません。ハンサムなので驚いていたのです」と言って、しきりに恐縮している。
 ここのところ、国全体で混血者に対する差別をなくそうという運動が盛り上がりつつあり、以前に比べれば、随分と仕事もしやすくなった。
「電話でお話しした通り、女性の遺骸が横浜港で上がりました。それで、御社社員の赤沢美香子さんかどうか確かめていただきたいのですが、いかがでしょうか」
「もちろん構いません」
「それで、ご相談なのですが、実は今、われわれの手元にある写真は、遺骸のものしかありません。それでも見ていただけますか」
「私は、軍属としてシンガポールのセレター軍港に勤務していました」
「それは失礼しました。では──」
 ソニーが遺骸の写真を見せると、川島は一瞬、顔を引きつらせたものの、極めて穏やかな口調で言った。
「間違いありません。うちの社員の赤沢です」
「やはり、そうでしたか」
 煙草を吸っても構わないか、ソニーが動作で問うと、川島は机の引き出しから葉巻を取り出して勧めてくれた。
 むろん断る理由はない。
 ソニーがうなずくと、川島は吸い口を専用のはさみで切ってから渡してきた。
「ハバナ産ですか」
「ええ、じようものですよ」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
 煙草の愛好家は、自分の煙草を相手に渡すことで、心の垣根を低くしようとする。それは本来、ソニーがしなければならないことだが、まさか両切りピースを渡すわけにもいかないので、川島の好意は大いに助かる。
 卓上のガスライターで火を付けると、ほうじゆんな香りが広がった。
 ──こいつは高級品だ。
 米兵から葉巻をもらったことが何度もあるので、ソニーにも葉巻の葉の違いくらいは分かる。
「どうですか。お口に合いましたか」
「はい。とても──。あっ、ご多忙の折にすいません」
「構いません。愛煙家は、まず煙草を楽しむことからです」
 川島は、ソニーの渡した写真を見つめながら言った。
「それにしても可哀想に。あれほど畜産と食肉をよく知り、仕事のできる子はいなかったのに」
 ソニーは葉巻を楽しむふりをしつつ、川島の様子をうかがった。しかし川島には、少しも演技のようなものは認められない。
 ──やはり白か。
 それは、半ば予想していたことではある。
 自社の社員を妾か何かにしていれば、必ず足が付く。痴話喧嘩で思わず殺してしまったのなら分かるが、あの遺骸には、変質者特有の痕跡が色濃く残っていた。
 ただし川島が、何らかの形でかかわっている可能性は捨てきれない。
「まずお尋ねしたいのは、赤沢美香子さんを最後に見かけた日時です」
「あの子は土曜の半ドンの日から無断欠勤していたので、最後にわれわれが見かけたのは、七月五日の金曜日だったと思います」
 土曜のことを半ドンと呼ぶのは、戦前から横浜に住んでいた者たちに特有のことである。戦前は土曜の昼に空砲を放つことで、港で働く人たちに終業を知らせていた。
「彼女は終業時間までいたのですね」
「はい。五時になってから帰るのを何人もの社員が見ています」
「その日は残業しなかったのですか」
「そのようです」
「何か変わった様子は」
「それは、私よりも管理部の人たちに聞いて下さい」
 浜中食品の管理部は、総務、経理、人事、業務に分かれており、その部長を小池という初老の男が務めている。美香子は貿易事務の専門家として三年前に入社し、業務課に配属され、複雑な貿易事務を一手に切り回していた。
「分かりました。社長にお尋ねしたいのは、あと一つです」

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