隆慶一郎と三島由紀夫、ふたりの『葉隠』(第4回)

隆慶一郎『死ぬことと見つけたり』評の第4回。これまで何度か書かれてきたように、本書は武士道精神が書かれた江戸時代の書物『葉隠』が元になっています。そして隆と同年代、同じ東大にいた三島由紀夫もまた『葉隠入門』という本を書いていました。今回はこのふたつの『葉隠』を比較しつつ、未完に終わった『死ぬことと見つけたり』の結末を読み解きます。


死ぬことと見つけたり 下巻(新潮文庫)

隆慶一郎は三島由紀夫をどう見ていたのか

隆慶一郎は、私が読んだ範囲では、三島由紀夫について声高には語ってはいない。だが、彼が戦後「そのうち世間が落着いて来て、『葉隠』についての著作や小説がぽつぽつと現れるようになって来た」と言うとき、『葉隠入門』という著作もあり、実際に「犬死気違ひ」を戦後の空間で実践してみせた三島由紀夫が念頭になかったはずもないだろう。三島由紀夫は隆慶一郎より二年年下で、同じく東京大学を出ている。ふたりとも、小林秀雄に心酔に近い感情を持っていた。三島の『金閣寺』は小林秀雄の『モオツァルト』を指して「小林さんのを盗んだ所があるんです」と昭和32年の対談で述べている。まずもって、隆慶一郎が三島由紀夫を無視できるわけもない。

1969年に三島由紀夫が著した『葉隠入門』を具体的に隆慶一郎が、どう見ていたかはわからない。が、読んでいないはずはない。その後、この著作は英訳のみならず、仏訳・独訳もなされた。三島の『葉隠入門』には、当時の時代背景と状況について、隆慶一郎の思いと表面的に関連していると思わせる部分がある。三島由紀夫『葉隠入門』より。

「葉隠」がかつて読まれたのは、戦争中の死の季節においてであった。当時はポール・ブールジェの小説「死」が争って読まれ、また「葉隠」は戦場に行く青年たちの覚悟をかためる書として、大いに推奨された。
戦争中から読みだして、いつも自分の机の周辺に置き、以降二十年間、折にふれて、あるページを読んで感銘を新たにした本といえば、おそらく「葉隠」一冊であろう。わけても「葉隠」は、それが非常に流行し、かつ世間から必読の書のように強制されていた戦争時代が終わったあとで、かえってわたしの中で光を放ちだした。

三島由紀夫はずっと特攻隊の「犬死」というアポリア(問題)を解こうとしていた。

「葉隠」の死は、何か雲間の青空のようなふしぎな明るさを持っている。それは現代化された形では、戦争中のもっとも悲惨な攻撃方法と呼ばれた、あの神風特攻隊のイメージと、ふしぎにも結合するものである。神風特攻隊は、もっとも非人間的な攻撃方法といわれ、戦後、それによって死んだ青年たちは、長らく犬死の汚名をこうむっていた。(中略)特攻隊は、いかなる美名におおわれてとはいえ、強いられた死であった。そして学業半ばに青年たちが、国家権力に強いられて無理やり死へ追いたてられ、志願とはいいながらも、ほとんど強制と同様な方法で、確実な死のきまっている攻撃へとかりたてられて行ったのだと……。それはたしかにそうである。

三島の語る「学業半ばに青年たちが、国家権力に強いられて無理やり死へ追いたてられ」た具体的な一人が隆慶一郎だった。むしろ、三島由紀夫はその二歳差で戦地を免れている。

三島由紀夫は「死」というものは、自殺ですら自分の意思の基におけるものではないと論を進める。

 すなわち、「葉隠」にしろ、特攻隊にしろ、一方が選んだ死であり、一方が強いられた死だと、厳密にいう権利はだれにもないわけなのである。問題は一個人が死に直面するというときの冷厳な事実であり、死にいかに対処するかという人間の精神の最高の姿は、どうあるべきかという問題である。

そこまではおそらく三島由紀夫と隆慶一郎の両者は似た考えを持っていただろう。その部分は、彼の師ともいえる小林秀雄の思いのなかで微妙な共感としても読みだせる。

三島由紀夫の自死とはなんだったのか?
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