横浜1963

君を呼んだ理由を今から説明する

ハーフの日本人、そして神奈川県警外事課の警察官であるソニー沢田は、英語力とその外見を活かし、密輸犯を検挙することに成功する。しかし、ソニーは日本人と米国人の間に挟まれた己の存在意義について思い悩む日々を過ごしていた。
そんな彼に新たな任務が命じられる・・・。

 湿った空気が、じんわりと汗をにじませる。
 もう夜だというのに、襟を押し開いて団扇うちわで風を入れても、いっこうに涼しくならない。
 ──今日も熱帯夜か。
 食堂で熱いをすすりつつ、ソニーはめしものにすればよかったと後悔していた。
「まだ七月だというのに、やけに暑いな。何でも本牧の米軍住宅では、全館クーラーが付いとるという話や。やってられんわ」
 刑事部捜査第一課のふく西にしとくぞうが、香の匂いが強い扇子を慌ただしく動かしながら言った。食事は随分前に終わっているのに、福西は食堂に居座り、まだようを嚙んでいる。
 すでに五十の坂を越えた福西は、高卒のノン・キャリア組として出世も頭打ちなので、仕事は適当にこなしている。大阪で生まれたというのが自慢で、無理に関西弁を使おうとするが、大阪育ちの者によると、少し発音がおかしいという。
「家どころじゃないですよ。米軍将校の自家用車には、すべてクーラーが付いているという噂です。われわれなんか、扇風機が壊れていても修理してくれないんですからね」
 福西と同じ捜査第一課のうらかずが、壁に掛けられた食堂の扇風機を叩いて直そうとしている。
 三浦は二十三歳という若さだが、私大出身なのでノン・キャリア組と言ってよく、熱意を持って仕事をしているとは言い難い。ただ愛嬌があるので、周囲との人間関係は良好である。
 ここのところ事件が増え、刑事部は多忙を極めていた。しかし二人の班は、担当していた事件の捜査が一段落し、次の仕事を待っている状態である。
「なあ、そう思わないか。ソニー」
「まあね」
 三浦は、一つ年上のソニーのことを、なれなれしくファーストネームで呼ぶ。米国人の習慣をどこかで知ったのだ。
「ソニーは、本牧の居留地で働いてたんやな」
 福西の問い掛けに「ええ」と答えつつ、ソニーは蕎麦つゆをすすった。
 本牧の居留地とは俗称で、正式の基地施設名は米軍根岸住宅地区というが、横浜に住む者で正式な名称を使う者はいない。
「あん中は、どんな様子や」
 ここ数年、『アイ・ラブ・ルーシー』や『名犬ラッシー』といった米国製ドラマの放映が日本でも始まり、福西のような典型的日本人でさえも、米国人の生活に興味しんしんである。
「こちらと何も変わりませんよ。あの中には、つまらん日常があるだけです」
 米軍住宅は、日本人の想像もつかないような生活レベルなのだが、それを語るのもおつくうなので、ソニーは会話を流そうとした。
「どこにも、つまらん日常しかないんやな」
 福西が「あーあ」と言いながら伸びをした。
 普段、署内でこんな雑談はしないのだが、さすがに食堂では緊張感もなくなる。
「来年は東京オリンピックが開かれるので、少しはつまらん日常から解放されます。東京では今、建設ラッシュで大変な騒ぎというじゃないですか」
 三浦が話題を転じる。
「しかし今年の夏は暑い。ドカチン仕事も大変やで」
「奴らはヒロポン打って仕事しとりますから、暑さ寒さは感じませんよ」
 二人が声を上げて笑う。
 かなり前から、日本でオリンピックが開催されるとラジオなどで騒いでいたが、気がつけば、もう来年の話である。
 ──時の流れは速いものだ。
 食べ終わった容器の載ったトレーを横にやりつつ、ソニーが、灰皿に手を伸ばそうとした時である。
「ソニーさん」
 外事課の事務を担当しているしげふじとしが走ってきた。
「おう、どうした」
おおむら課長が呼んでいます」
「分かった」
 胸ポケットから取り出そうとしていた両切りピースとジッポを押し込むと、ソニーは椅子を引いて立ち上がった。
「課長は、霊安室まで来てくれとおっしゃっています」
「霊安室──」
 先ほど大村が誰かに呼び出され、どこかに行ったのは知っていたが、霊安室とは思わなかった。
「すぐに来てほしいとのことです」
「はい、はい」
 トレーを片付け口に置くと、ソニーは「ごちそうさま」と言って食堂を出た。
 背後では「事件やな」、「外事課絡みで霊安室ですか。いったい何だろう」という二人の会話が聞こえた。

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2016-06-08

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剛腕作家・伊東潤の新境地、本格社会派ミステリー『横浜1963』がcakesにて連載スタート! 戦後とは何だったのか。その答えは1963年の日本と米国が混在する街、横浜にあった。横浜で起こった殺人事件を通して、日米関係の暗部に焦点を当...もっと読む

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