母・藤圭子の死を描いた宇多田ヒカルの新曲
柴那典(以下、柴) 大谷さん、宇多田ヒカルの新曲聴きました?
大谷ノブ彦(以下、大谷) 聞きましたよ、「花束を君に」と「真夏の通り雨」。
柴 これを聴いて分かっている人も多いと思うんですけど、どちらとも「死」をモチーフにした曲ですよね。
大谷 ええ。「花束を君に」の歌い出しの歌詞から、もう、ね。「花束」の前には「涙色」、そして「薄化粧」は死化粧のことですもんね。
普段からメイクしない君が薄化粧した朝
始まりと終わりの狭間で
忘れぬ約束した
花束を君に贈ろう
愛しい人 愛しい人
どんな言葉並べても
真実にはならないから
今日は贈ろう 涙色の花束を君に
「花束を君に」より
柴 はい。そしてその「死」は、おそらく2013年に自ら命を絶った母・藤圭子さんのことが背景になっているんだと思います。
大谷 でしょうね。
柴 父親は音楽プロデューサーの宇多田照實、母親は一世を風靡した歌手の藤圭子という芸能一家に生まれて、その母親が62歳で高層マンションから飛び降りてしまった。世間の耳目にさらされ続けてきた彼女にそんな悲劇はありえてはいけない、というと語弊があるかもしれませんが、でもそれだけ残酷なことだと思うんです。
大谷 とんでもない悲しみ、そして業を背負ってしまいましたね。
柴 それに、2012年の「桜流し」から4年の沈黙を破って、彼女が新曲を出すと聞いたら、誰もが様々な期待をかけると思うんです。そして、改めて宇多田ヒカルのすごいところは、それを表現で真正面から打ち返しているところですよね。つまり実際に音楽の力で乗り越えようとしている。
木々が芽吹く 月日巡る
変わらない気持ちを伝えたい
自由になる自由がある
立ち尽くす 見送りびとの影
「真夏の通り雨」より
大谷 しかもこの2つの歌が、朝の連続テレビ小説の主題歌と夜のニュース番組のエンディングテーマっていうね。自分の母親の死を歌っている曲が、毎日テレビの中から、それも朝ドラの主題歌として日本中を流れる。因果な商売ですよ。
柴 彼女のウェブサイトに、ファンの質問に答える「#ヒカルパイセンに聞け」というページがあるんですけれども、そこに「アーティストとして自分が作りたい曲を作りたいですか? みんなに共感されたい曲を作りたいですか?」という質問があるんですよ。なんて答えたと思います?
大谷 えっ、なになに?
柴 「それを両立させるのがプロなんじゃねーかな。」って。
大谷 うわー、かっこいいー!!!
柴 本当に! やっぱり肉親の死って誰もが立ち会うものじゃないですか。それを曲を通して追体験できる。そういう意味ではとてもシリアスで重い曲なんだけど、同時にポピュラーなものだとも思います。
大谷 たしかにね。非常にプライベートなものを作りつつ、それをポップミュージックに昇華していると。
柴 そもそも宇多田ヒカルは2010年に27歳で「しばらく“人間活動”に専念したい」と音楽活動を休止していたわけですからね。そこから肉親の死と再婚と出産を経て、2016年に戻ってきた。今はアーティストとしての大きなターニングポイントを迎えていると思うんです。
大谷 なるほど。我々はそれを目撃しているんだ。
柴 うん、リアルタイムで。
大谷 それもプライベートまで織り込んで、見てしまう。それは下世話かもしれないけれど、でもそれが作品につながるなら、うれしいというか、僕らにとって彼女のような才能を同時代を生きながら見届けられるのは、幸運なことですね。
柴 ピカソやゴッホといった芸術家の作品を語る時に、どうしても作者の人生の大きな出来事と切り離すことはできないじゃないですか。
大谷 ゴッホがゴーギャンと喧嘩して耳を切ったとかね。
柴 でもそういったスキャンダラスな出来事も、歴史的な目線で見ると、芸術と個人の生に還元されていっているんですよ。ゴッホが喧嘩して耳を切った結果『包帯をしてパイプをくわえた自画像』を描いたように。
大谷 たしかにね。
柴 とにかく「花束を君に」と「真夏の通り雨」はとんでもない曲だし、次の宇多田のアルバムは「どうやって死を乗り越えるか」がテーマのアルバムになると、僕は勝手に予想しています。
大谷 楽しみですね。楽しみって思っている自分は残酷だと思うけれど、そういう後ろめたさを含めた上で、エンターテイメントを楽しみたいですね。
夫ジェイ・Zの不倫告発を描いた『LEMONADE』
柴 自分のスキャンダルを作品に仕上げているという意味では、ビヨンセもそうですからね。新しいアルバム『LEMONADE』って夫ジェイ・Zの不倫告発アルバムなんですよ。
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