横浜1963

どうせ俺は、日本にとって忘れ去りたい過去なんだ

ある日の長崎・佐世保の漁港にて、笹部熊吉は、見慣れない車の中で白人将校と日本人女性が楽しげに話す様子を目撃する。翌日、一人の女性の遺体が海から上がった。
不穏な空気のまま場所は変わり、1963年の横浜。
物語の幕が上がる・・・。

AREA-1 Off Limits 立ち入り禁止

 護岸壁に打ち寄せる波が荒い。吹き付ける北風が、海面に不規則な模様を描いては沖の方へと去っていく。
 煙草を吸おうとしたが、風が舞って邪魔をする。左手で風よけを作り、ライターの火を守ると、何とか火をつけることができた。
 ニコチンがきようこうに満ち、ようやく人心地つく。
 ──さて、奴は果たして現れるか。
 顔を上げると、五十トンの荷でも持ち上げられるという新港埠頭自慢のハンマーヘッドクレーンが、ずらりと並んだ鉄骨造のうわ群の上に大きな影を落としていた。気づけば日は西に傾き、周囲は暗くなり始めている。
 埠頭には静寂が漂い、全くひとはない。聞こえてくるのは海鳥の鳴き声と、どこかで鉄板を叩く音だけである。
 ──やはり来ないな。
 ソニーはコートのえりを立て、そこから去ろうとした。
 その時である。
 新港橋の方から一台の車が現れた。
 ──チャイニーズ・アイ、か。
 ソニーはぎりぎりまで吸った両切りピースを捨てると、靴でもみ消した。
 チャイニーズ・アイとは、つり目四灯ヘッドライトが特徴のプリンス・スカイラインのコンバーチブルである。
 ソニーの姿を認めたらしいチャイニーズ・アイは、埠頭に付けられた線路沿いの道を、ゆっくりと進んできた。上屋と上屋の間から差す夕日が、その真紅の車体を照らすので、車体そのものが点滅しているように見える。
 やがてソニーの横に停車したチャイニーズ・アイから、体格のいい運転手が下りてくると、冷めた視線でソニーをいちべつし、後部座席のドアを開けた。
「Hi, Mr!」
 その四十絡みの中国人は、生き別れた兄弟にでも会ったかのように大袈裟な身振りで、ソニーに近づいてくると、欧米人のするようにハグしてきた。むろん抱き付くふりをして、さりげなく銃の有無を確かめている。
「Good evening, Mr.Wang」
 ソニーは映画で見た米国人のように、余裕たっぷりの笑みを浮かべてハグを返した。
「チャイニーズ・アイに乗っているとは、やけに羽振りがいいな。いくらした」
 ソニーの問いには答えず、ウォンが問う。
「そのポケットの中にあるのは何だ」
 会話は英語で行われる。
「こいつかい」
 ソニーが取り出したのは、別名ペンライトと呼ばれる小型の懐中電灯である。
「なぜ、そんなものを持っている」
「これから暗い船室でブツを見せてもらうんだ。プロのバイヤーとして当然のことだろう」
 ソニーがペンライトを点滅させると、ウォンは納得したようである。
「ここには、どうやって来た」
「指示された通り、海岸通りでタクシーを降りてから歩いてきた」
「ドルは持ってきたか」
「見せ金だけだ」
 そう言うとソニーは、シェイプドスタイルの背広の胸ポケットから、百ドル紙幣の束を取り出した。もちろん帯封付きなので一万ドルである。
「手付だけでは取引してもらえない」
「私の指定する倉庫にモノが運ばれてきた時、全額渡す」
「さすが米国人だ。日本の阿呆どもとは違う。取引というものを知っている」
 ウォンが先に立って歩き出すと、双頭の埠頭の間に挟まれた船着場まで行き、係留してあったタグボートに乗り込んだ。
 すでにタグボートにはエンジンがかかっており、中国系らしき乗組員が一人、操舵室にいる。
「今日はいい日になるよ」
「そうだといいがね」
 ソニーとウォンが乗り込むと、タグボートはすぐに岸を離れた。
 エンジン音がやけに大きく会話もままならないが、タグボートのへさきはノルウェイ船籍の「Ellida」という貨物船に向いていた。もちろん事前に、横浜港に係留してある外国船は調べ上げてきている。
