好きな哲学者は谷川俊太郎
——『羊と鋼の森』は17歳の青年が調律師という職業と出会い、成長していく物語ですが、宮下さんご自身は17歳のころ、どのように過ごされていたんですか。
宮下奈都 (以下、宮下) 私が高校生の頃は、悩みがないのが悩みだったんです(笑)。どちらかと言えば悩みを相談される側でした。でも、相談する時点でだいたい答えは出ているし、どんな相談をされても、「それ、全然悩むようなことじゃないのでは」って思ってしまう。
その頃の私は、ほんとうの悩みっていうのは、寝ても覚めても頭から離れないもので、それを乗り越えることで人間的に大きな成長ができるものだと信じ込んでいたんです。そもそも、考えて答えがでるようなものは悩みじゃないと。だから、悩みがないと成長できないって、どこかで焦ってもいた。
「悩み」がいつかは自分にも訪れるだろうと思い続けて、気づいたら49歳になってました(笑)。「悩みはありません」って言うと、すごく能天気みたいですけど。大きな悩みを抱えていないと書けない類の小説は、私には書けないし、特に書きたいとも思いません。
一方で、それらしい悩みはないけれども、10代の頃はいつももやもやと考えていました。そのもやもやをなんとか解消したくていろんな本を読んでいたときに出会ったのが、谷川俊太郎さんの『空の青さをみつめていると』とニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』です。
もちろん、明確な答えなんてそこにはありませんでしたが、この2冊はものすごく面白かった。そうか、私が勉強したいのは哲学だ!とひらめいて、大学は哲学科に行くと決めたんです。
今でも覚えていますが、大学入試の面接で好きな哲学者を聞かれたとき、胸を張って「谷川俊太郎です」って答えました。ニーチェにも大きな影響は受けましたが、ちょっと背伸びをして頑張って読んでいたので、素直に好きとは言えなかったですね。
でも、谷川さんの詩を読んでいると、人間が生きるってどういうことなんだろうって自然に考えさせられる。難解な文章ではないのに、ついひきこまれて、いつの間にか自分の足元を見つめさせられている。こういう人を哲学者と言うんだろうって思いこんでいたし、私はいまもそう思っています。谷川さんの詩が好きで哲学科に入ったので、入学後は難解な哲学書に苦労させられましたが(笑)。
——大学を卒業してからは、どのような日々を過ごされていたんですか。
宮下 何とか就職はできましたが、あまりに仕事ができな過ぎて辛かったなあ。そこでバリバリ働いて社会に肯定されていたら、小説を書こうとは思わなかったかもしれません。
私は正社員なんですけど、派遣で来ている年下の女性の方が、はるかに仕事ができるわけですよ。私の方がお給料をもらっているだろうし、社会的立場もあるんでしょうけど、仕事ができないことが負い目になっていて、気分は日陰者でした。
昼ご飯を抜いて通った日比谷図書館
——その頃に、かなり本を読まれていたようですね。
宮下 はい。会社にいても、自分に何ができるかわからなくなっていましたから、とりあえず本を読もうと思ったんです。それまでも本は好きでしたが、系統立てた読書はしたことがなかったので、いざ読もうとしてもどこから手をつけていいのか見当もつきませんでした。
そこで、まず自分の生まれ年の昭和42年に出版された本から読むことにしたんです。当時の職場が丸の内にあったので、昼休みに日比谷図書館まで歩いて行って。
そこで出会った大江健三郎さんの『万延元年のフットボール』にまず衝撃を受けました。こんなに斬新で魅力的な小説が、自分の生まれた年にすでに書かれていたのかと。他にもその頃に刊行された『レイテ戦記』(大岡昇平)、『愛の生活』(金井美恵子)、『輝ける闇』(開高健)といった小説を片っ端から読みまくりました。
日比谷図書館には1年くらい通い続けたでしょうか。図書館と職場を往復するとお昼を食べる時間がなくなるんですけど、本を読んでいる方が楽しかった。今となってはよくぞやったと自分を誉めてあげたい(笑)。