棋士とメシ

肉豆腐に餅」の新手

日進月歩で革新が続く将棋界。「みそ汁に餅」の衝撃もさめやらぬまま、また新手が現れました。


(肉豆腐に餅)

 みそ汁に、餅。
 三浦弘行九段が6月22日の順位戦で披露した、肉豆腐定食のみそ汁に餅を入れるという新手は、棋界の内外に、大きな反響を巻き起こした。

「みそ汁に餅入りは指しすぎというか、無理気味のような」

 若手棋士の藤森哲也四段は、Twitter上ですぐに、そう反応していた。

 藤森四段や、多くの観る将棋ファンと同様に、筆者も同様の疑問を抱いた。そこで実際に、千駄ヶ谷の食事処であるみろく庵におもむいて、三浦九段と同じように肉豆腐定食を頼み、みそ汁に餅を入れてもらった。それは、前回に記した通りである。「みそ汁に餅、ありかも」というのが、ざっくりとした感想だが、そこはやはり、上級者向けの注文のようにも思われた。

 将棋界では現在、盤上の動向は、ネットを通じて、あっという間に全世界に広がる。それを見て、プロもアマも、自分なりの新しい工夫をほどこす。その絶え間ない繰り返し、試行錯誤によって、盤上における技術革新は、休むことなく続いていく。

 盤外における食事もまた、同様のようだ。

 「肉豆腐定食のみそ汁ではなく、土鍋の肉豆腐に、餅を入れるのはどうか」

 そうした修正案に思い至った人も、中にはいたに違いない。

 そして、7月5日におこなわれた、C級1組順位戦。三浦新手が現れた十数日後には、佐々木勇気五段が夕食で、その修正案を示していた。お椀のみそ汁ではなく、土鍋の肉豆腐に、餅。汎用性が高く、応用が容易であり、これならばアマチュアも、すんなりと真似できそうだ。

 佐々木五段の修正手が現れた2日後の7月7日。筆者は再び、千駄ヶ谷のみろく庵に向かった。所用の帰り道で、今度は昼のランチではなく、夜の居酒屋タイムである。

 定食は、頼まない。みそ汁や、白いご飯はなし。代わりにビールを頼む。肉豆腐を単品で、餅を一つイン。なんだそれ、最高じゃないか。ヒントをもらって、好手とわかりきった順を授かったようで、心が浮き立った。

 20時前、筆者はみろく庵に着いた。中は仕事帰りの人々で、満席に近い。二人がけの席に通され、一人の筆者は、一人で座る。

「すみません、注文いいですか? 肉豆腐、単品で。中に一つ、お餅を入れてください」

 店員のおばさんがこちらを向いて、にっこりする。

「ああ、将棋の!」

 みそ汁に、餅。肉豆腐に、餅。
 どちらも今のところ、将棋界流と認識されているようである。

「そうそう、将棋のね! あと生ビールを一つお願いします」

 ランチの肉豆腐定食は900円。 夜、肉豆腐を単品で頼むと、570円である。安い。50円の餅を一つ追加しても、620円。まだ安い。生ビール中は500円。豊富なメニューに目移りもしたが、狙いをはっきりさせるために、他には何も頼まないことにした。

 まずはお通しのブロッコリーとともに、ジョッキのビールが運ばれてくる。

「夏はビールだよねー」

 という、紋切り型の言葉がある。また同様に、

「冬は鍋だよねー」

 とも言う。どちらもその素晴らしさに、異を唱えることはできない。移ろいゆく、日本の春夏秋冬の美しさとともに、積極的に称賛していきたい。しかし、それはそれとして、春夏秋冬、美味いものはいつでも美味い。

 七夕の夜に、肉豆腐。いいじゃないか。そして餅は、正月じゃなくても美味い。

 ところで将棋で「もち」と言えば(と将棋の連載らしいことを書けば)、「持将棋」(じしょうぎ)を表す古い言葉である。

 持将棋とは、一言でいえば、引き分けだ。将棋では、互いに玉が相手陣にもぐりこんでしまうと、詰ますことができなくなる。そこで、一定の条件をクリアすると、引き分けが成立する。

