その提案から数日後。
秋恵姉さんがユニット集団「烏合の衆」の一員として大阪でやっていたコントの台本が、博多温泉劇場に届けられた。
今回のために少しだけ書き直された台本を丹念にめくっていると、なぜ自分がこの役に選ばれたのか、なぜ姉さんと栗城さんが僕を推してくれたのか、その理由は意外と簡単に理解できた。
以下、僕の記憶である。
コント「浮気」
配役
妻 浅香秋恵
夫 華丸
間男 大吉
Mー朝の風景
*下手に扉、中央に食卓のセットあり
*明転。秋恵、華丸、食卓に板付き
華丸 ごちそうさま。じゃあ、行ってくるね
秋恵 ……もう行っちゃうの?
華丸 そろそろ行かないと遅刻しちゃうから
秋恵 イヤ! 秋恵、まだあなたと一緒にいたい!
華丸 仕方ないだろ、仕事なんだから
秋恵 ……仕事と私、どっちが大事なの?
華丸 秋恵だよ
秋恵 ホントに?
華丸 秋恵のために、いっぱい稼がなきゃね
秋恵 あなた……いつも、ありがとう
華丸 秋恵……
秋恵 あなた……
華丸 秋恵!
秋恵 あなた!
*ふたり抱き合おうとするが、秋恵がスカす
華丸 ?
秋恵 続きは、今晩ね
華丸 あ、ああ
秋恵 遅刻するわよ。じゃあ、行ってらっしゃい
華丸 行ってきまーす!
秋恵 早く帰ってきてね~
華丸 はーい
*華丸、下手ハケ
秋恵 ……はあ、やっと行ったわ
*大吉、下手から出
大吉 秋恵さん……
秋恵 大ちゃん! 待ってたわ!
大吉 ……ご主人は?
秋恵 もういないから、さ、入って入って
*秋恵、扉に鍵をかける
大吉 ……ホントに大丈夫ですか?
秋恵 夜まで帰って来ないから平気よ
大吉 すいません。僕が人妻である秋恵さんを好きになってしまったばっかりに……
秋恵 いいのよ。私だって人妻でありながら、大ちゃんのこと、好きになってしまったんだから
大吉 でも……
秋恵 大ちゃん?
大吉 はい?
秋恵 この燃えさかる炎は、もう誰にも消せやしないわ。それが恋ってものじゃなくて?
大吉 ……秋恵さん!
秋恵 大ちゃん!
大吉 秋恵さん!
秋恵 大ちゃん!
*ふたりが抱き合うと、下手から華丸が帰ってくる
華丸 いやあ、参った参った
*華丸、扉を開けようとする
華丸 あれ?
秋恵 ??
大吉 ??
華丸 おーい、秋恵~
秋恵 あの人、帰ってきたみたい!
大吉 ……秋恵さん、どうしましょう?
秋恵 と、とりあえずここに隠れて!
*大吉、食卓の下に隠れる
秋恵 は、はーい
*秋恵、扉を開ける
秋恵 あなた! どうしたの?
華丸 いや、定期券を忘れたみたいで
秋恵 定期券?
華丸 テーブルの上にない?
*中に入ってこようとする華丸を秋恵が止める
秋恵 待って、私が探すから
華丸 悪いね
秋恵 あったわ!はい、定期券
華丸 ありがとう
秋恵 じゃあ、いってらっしゃい
華丸 行ってきまーす
秋恵 早く帰ってきてね~
華丸 はーい
*華丸、下手ハケ
*秋恵、扉の鍵を閉める
秋恵 早すぎるわボケ!
大吉 ……秋恵さん
秋恵 大ちゃん! 会いたかった!
大吉 ちょっと、帰ってきたじゃないですか
秋恵 もう大丈夫よ。さあ、続けましょう
大吉 でも……
秋恵 どうしたの?
大吉 ご主人の声を聞いたら、怖くなりました
秋恵 怖い?
大吉 今日のところは帰ります
秋恵 待って!
大吉 ?
秋恵 大ちゃん、それが、本当の恋じゃない?
大吉 本当の、恋?
*秋恵、上手から布団を持ってくる
秋恵 危険な恋だけが、やがて愛に変わるのよ
大吉 ……秋恵さん!
