仲田晃司
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第10回】ワイン販売がうまくいったきっかけ
「売るものがない!」という状態からたくさんの生産者を訪問するうち、「自分のワインがないなら、すでにあるワインを販売すればいいんだ!」ということに思い当たった仲田さん。会社を設立して4ヶ月、はじめての仕事が決まります。その際に商売には「信用」がいかに大事かということを思い知らされたといいます。そして仕事には他にも「偶然」がつきもの。「偶然」から生まれた仕事についてのエピソードについても語って頂きました。フランスはブルゴーニュのジュブレ・シャンベルタン村から、ワイナリーを経営する日本人醸造家・仲田晃司さんがお届けします。
こんにちは。
前回、会社を立ち上げるところまでを書きました。
会社を作ってから、「売るものがない」と気づいた私たちが、
その後、どうフランスでやっていくことになったのかを
書いていければと思います。
会社設立後すぐは、販売するものは何もありませんでした。
そこで、ガイドの仕事をしながら、時間があるときはとにかく、ワインの生産者訪問をして、いろいろ勉強をさせてもらい続けました。
初年度の車での走行距離は、150,000kmにもなりました。
生産者訪問をしていると、いろいろな生産者から「うちのワインを日本に売りたいのだけど、誰か紹介してもらえないか」とお願いされるようになりました。
そこで、はっと気がついたのです。
「そうだ! 自分のワインがないなら、すでにあるワインを販売すればいいんだ」と。
目からうろこが落ちた、とはこのことでした。
そこから、フランスの生産者のワインを日本に販売する仕事をはじめました。
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この連載について
仲田晃司
フランスはブルゴーニュのジュブレ・シャンベルタン村でワイナリーを経営する日本人醸造家・仲田晃司さんはじめての連載。仲田さんのワインのラベルには「天・地・人」という文字がきざまれています。2003年5月、在りし日のアンリ・ジャイエ翁より...もっと読む
著者プロフィール
大学生の時アルバイトをしていた上野のフレンチレストランでワインと出会い、将来は自分の手で美味しいワインをつくってみたいとの夢を抱く。1995年、渡仏。フランス各地のワイン生産者のもとで醸造を修行し、1999年、ボーヌの名門ワイン学校CEPPAで学位を取得。モメサン社他、ネゴシアン数社を経て2000年7月7日、メゾン・ルー・デュモンをニュイ・サン・ジョルジュに設立、醸造家としワイン生産に従事。2003年3月1日、メゾンをジュヴレ・シャンベルタンに移転すると同時に同社代表に就任。ルー・デュモンワインのラベルには漢字の「天・地・人」という文字がきざまれている。2003年5月、在りし日のアンリ・ジャイエ翁より「自分自身のアイデンティティをワインに表現せよ」との薫陶を受け、「日本人であるということ」「自然と人間に対する真摯な尊敬の念」の象徴として、「天・地・人」が生まれた。
ブログ:Maison Lou Dumont