平日だというのに店内は混雑していた。
入り口でまごついてしまった僕と真赤はカウンター席に通される。右隣は三十代くらいの二人組のサラリーマン、左隣は熟年のカップルがいて、それぞれ目の前に黄色がかった金属の七輪を置き、炭火で畜肉の薄切りを炙っては食っている。
黒いエプロンを着た店員が注文を取りに来て、僕はビール、真赤は酒を飲まないというのでウーロン茶を頼み、あと肉を何皿か頼んだ。店員が去ると、僕はネクタイを緩め、シャツの一番上のボタンを外した。
隣の駅に新しい牛角が出来たと聞いたので、仕事帰りに真赤と待ち合わせ、どんなものかと様子を見に来たのである。思ったよりも手狭なしつらえで、客は肩をくっつけるようにして席に座っていた。こんなに狭い空間で、一席ごとに炭火を使っているのだから煙ったくなりそうなものだが、頭上のダクトが七輪から立ち上った煙やら匂いやらをぐんぐんと吸い込んでゆく。えらいパワーであるなあ。男らしいなあ。一体どういった機構になっているのか、上体をねじまげてなかを覗こうとしたが、真っ暗でよく見えない。もし急に停電が起きて、換気が止まったとしたら、僕らはみな一酸化炭素中毒で死に絶えるのだろうか。狭い店内で死屍累々たる腐臭を放つのだろうか。だとすれば、この暗闇こそが僕らの命綱なのだなあ。
そんな僕の感慨をよそに、飲み物と、獣肉がやって来る。
「昼に鼻血を流したから、その補給として一杯食べないと」
と真赤が笑いながら僕を馬鹿にする。
そりゃ食うさ。そのために来たのだからな。しかし、週に二回は焼き肉屋に来ているような気がする。真赤は偏食家で、揚げ物やら練り物やらが食えぬが、獣肉はすこぶる好む。ビーフジャーキーやらサラミやらを与えると、ひどく幸せそうにかじる。本質的に血のにおいが好きなのかもしれない。だから、わざわざ自分の手首を切ったりしたのだろうか。生理になると人格が豹変し、おそろしくて近づけなくなるのも、そのあたりと関係しているのだろうか。
しかし、焼き肉屋というものは面白いなあ。人間、スーツなどを着て、オフィスなどというような名称の場所で、すまし顔でビジネスやら何やらしてみても、こんな狭いところにぎゅうぎゅう詰めになりながら、血の滴る牛肉の薄切りを、直火で炙って食って喜んでいるのだ。野蛮だなあ。人は、ぎゅうぎゅう詰めになって、牛肉なのだなあ。ぎゅうと、ぎゅう。わざわざ繰り返しても真赤は気づいてくれず、夢中で生焼けの肉を頬張って、
「今日の仕事はどこに行ったの?」
と、一方的につまらぬ質問をしてくる。
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