秋恵 大ちゃん!
大吉 秋恵さん!
秋恵 大ちゃん!
*ふたり、抱き合う
大吉 あの、秋恵さん……
秋恵 何?
大吉 ちょっと力が強くないですか?
秋恵 ……どこがやの?
大吉 いや、あの、その
秋恵 なんや? あかんのか?
大吉 いや、その……
*秋恵、大吉を押し倒そうとする
*下手から華丸、出。
華丸 いやあ、参った参った
*華丸、扉を開けようとする
華丸 あれ?
秋恵 ??
大吉 ??
華丸 おーい、秋恵~
秋恵 また帰ってきた!
大吉 ……秋恵さん、どうしましょう?
秋恵 とりあえずここに隠れて!
*秋恵、大吉を布団の上に投げ飛ばす
*大吉、布団の中に隠れる
秋恵 は、はーい
*秋恵、扉をあける
秋恵 ど、どうしたの?
華丸 ん? 息あがってない?
秋恵 そ、そんことないわよ
華丸 あれ? なんで布団が?
*華丸、中に入ってこようとする
秋恵 ゴホッ!ゴホッ!ゴホッ!
華丸 秋恵!?
秋恵 ごめんなさい、あなたを見送った後、急に具合が悪くなって寝てたの
華丸 大丈夫?
秋恵 大丈夫。それよりあなたはどうしたの?
華丸 ああ、ハンカチを忘れちゃって
秋恵 ハンカチ?
華丸 テーブルの上にないかな?
秋恵 ハンカチぐらいで戻って来るなよな
華丸 え?何だって?
秋恵 嬉しい! 戻ってきてくれてありがとう! さあ、ハンカチはどこかしら。秋恵ちゃんが探してあげるから、ここで待っててね。ハンカチさん、ハンカチさん、出ておいで~
華丸 秋恵……
秋恵 なあに?
華丸 体の具合は……
秋恵 ゴホッ!ゴホッ!ハ、ン、カチさ、ん……
華丸 無理しなくていいから
秋恵 あったわ、はい、ハンカチ
華丸 ありがとう。じゃあ、行ってきます
秋恵 いってらっしゃい~
*華丸、下手ハケ
*秋恵、扉に鍵をかける
大吉 秋恵さん……
秋恵 大ちゃん!会いたかった!
大吉 さっき突き飛ばされたような……
秋恵 気のせいよ。さあ、始めましょう
さすがに25年前の記憶なので詳細は違うと思うが、大まかな流れとしてはこんな感じだ。
このようなやり取りがあと4~5回続き、最後は華丸に浮気がバレてチャンチャン。
次第にヒートアップしていく秋恵姉さんの言葉と暴力に、抵抗しても激しく振り回されるのが、間男の役目だった。
博多温泉劇場の常連組から適役を探すとすれば、淡海さんのお弟子さんである関さんだろう。
二枚目俳優のような佇まいだった関さんには芝居の経験もあるのだから、この配役に疑いの余地はない。
しかし、これを福岡芸人から選ぶとすれば、秋恵姉さんと栗城さんの言葉を聞いていた上での後出しジャンケンとはいえ、これは自分でも僕しかいないと思った。
というのも、自衛隊出身の満さんはいわゆるマッチョ体型で、ひらいと華丸も学生時代のスポーツ経験の賜物だろう、かなりガッチリとした体つきだったのだ。
そんな体型の男が姉さんに投げ飛ばされるのは単純に不自然だ。
もちろん、そのアンバランスさが面白いというパターンもあるが、台本を読む限り、このコントは姉さんが間男に無理やり迫るところが重要な見せ場になっていた。
大きな不安を抱えながら、喜怒哀楽の全てをぶつけられる間男。
本当は一刻も早くこの場から立ち去りたいのに、ちょっとでも甘い言葉を聞くと気持ちが揺れてしまう間男。
最悪の結末は見えているのに、それでも自分の意志では動けない間男。
優柔不断で気が弱く、煮え切らない態度でウジウジしながらも、心の中では何かに漠然と期待している間男。
これは、福岡吉本と僕の関係性そのものだった。
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