先日の第155回直木賞の候補にも挙がった『天下人の茶』は、まさに伊東さんのいう歴史解釈とストーリーテリング、どちらをも高い次元で達成した作品になっている。
これまでに、戦国時代を題材としてたくさん小説を書いてきました。あの時代を書くにあたって外せない人物、それが千利休でした。いつかきっと取り組まなければいけない相手だったので、今回書き上げることができてよかった。
千利休はたしかに日本史上に名を残す大人物だが、幾多の武将たちが派手に活躍する戦国時代にあって外せない人物に名が挙がるとは、すこし意外な感じがする。
戦国時代といえば本能寺の変や川中島の合戦を取り上げないわけにはいかない。それと同じように利休の存在というのはあります。利休はただ茶道を成したというだけではなく、時の政治をも左右する存在だったのです。現世の実質的な表の世界と、人の精神がつくり出す裏の世界、双方に手を伸ばそうとした得体の知れないミステリアスな人物です。作品では、これまでになかった利休像を提示できたと思っていますよ。
この作品は章ごとに、視点人物つまりは語り手が、どんどん入れ替わるという風変わりな構成になっている。さまざまな角度から、少しずつ利休の行動、考えが明らかにされていく様子はスリリングだ。
これだけ捉えどころのない人物を描くには、外部の視点から書いていくことが必要だと感じたので。本人を語り手に据えてしまうと、底が浅くなってしまいがちなんですよね。外部視点だと、光の差さないところが残ったりもして、読者の想像の余地が大きくなります。
そうした工夫の効果もあって、『天下人の茶』で描かれる利休は、単に美を追求した文化人というに留まらない、異様な迫力を持って読む側に迫る。
誰ともかぶらない自分だけの利休像というのが、僕の頭のなかにはありました。それをうまく出せたのだとしたら本望ですね。
伊東さんの現時点での最新刊にあたるのは、『横浜1963』。先述のとおり、こちらは歴史小説ではなく、20世紀の横浜が舞台。米国人と日本人のハーフ刑事が謎の解明に向けて躍動するミステリー作品となっている。
戦国時代や幕末の題材を渉猟してきた伊東さんが、なぜ? 読む側としてはかなり驚きなのだが、ご本人としては違和感はとくにないという。
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