自分の本当の限界はどこにあるのか
「ゼッタイに無理だ」「これが自分の限界だ」
生きていれば誰しもが、壁にぶつかり、敗北感を覚えることがあると思います。大きな夢や目標を掲げている人ほど、その「限界」は大きくなります。僕も、100メートルの競技では力が通じないと悟ったとき、ハードルの大会でライバルに圧倒的な差を見せつけられたとき、自分の限界を感じずにはいられませんでした。
限界を感じる。超えられない壁にぶつかる。そんなとき、世間では…
「圧倒的な努力が足りない!」
「やればできる! 強く願えば、夢はかなう」
と、さらにがんばる方向で圧力がかけられます。たしかに努力を積み重ねることで、超えられる壁はあるでしょう。そのことに、僕も反対はしません。
しかし、本当にそれだけなのでしょうか。
僕は、スポーツの世界に関わるなかで、意識すらせずに、すんなりと限界を突破する事例をたくさん見てきました。詳しくは後述しますが、「1マイル4分の壁」といわれた人類の限界は、たった一人の記録更新を皮切りに、次々と破られました。「日本人はメジャーリーグでは通用しない」という野球界の常識も、野茂選手の活躍によって、完全に過去のものとなりました。今では、毎年のように多くの選手が海を渡り、結果を残しています。
果たして「限界の正体」とは一体何なのでしょう。
僕は、引退したあとも、人間の心について学びながら、限界について考え続けてきました。その結果、ひとつの仮説に至りました。それが、
「限界とは、人間のつくり出した思い込みである」
「人は、自分でつくり出した思い込みの檻に、自ら入ってしまっている」
ということです。
僕らは、一心不乱に努力を続けることで、自分の中の限界(思い込み)を日々、強固にしているのではないか。もしかすると、限界とは、超えるものでも、挑むものでもないのではないか。
自分の思い込みや、社会の常識が心のブレーキになっているのであれば、それを外しさえすれば、今この瞬間にも、自己ベストを更新できると思うのです。
僕はそのことを知ってほしくて、本書を書きました。
限界の正体を知ることで、見える世界が変わるはずです。限界について考えると、今まで見えなかった、自分を縛るまわりの空気に気がつきます。人が生きていくときに、「空気」を無視することはできません。人間は、社会的な生き物だからです。だからこそ、限界をつくる空気の正体を知ることは、自分の全力を発揮するうえで、もっとも必要なことのひとつだと僕は思うのです。
誰かができれば自分にもできるという心理
社会の中で生きていると、かならず「限界」というものにぶつかるときがきます。スポーツの世界にも、限界ととらえられていたことがありました。
「1マイル4分の壁」です。
長い間、1マイル(約1609メートル)を4分未満で走ることは、人間には不可能と考えられていました。何十年にもわたって、アスリートたちがその限界の壁にぶつかり、医師は「無謀な挑戦は命を落とす」と警告し、エヴェレスト登頂や南極点到達よりも難攻不落といわれていました。
けれど、1950年代、ロジャー・バニスターというイギリス出身の陸上競技選手が登場し、世界の常識を書き換えます。オックスフォード大学医学部の学生であったバニスターは、トレーニングに科学的手法を持ち込んで、1マイルを3分4秒で走り、見事に4分の壁を破りました。
興味深いのは、そのあとです。
バニスターが1マイル4分を切ってから、1年のうちに、23人もの選手が1マイル 4分の壁を破ったのです。
これまで人類の限界ととらえられていた、1マイル4分とは、決して肉体的な限界ではありませんでした。一度、成功者を見たことで、この壁は破れないという思い込みが解除されたのでしょう。バニスターによって、限界が取り払われたのです。
ここからわかるのは、
・「1マイル4分の壁」は、人の頭と心が決めたメンタルブロックである
・「できない、ダメだ、無理だ」という思い込みによって作り上げられた限界だった
ということです。「4分を切れるわけがない」という認識の限界、あるいは、その時代の常識に、ほとんどの選手がとらわれていたといってもいいかもしれません。実際には記録を破る力があったのに、「4分を切れるわけがない」と決めてかかった ことで、力を出し切ることができなかったのです。
同じようなことは、教育の現場でも起こります。
僕が、小学生を対象にしたスポーツプログラムで、ハードルを跳ぶ授業をするときのことです。
好きな高さのハードルを跳ばせると、最初、子どもたちは低いハードルを選びます。ですが、誰か一人が、高いハードルを跳ぶと、それを見ていた子どもたちは、
「あいつが跳べるのなら、自分にも跳べるかもしれない」
と思うようになり、みながこぞって、高いハードルにチャレンジするようになります。
すると、多くの生徒がいつの間にか中学生が跳ぶ高さをクリアしているのです。
ある限界値が信じられていて、そこでみんなが立ち止まっているときに、誰かがふ っと限界を超えると、それをきっかけに、誰もが超えてしまう。人には「誰かができれば、自分にもできる」と思う心理が働くので、ひとたび記録が破られると、それはもはや限界ではなくなります。
たった一人の成功が野球界の常識を変える
周囲の常識が限界をつくる例をもうひとつ見てみましょう。
元メジャーリーガーの野茂英雄さんです。
野茂さんがメジャーリーグへの挑戦を表明したとき、国内の野球関係者はこう考えていました。
「野茂の実力だと、アメリカでは通用しないだろう」
ですが、それも周囲の思い込みにすぎません。
松井秀喜さんが「野茂さんがいなければ、ほとんどの選手はアメリカに行けなかった」と断言しているように、野茂さんの活躍によって、日本人はメジャーリーグで通 用しないという思い込みが外れ、今では多くの日本人が海を渡っています。日本人の野球選手の能力が、ここ数年で劇的に向上したとは思えません。
野茂さんが、日本人は活躍できないという常識を破ったのを見て、多くのプロ野球選手は「自分もやれるのではないか」と考え、限界が一気に取り払われたのです。
では、どうして野茂さんは活躍できたのでしょうか。
アメリカ行きが正式に決定したとき、野茂さんは「不安はないか?」というインタビューに対し、次のように答えています。
「希望はあっても不安はありません」
おそらく、野茂さんの頭の中に「日本人はメジャーリーグで通用しない」という思 い込みがなかったのだと思います。周囲の常識にしばられなかったことに、野茂さんの成功の一因がある気がします。