ファンシー絵みやげとは、80年代に観光地にあふれていた商品のことです。 前回はファンシー絵みやげの基本的な話を書きましたが、今回からはもう少し掘り下げ、ファンシー絵みやげがどういった目的で作られて、実際に売れていったのかを考察したいと思います。
ファンシー絵みやげ以前 〜民芸品からペナントへ〜
2016年現在の10代の若者にとって、ファンシー絵みやげは、すでに“おじいちゃん・おばあちゃんの家で見たことがあるもの”になっているようです。30代の私にとっての木彫りの熊、大きな王将の駒、赤べこ、こけしなどと同じ位置づけです。
左から、宮城・鳴子が有名なこけし、山形・天童の王将駒、岐阜・飛騨のさるぼぼ、福島・会津の赤べこ。
本物は持っていないので、すべてミニチュアです。
もともと旅先のお土産といえば、その土地の特産品や民芸品が主流でしたが、昭和中期あたりからペナントや記念メダルなど、土地と関連のない商品に地名やイラストを入れたものが全国的に売られるようになりました。
記念メダルはコンピュータで日付と、ローマ字で名前を刻印できる自動販売機で売られていました。
「夢工場’87」などは、ファンシー絵みやげ全盛期のイベントですから、1960年代から長きに渡り人気商品だったことがわかります。
記念メダルは、今も稼働している販売機を見つけることがあります。
土産店で売られているペナント。長く人気商品だったこともあり、種類も多く、集めている人も多くいます。
ファンシー絵みやげとは違い、ちゃんと保護されているタイプの観光地土産です。
この流れは加速していき、80年代には、もはやその土地とは何の関係もないイラストの商品も一気に増えてきました。
その時代の主役がファンシー絵みやげだったわけですが、なぜそのような状態に向かっていったでしょうか? そして、その状況はどのように終わりを迎えたのでしょうか? これらの謎に迫っていきたいと思います。
ファンシー絵みやげのターゲット 〜子供のおねだり〜
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