<サニーデイ・サービス『東京』20周年記念コンサート “東京再訪”>を見た。
まず第一部は30分ほどの演奏。すべて口ずさめるナンバーが歌われる。第二部はアルバム『東京』が曲順通りに演奏された。
奮闘していたのはキーボードの高野勲だろう。なにせ『東京』全編を占めるストリングスのパートを、彼がひとりで担っていたのだから。高野は曲によってはギターを持って、さらに音に厚みを加えていた。
『東京』はリリースされた当初から名盤扱いされてきたが、20年が経過しても色褪せることはない。自我と見つめ合うような気持ちで、僕はサニーデイ・サービスの名曲群に身を任せた。
この日のクライマックスは、アンコールからの「さよなら!街の恋人たち」だった。
ロマンチストの文学青年が「デブでよろよろの太陽」を歌っているうち、ロック魂に火がつくパフォーマンスは圧巻だった。
僕は見た。インフォスタワーの隣にある、渋谷区文化総合センター大和田 さくらホールの決して広いとは言えないステージに、ピンクフロイドの『原子心母』ほどのスケールが爆発する様を。曽我部は大歓声の中、ギターを床に放った。
2度目のアンコール。はやる観客をチルアウトさせるように、アルバム『愛と笑いの夜』から「週末」が歌われて、この日のライブは終わった。遂にMCはひとこともなかった。
普段は恥ずかしくて行かないのだが、ライブに誘った友人を紹介したくて楽屋を訪ねたら、曽我部恵一はすでにいなかった。
何が気に障ったのかわからない。『東京』のラストを締めくくる、「コーヒーと恋愛」の「イエーイ」のところで数人の咳払いがあったことか、それともロックはもともと理由のない苛立ちや衝動をもたらす効果のせいか、彼は不機嫌だったらしい。
僕は嬉しかった。曽我部がデビューした当初から変わらぬ、怒れる若者であることに。
サニーデイやソカバン、ソロやゲスト出演も含めて、曽我部恵一は僕の人生でいちばんライブを観てきたアーティストだ。
本来ならこの日はアニバーサリーであり、祝祭ムードと笑顔に包まれて大団円を迎えるはずだった。
それが安心や円熟とは程遠く、ぶっきらぼうなもので終わった。
デビューしてから20年以上経つというのに、危なっかしくて無愛想で、何をしでかすかわからない先鋭的なステージを観客に突きつける曽我部を誇りに思う。
彼はきょう、また新しく生まれた。次の戦いを宣言した。
渋谷の雑踏を歩きながら、圧倒された顔で友人が漏らす。
「小沢健二のライブより感動している自分がいて驚いた」
わかる気がする。
これからも曽我部恵一は歌い続けてほしい。怒り続けてほしい。そして屈託なく笑ってほしい。それら感情のすべてが曽我部の音楽であり、僕が彼に求めるものだからだ。
写真:吉澤健太