「ブスな方のペドロ山さん」とはなかなか言わない
今回のテーマは「ブスハラスメント」である。
「セクハラ」「パワハラ」「アルハラ」「マタハラ」など世の中には多くのハラスメントがあるわけだが、「ブスハラ」はあまり言われない言葉である。
しかし、言わないから〝ない〟というわけではなく、確実に存在するはずなのだが、ブスであることは一目でわかっても「ブスハラ」というのは実にぼんやりしている。
そういう私も、「我ブス故に、我今損した」というような、容姿によるハラスメントを大人になってから明確に受けた記憶があるかというと実は、ない。されたことはあるのだろうが、気づいてないのだ。
というのも、子どもの頃はブスなら男子に「ブス」と、からかわれたり、いじめられたりもあっただろうが、大人になるとブスに対する男性の態度は「無視」に変わる。
つまり、美人は厚遇だが、ブスは冷遇ですらなく、必要がない限り関わろうともされないため、差別ではあるが、これがハラスメントに当たるかは微妙であり、されても気づきにくいのである。
また、ハラスメントというのは、する側はハラスメントという意識が全くなく、むしろギャグ、コミュニケーションと思っている場合が多い。
例えば、同じ部署に「ペドロ山」という女性が二人いたとして、「若くない方のペドロ山さん」「重い方のペドロ山さん」「150キロの速球を放ちそうな剛腕のペドロ山さん」などと呼ぶのはセクハラだが、言う方はむしろ気の利いたジョークのつもりで言っており、言われた方も「セクハラですよ」と注意できるのは少数派であり、「やだ課長、150キロなのは握力の方ですよ」と相手の首を小気味よく折るぐらいのジョークで返すしかない、というのが残念ながら現状である。
しかし、そういう奴でも「ブスな方のペドロ山さん」とはなかなか言わないのである。年齢や体型をからかう空気は未だに蔓延しているように思うが、顔のことを言うのはさすがに一発退場、むしろベンチから監督まで飛び出ての大乱闘であると、自らも全裸で出勤してくるぐらいデリカシーのない奴じゃない限りわかっているものである。
それに「『ブス』は、『バルス』に匹敵する滅びの呪文だ」とこのコラムで書いたが、言う方にとっても滅びなのだ。ムスカの目もイカれるが、シータとパズーも両目を押さえて悶絶、というダブルノックアウト形式である。
ブスババアというと、ナイフみたいに尖りすぎて持つところがない
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。