「取引相手はあれか」
「そう、ノルウェイ人」
「信用できるのか」
「もう何度も取引している」
 やがてタグボートが「Ellida」に横付けされた。
 デッキから顔を出した船員が、手際よく縄梯子を下ろす。
「これを登っていくのか」
 高波のせいで、縄梯子はゆらゆらと揺れている。
「もちろん」と言うと、ウォンは怖がりもせずに縄梯子を伝っていく。
 船員の手でウォンが船に引っ張り上げられたのを確認したソニーは、呼吸を整えて縄梯子に手を掛けた。
 ──これも仕事だ。
 運動神経に自信はあるが、すでに日は沈み、周囲は闇に沈み始めている。落水しても見つかりにくい上、タグボートが必死に探してくれるとは思えない。
 ──命懸けだな。
 ソニーは、下を見ないようにして縄梯子をよじ登った。
「エリーダにようこそ」
 北欧なまりの英語と共に両腕を摑まれたソニーは、強い力で船上に引き上げられた。
 恐怖が顔に出てしまっているのか、ウォンと船員はソニーを見ながら笑っている。
「なんてことはない」と答えつつ、コートに付いた飛沫しぶきを払っていると、近づいてきた船員が「失礼」と言いながら、ソニーが銃を持っていないかを確かめた。
「もうチェックしたよ」と言ってウォンが両手を広げる。抗議の姿勢である。
「OK、OK」と言いつつ、船員がソニーをボディ・チェックする。
「こいつは何だ?」
 船員が、ソニーのペンライトをポケットから取り出す。
「見れば分かるだろう」
 船員は一瞥しただけでソニーにペンライトを返すや、「付いてこい」と言い、ソニーとウォンを船長室に案内した。
 そこには赤に近い茶色の髭を蓄えた船長がいた。船長は葉巻をくわえ、机の上に足を投げ出してサウスチャイナ・モーニング・ポスト紙を読んでいた。日付が数日前なので、おそらくホンコンに寄港した際に買ったのだろう。
 ──ブツと一緒にな。
 船長は不愛想にソニーを一瞥すると、ウォンに向かって言った。
「この男は大丈夫だろうな」
「もちろん。これで取引は四度目になる」
 すでにソニーは、ウォンと三回も小さな取引をしていた。それで信用を得て、今回の大きな取引の場に連れてきてもらえたのだ。
「付いてこい」
 船長が立ち上がった。身長二メートル近くある大男である。
 船倉に至るまでに数人の船員に出会ったが、皆、ソニーとウォンを怪しむ風もなく擦れ違っていく。船長が密輸をやっていることを、大なり小なり知っているのだ。
 デッキから船内に入り、迷路のような通路を通って、ようやく四人は船倉に着いた。
 すでに密輸品以外の荷は降ろしたのか、船倉の中はがらんとしている。
 船長と船員はノルウェイ語で何か話しながら船倉の端まで行くと、清掃道具が入れてある小部屋を開けて、その床を指し示した。
「税関も、ここまでは見ない」
 船長はにやりとして、船員に床板を外させた。
 最初に入った船員が灯りを付けると、三人がそれに続いた。やけに天井が低く、皆、腰をかがめねばならない。
 そこには、木箱がぎっしりと積まれていた。
「ヒュー」とソニーが口笛を吹く。
「こいつは凄いな」
「ナポレオンもジョニー・ウォーカーもある」
「どうだ」と言って、ウォンも得意げにソニーの顔をのぞき込む。
「十分だ。で、あれもあるか」
「アメリカ兵は、あれが好きだな」と言いつつ、ウォンが船長にウインクすると、船長は酒箱の一つを指差し、船員にバールでふたをこじ開けさせた。
 そこから出てきたのは酒ではなく、ビニール袋に入った白い粉や茶色の葉だった。

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この連載について

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