髪が濡れていることから、水中死体と思われるが、遺棄されてから、さほど経たないうちに引き上げられたためか、膨張の兆候は見られない。
首を締められたためか、遺骸は苦悶の表情を示していたが、生前の姿が十分に想像できた。
──年の頃は二十から三十か。
最近は大人びて見える女性も多いので、十代の可能性もある。
「見ての通り、仏は日本人。性別は女性。今日つまり六日早朝、湾口の辺りでダルマ船の船長が見つけ、海上保安庁に通報してきた。それを受けた海上保安庁のタグボートが遺骸を引き上げ、われわれに捜査権ごと託してきたというわけだ」
海上の航行や安全にかかわる事案以外は、海上保安庁ではなく警察の所管になる。
大村が続けた。
「次に、われわれが捜査に当たる理由だ」
キャリア組のエリートは、肩の荷を下ろすように言った。
「それは、菅野さんに説明してもらいます」
「あいよ」
鑑識課長の菅野庄吉警視は、小太りで牛乳瓶の底のような丸眼鏡を掛けており、いつもおどけている。だが仕事となれば、誰もが一目置くほどの凄腕を発揮する。
「遺骸は全裸で発見され、身元を示すものはなし。膣内の分泌物は洗い流されたのか、一切なし。直接の死因は頸部圧迫による窒息死。次にこれを見てくれ」
菅野がシーツをめくると、腹部に五カ所ほどの刺し傷があるのが見て取れた。すでに血は出尽くしており、傷口は青黒く腐食してきている。煙草と線香の匂いで分かりにくいが、うっすらと死臭も漂っている。
「これだけでは、ナイフの形状までは分からないが、刃面の反った大きなものだろう」
その話だけで、米軍の使用するナイフを連想させる。
「死亡推定日時は、七月四日の夜から五日の夜くらいだな」
殺人のあった時間帯の絞り込みは、遺骸の腐食の進み具合から推定するしかない。そのため極めてあいまいな上、間違っていることも多い。とくに海に捨てられた死体は、水温の影響を受けるので、時間を絞り込むのは至難の業である。
──つまり、遺骸はほとんど傷んでいないので、その時間帯が割り出されたということか。
「それで、川本さんが大村君と沢田君を呼んだ理由だが──」
菅野は背後を振り向き、机の上から何かを手に取った。
「実は、仏の爪の間から、こんなものが出てきた」
菅野が、化学実験で使うような試験管を灯りに掲げる。
最初は、何が入っているのか分からなかったソニーだが、焦点が合ってきて、それが髪の毛だと分かった。
「これは黒くはない。な、分かるだろ」
「はい。金髪ですね」
「そう。君のと同じだ。まさか君がホシでは!」
菅野が素っ頓狂な声を上げたので、部屋の隅で話をしていた三人が、一斉にこちらを向いた。
一つ咳払いすると、菅野が続けた。
「単純に考えれば、この女性は抵抗した。殴られた跡もある」
手渡された試験管を灯りにかざすと、髪の毛の端に、かすかに頭皮が付いている。
「つまり、この女性は強姦されているのですね」
「ああ。言い忘れたが、その通りだ。膣に擦過傷もあった。膣はかなり圧迫され、上部が裂けている」
「どういうことです」
「でかいんだよ」
「でかい──」
「外人のはでかい、ということだ」
菅野が「そんなことも分からんのか」と言わんばかりに、首を左右に振った。
「つまり、金髪の外国人による強姦殺人の可能性が高いと言うのですね」
「そうだ。海に遺骸を捨てたことから死体遺棄も加わる」
背後から大村が付け加えた。
「それで、この案件が外事課に回されてきたと」
「そういうことになる」
「この女の身元は──」
大村に代わって菅野が答える。
「分からない。でもパンパンじゃねえな。新しい傷以外に擦過傷がないからだ」
「見るだけで、分かるのですか」
大村は興味津々である。
「俺はこの道一筋二十有余年だぞ。内視鏡で女の膣を見て、プロかアマか見分けるくらい朝飯前だ。尤も、朝飯の前には拝みたくはないもんだがな」
菅野によると、擦れ跡が古いものと新しいものと混在しているのがプロであり、そうでないのがアマ、つまり堅気ということになる。
しかし、こうした職業には新参者が多く、また短期間でやめてしまう者もいるので、予断は禁物である。
「膣の状態から、子供は産んでいない」
菅野がそう付け加えたところで、川本が声をかけた。
「菅野さん。申し訳ないが、少し外してくれますか」
「あいよ」
菅野が霊安室から出ていった。
「この件は、扱いが難しい」
川本が苦々しげに言う。
「なぜですか」
ソニーの問いに大村が答えた。
「今日の午前二時頃、新港埠頭の上屋の夜警が、白い大きな車が止まっているのを見たというんだ。事件とは思わなかったらしいが、不審車両なので海上保安庁に連絡を入れておいた。だが保安庁の夜勤が、午前四時頃に見回りにいった時には、もういなかった」
「白い大きな車というのは、外車ということですか」
「断定はできんが、その可能性は高い」
「外車を乗り回せるとしたら、船員ではありませんね」
「その線も捨てきれんが、船員が女を買うとしたら、どこかのあいまい宿だ。そこで殺した遺体を海まで運ぶことはできん。一方、米軍の兵士は自家用車を持っていない。持っているとしたら佐官級以上の将校だけだ」
それはソニーもよく知っている。
「だがな」
川本が、「朝日」の口付きの部分を箱に叩きながら言った。