はじめに
夫と話すのは、何ヶ月ぶりだろう。
たった一度の呼び出しで電話に出るところが、事態の異常性を物語っている。
「変な噂があるんだけど……まさか出ないよね?」
単刀直入に尋ねる私に、夫は「ん? うーん、まぁ……」などと煮え切らない返事をする。
「……ちょっと、さすがにだめだって。今回は洒落にならない。悪目立ちするだけで絶対いいことないよ。堀江さんだってそうだったでしょ?」
「うん……そうだよねぇ」
何となく同調したようなことを言うが、決して明確に否定はしない。これはいよいよまずいと思った。もしかすると、もう決意は固まっているのかもしれない。私の言葉を決断の材料にしているというよりむしろ、私をどう説き伏せようかと思案している態度ではないか。
「とりあえず今夜そっちに行くよ。遅くなるかもしれないけど、そのときにまた話そう」
約30分近く電話口で説得を試みるも、夫は結局、態度を明確にしないまま、夜にうちに来ると言って電話を切った。
一気に暗雲がたちこめる。こうなったらもう手がつけられないことは、10年以上にも及ぶ結婚生活で嫌というほど知っていた。日常の些細な困難からはいともたやすく逃げ出すくせに、それが誰も選ぼうとしない茨の道であればあるほど、多くの人に反対されればされるほど、突き進まずにはいられない、こんな時だけ鋼の意思を持つ天邪鬼な人間なのだ。思い返せばこれまで一度も、夫が私の言うことを聞いて行動を変えたことなんてなかった。
けれど、だからといって今回ばかりはすごすごと引き下がるわけにはいかない。今夜、夫がやって来るまでの残り半日という短い時間で、何とか彼の心を変えさせるための材料を揃えなければならないと思った。……けれどそんなものどこにあるというのか。長い間ずっと探してきたけれど、結局私には見つけられなかった。家族がいたって、どんなにリスクを説いたって、彼は彼の思うようにしか動かない。
夫がやって来たのはその日の深夜0時を回った頃のことだった。
やって来る、というのは、4年前から夫と私たち家族とが別々に暮らしていたからだ。今住んでいる家は、私と子供たちが住むために私の名義で借りた、夫の居場所のない家。彼はそんなわが家にたまにやってくるお客さんだった。
居間に入ってきた彼の顔を見て直感的に、ああ、今回も結局私の負けだな、と思った。
私が尋ねると、彼は私の顔をちらっと見て、意を決した表情で言う。
「……ごめん、遅くなって。さっきまで、選挙対策本部の決起集会だったんだ」
やはり。知らないうちに、事態はとっくに動き出していたのだ。
2014年、猪瀬東京都知事の辞任に伴う新たな都知事を決めるための選挙に、彼は出馬しようとしていた。聞けば、既に多くの優秀な人たちが、彼の選挙戦をサポートするべく善意で動き出してくれているという。しかしいくら万全な体制を敷いたところで、家族の同意を得ることは絶対に不可欠だと周囲に諭され、珍しく逃げもせず、こうしてわが家にやって来たというわけだった。
出馬したところで当選の見込みは極めて低い、俗に言う泡沫候補であることは間違いなかった。しかし夫は、そこに決して望みがないとは考えていないようだった。ネット上で冗談のように出馬が取りざたされ始めて以来、彼に寄せられていた若い人たちのたくさんの期待の声。それらを受け、少なくともあの時の彼は、噓偽りない使命感に燃えていた。IT企業を立ち上げ、上場させ、そこで得た多額のお金を欲望のままに使い果たした。当時一通りのことをやりきっていた彼にとって、にわかに降って湧いた政界進出という可能性は、たとえどんなにリスクがあったとしても、希望とやりがいに満ちた次なるステップに見えたのだろう。
その日私たちは、明け方まで話し合った。無知がゆえの無邪気さかもしれない。これから始まる選挙戦では、何か大変なことが起こらないとも限らない。けれども、新たな希望の糸口を摑み、久々に晴れやかな顔をしている夫を見て、私の中でふいに、厳重にロックされていた扉の鍵が、カチッと解かれる音がした。この人との試合には、結局、永遠に勝てないのだろう。これまではそれを認めたところで、その先には希望も絶望もなかった。だからこそ、この試合から降りることができなかった。けれど、彼のこんな顔を見た今なら、……そしてまた、私自身の準備も整った今なら、清々しい気持ちで、諦めることができる。
翌日、家を出た夫はその足で会場に赴き、都知事選出馬表明の記者会見に臨んだ。同日、私は区役所に離婚届を取りに行き、その翌々日に、私たちは晴れて離婚した。区役所に届けを出した帰りに、私はふらりとデパートの地下に立ち寄って、ちょっと豪勢なお惣菜を買って帰った。結婚してから、13年目のことだった。
「明るい家族計画」
かつてわが家にもそれらしきものがあった。
子供が生まれたらいつでも家族が近くにいられるようにと、夫は私の妊娠中に会社を辞めて起業した。あくせく働くことなく、かといって困窮することもなく、日常の小さなことに喜びを感じながら、ちょっとのお金を稼いで家族でつつましく幸せに暮らす。ベランダにハーブを植えたり、年に1回くらい旅行に行ったり、毎日ていねいにコーヒーを淹れたり、休みの日には川沿いを散歩したり。そんな暮らしを夢見ていた時期もあった。
……ところがそれも今は昔。私たち夫婦の物語はものの見事に、あらゆることが計画通りには進まなかった。植えたハーブはすぐに枯れるし、コーヒーは3日と続かない。彼ばかりでなく、残念ながら私もまた、ジャンキーのように、片時も休まず強い刺激を浴びていなければ絶えられない性分であった。
この本では、結果としてそんな風に、無計画な歩みを辿ったわが家の歴史と、後に独身に戻った私が社会に揉まれながら歩んできた道とを、いくばくかの反省とともに振り返っている。
時に新しい命をも迎え入れる家族には、いつだって大きな責任がつきまとう。そのせいで家族は容易に息苦しいもの、重たいもの、避けて通りたいものにもなりかねない。だからこそ今回、わが家の恥部を包み隠さずご開帳することによって、世の家族という共同体に、少しでも爽やかな風が吹くことを、切に願っている。