 歌合せや囲碁も、古くは引き分けのことを「もち」と言ったそうだ。なんとなく、優雅でめでたい感じがするではないか。

 満月のことを、「望月」(もちづき)という。七夕の夜空に月は出ていただろうか。千駄ヶ谷から、天の河は見えるだろうか。囲碁、将棋では、自分がいいと判断する側を「持ちたい」と表現する。「三浦餅」とか「佐々木餅」とか書くと、ネット上のスラングみたいだな。肉豆腐はNDF、すなわち将棋の強豪ソフトであるNineDayFeverにも通じる。一方で、将棋の符号に置き換えると、「2九同歩」。これは後手番でしか指せないから「△2九同歩成」となる。どんな局面だろうか。飛車の王手に先手が▲2九歩と捨合を打ち、後手がそれを△同歩成と取ったところかな。

 陽気な客でにぎわう、みろく庵の片隅。ビールを飲み、肉豆腐を待つ間、しみじみそんな、どうでもいいことを考えていた。まあ、ビールを飲んでいるときだけでなく、普段もそんな、どうでもいいことを考えているのだけれど。

 ほどなくして、ぐつぐつと音を立てながら、肉豆腐が到着した。土鍋の中の世界の主役は、言うまでもなく、肉と豆腐である。そこに存在感のある餅が割って入る。メインのキャラが鼎立する、天下三分の計といった状況が生まれる。餅を主役と見立てれば、超豪華な餅雑煮と認識することも可能だ。改めて、素晴らしいボリュームである。でも、お高いんでしょう? いやいや、これで570円(肉豆腐単品)+50円(餅1個)=620円。奥さんこれは、安すぎますよ。

 さて、どう食べ進めるか。
 まずは土鍋から餅と肉をすくって、とんすいに移し、餅をメイン、肉をサイドに据えてみる。

 将棋は、時に苦い。そしてやっぱり、面白い。ビールは苦くて、美味い。肉と餅と豆腐は、ただただ美味い。

「ああ、日本に生まれてよかった」

 そんな大げさな感慨をいだきながら食べ進めているうち、気づくと餅が一つ、きれいに消えていた。これはしまった・・・。ペース配分を誤ったか。いや、そもそも餅一つが、控えめに過ぎたようだ。ベースとなる肉豆腐は、まだ半分ほどが健在だ。できうるならば、追加でもう一つ、餅を頼みたい。しかし店員さんが忙しそうな状況の中、迷惑かな。少し気がひけたが、おばさんに声をかけてみた。

「すみませんすみません。追加でお餅を、もう一つ入れてもらってもいいですか?」

 もし忙しくて無理だったらいいですよ。そんな言葉を頭の中に用意していたが、おばさんは間髪を容れずに応じてくれた。

「はーい、わかりました。お餅、そんなに美味しかったですか?」

 ええ、ええ。美味しいですとも。そしてみろく庵は、本当に素晴らしい店だ。

 筆者の席からは、厨房の中がのぞける。土鍋がコンロの上に置かれ、火にかけられて、餅が入れられているところが見えた。ここまでしてもらったら、ビールをもう1杯頼まないわけにはいかない。

 そうして2本目のジョッキを待つ間、改めてメニューを眺める。

「肉豆腐 570」の隣には、「じょい豆腐 360」。

 面白い名前のメニューだな。頼んだことがない。「じょい」とは山芋のことらしい。また機会があれば、注文してみたい。そのまた近くのメニューを見て、また驚いた。

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松本博文

あの大一番を支えた食は何だったのか―― 現在における将棋対局のネット中継の基礎をつくり、食事の中継の提案も行った松本博文氏がつづる、勝負師メシのエピソード。

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コメント

pappyhiro 餅は持将棋じゃなくて「先手持ち」「後手持ち」の「餅」じゃないのか 4ヶ月前 replyretweetfavorite

geregeregere mtmtさんはすでに研究済か。 4ヶ月前 replyretweetfavorite

tolucky774 https://t.co/FVdN8WBTOC 肉豆腐定食餅入りは佐々木五段の勝負飯らしい。千駄ヶ谷のみろく庵ってお店の 4ヶ月前 replyretweetfavorite

ttyumichan お餅というとこれがあった 9ヶ月前 replyretweetfavorite