「明るいエース」はなぜ怒ったのか?
棚橋弘至は誰もが認めるプロレス界の救世主である。
2015年の新日本プロレスG1クライマックス決勝は、棚橋弘至vs中邑真輔という永遠のライバル同士の戦いとなった。実況のアナウンサーは「棚橋弘至と中邑真輔、この二人がいなかったら、プロレス界は終わっていたかもしれません!」と万感の思いを込めて叫んだ。これは誇張ではなく、2005年1月4日東京ドームでの初対決から、ある時は新日本の未来を背負う若手同士として、ある時はタイトルマッチとして、新日本の観客動員が地に堕ちた時からこの日の超満員札止めで、立錐の余地もない両国国技館に至るまで、幾度となく戦って新日本プロレスを、いやこの国のプロレスそのものを救ってきた。
棚橋弘至はその身を全てさらけ出して、24時間365日「棚橋弘至」としてプロレスを世間に広めてきた。リングに上がれば相手の良さをいかんなく引き出した上で勝利を収め、それがメインイベントだったならばどんなに疲れていても試合後にエアギターを何度も奏でてリング上で高くジャンプし、その上でリングサイドや花道に押し寄せる老若男女のファンとたっぷり触れあってサービスをする。かと思えばブログやツイッターで日々の生活、子供の送り迎えをしたり買い物をし過ぎて妻に怒られたりといった日常を赤裸々に綴る。
身体が大きくて無口で怖い、という昭和のプロレスラーのイメージを一新し、ブリーチをした明るい色の髪を振り乱し、仮面ライダーからインスパイアされたスタイリッシュなコスチュームを着こなし、テレビ番組に出れば軽快なトークを披露し、芸人さんに頼まれれば普段の試合ではしないチョップもするし、上半身を脱いでその美しい筋肉でみんなに溜息をつかせたりもする。プロレスをもっと盛り上げるために、棚橋弘至はここ10年、ずっとそうしてきた。
しかしそんな、明るく物わかりの良いみんなのエース、としての棚橋弘至のパブリックイメージを大きく覆す出来事が2015年の夏に起きた。その夏に棚橋弘至はG1クライマックスで8年ぶりに優勝し、1週間後には他団体であるDDTのビッグマッチ、両国大会に出場した。そこで棚橋はDDTのエースであるHARASHIMAと戦い、盤石の試合運びで勝利を収めたのだが、その試合後のバックステージで声を荒立てて怒ったのである。
「俺は珍しく怒ってるよ。グラウンドで競おうとか、打撃で競おうとか、技で競おうとか。舐めたらダメでしょ。これは悪い傾向にあるけれど、全団体を横一線に見てもらっては困る!」
私をはじめそこにいた全てのプロレスマスコミが呆気にとられた。あの棚橋弘至が、机を叩いて怒っている。これまで対戦相手もファンのことも全て愛で包み込んできた棚橋が、何に対してこんなに怒っているのだろうか。
新闘魂三銃士の対立
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