『トイ・ストーリー』シリーズ(1995 - 2010)で知られるアニメーション・スタジオ、ピクサーが今年発表した新作が『ファインディング・ドリー』である。同スタジオの作品『ファインディング・ニモ』(’03)に登場したキャラクター、ドリーを主役に据えた続編だ。海水魚クマノミの家族、マーリンとニモを描いて大ヒットとなった『ファインディング・ニモ』に登場し、ユーモラスな言動で場をなごませたのがドリーである。ナンヨウハギ(海水魚)のドリーは、記憶を保持できないという特徴を持つ。1分前の会話すら覚えていられないドリーだが、ある日ふと、自分が子どもだった頃の光景をおもいだすことができた。よみがえった記憶を手がかりに、両親と再会すべく、ドリーは共に暮らしていたクマノミのマーリン、ニモと探索の旅へ出かける。
前作『ファインディング・ニモ』で、ドリーはのんきな脇役であった。記憶を保持できないという設定は、脇役としてストーリーをかきまわす立場であればコメディとして成立するが、いざ主人公としてストーリーを展開させる場合にはまた違った印象を与える。記憶困難というハンディキャップは、軽く笑い飛ばせるコメディになりにくい。迷子になったドリーが両親を探そうと試みるも、しだいに記憶が失われ、自分が誰を探しているのか、何を目的としているのかが判然としなくなるといった描写は、小さな子どもなら夢に出てきそうなほど不吉で怖ろしいはずだ。『ファインディング・ドリー』は、明るいトーンとテンポのいい構成ゆえに、主人公の抱える問題がかえって深刻に浮かび上がることが多い。本作には、記憶に困難を抱える主人公の他にも、足が7本しかないタコ、視力の弱いサメ、生まれつき片方のヒレが小さいクマノミといったキャラクターたちが登場する。ハンディキャップをごく自然に描くピクサーの姿勢には共感するが、何も覚えていられない主人公でストーリーは成立するのだろうか。
多くの人にとって、家族とは共にすごした時間や記憶の集積である。では、いっさい記憶が積み重なっていかないドリーにとって家族とは何か。こうした極端な仮定から、アメリカ人にとっての家族像が見えてくる点に本作のユニークさがあるのではないだろうか。具体的な家族の記憶があまりないドリーが追い求めるのは、血がつながっているという事実以外にはほとんど拠りどころのない、概念としての家族である。なぜ顔すら知らない両親を探すのか、という問いは、考える前に行動する主人公特有のエネルギーではねのけられてしまう(記憶が頼りにならない以上、身体を動かすことでしか状況を打破できない)。
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