1969年のウッドストックとオルタモント(下)

現代日本の若者カルチャー、それは1970年代にひとつの曲がり角を迎え今に至るまで続いている。日本人はなぜいついつまでも欧米へのあこがれを持ち、その呪縛から離れられないのか。1969年のウッドストックでのコンサートからその源流を検証する。

 ウッドストックとオルタモントのコンサートは、大きく様相が違っている。
 1969年の表と裏である。
 でも、私には、季節の違いに見える。季節の問題にしか見えない。

 真夏8月の野外コンサートと、冬12月の野外コンサート。
 較べるまでもない。
 夏は心地良く、冬はただ厳しいだけだろう。
 夏は、農場や草原で、そのまま寝っ転がってしまえばいい。ときに半裸で寝てしまっても、別に何も問題はない。トリップして、寝て、そのまま気持ちよく過ごせばいいのだ。
 冬は、寝てしまうと、ひょっとしたら死ぬ。コンサート当日は氷点下1℃だったらしい。ふつうの格好で寝れば、かなり死ぬ可能性があります。

 冬の野外の空気は、人間を拒否している。
 受け入れられない空間では、人はとげとげしくなってしまう。
 夏と冬では野外コンサートは、まったく違う様相を示す。
 というか、なんで12月にそんなことをやろうとおもったんだろう。
 とにかく何かが間違っていた。
 とんでもない空間が出現した。

 8月のウッドストックの「ラブ&ピース」な噂を聞きつけ(もしくは実際に行って愉しんで)オルタモントを目指した人たちもたくさんいたのだろう。
 ただ、そうでもない連中もかなり集まった。
 ロンドンのハイドパークコンサートから、ストーンズと一緒にいて、このオルタモントではストーンズの近くにずっといたサム・カトラーによると、わかりやすい憎悪を感じたという。
 「若者の長髪ヒッピー文化」を心底憎んでいる連中が、最初からこの集会を壊すつもりで集まったのではないか。だから、大変なことになったのだ、とカトラーは考えている。現場にいたイベントのある責任者が感じていたのだから、そういう空気はあったのだろう。

 ラブ&ピースを信奉し、とても平和的な若者が十万人いたとしても、悪意をもってその連中を痛めつけてやろうと考える若者が500人も入ってくれば、現場は大混乱になる。
 実際に、そうなった。
 ライブステージが始まる前から(おそらくそのステージが設営されているときから)、会場中で喧嘩が起こった。
 粗悪なLSDが無料で配られ、それを吸引した連中がみなバッドトリップして、運び込まれた(粗悪なLSDの配布も、このコンサートを壊そうとした連中が意図的にやったことではないか、とカトラーは推測している。あくまで推測でしかないが)。

 ライブが始まる前から、暴力的な空気に支配されていた。
 ライブが始まっても、同じだった。ステージ上では演奏が始まっているのに、客席ではそこかしこで殴り合いが続いていた。
 ストーンズがこのステージに立つのは、とても危険なのではないか、とスタッフは危惧していた。

 ミック・ジャガーは、ヘリコプターで会場近くに降り立ったあとバックステージ近くに向かう途中に、いきなり殴り倒されている。殴った男は、とても愉快そうに笑っているばかりである。まともな空間ではない。
 にわか作りのステージはあまりに低く(1メートルほどのものだった)、前方の客は、自由きままにステージに上がっている。ふつうの観客が100人以上、ステージに上がって、ライブを聴いているのである。異常さが異常に感じられない空間になっていた。

 ステージの警備は〝ヘルス・エンジェル〟に任されていた。警察官ではないし、警備が本職でもない。ただ、ひたすら暴力的な連中である。大きなバイクを乗り回している。ある種のギャング集団のようにも見える。スタッフの誰かが、この地方の警備なら、彼らにまかせればいいのではないか、とおもいついてしまったのである。

 ステージの周辺で、彼らはしきりに暴力をふるっていた。
 ヘルス・エンジェルではなく、彼らに憧れている(集団に入れてもらいたいと願っている)ちんぴら連中が「ビリヤードのキュー」を振り回して、ステージ周辺の観客を薙ぎ倒していた、との証言もある。ただ、映像を見るかぎり、〝本物のヘルス・エンジェル〟と憧れている連中のスタイルの違いがわからず(同じ格好をしている)、ステージ警備をまかされた連中が、静かにしない客を次々とたこ殴りに殴っている、としか見えない。ステージ周辺でしきりに暴力をふるってはいるが、ステージ上には関係のない客が上がってきている。つまり、彼らはきちんと警備していたわけではなく(一般客がステージに上がるのを見逃すステージ警備というのは、本来、存在しない)、ステージ周辺で、暴力で威嚇しつづけていただけでしかない。

 映像と、当時の記録をいくつか読んでも、どういう状況でこうなっていたのかが、うまく説明できていない。
 夏のウッドストックのほうと違い、冬のオルタモントに関する記録はきわめて少ない。おそらく現場にいた人たちも、あまりおもいだしたくない記憶なのだろう。

 あまりにステージ周辺での騒擾が激しいので、ジェファーソン・エアプレインのボーカル・マーティは演奏中に、暴力沙汰をやめろと叫び、止めに入ったところ、警備のヘルス・エンジェルによって殴り倒されてしまった。プレイ中のメインボーカルが警備によって殴り倒されているようなライブである。

 ローリングストーンズが夜になってから登場した。
 彼らを待っていた観客は、ステージ周辺にすずなりになって群り、すぐステージに上がっている。ミック・ジャガーやキース・リチャードと同じ画角と大きさで、よく知らないふつうの観客たちがたくさん映り込んでいる。
 そのすぐうしろでは、常に誰かが殴り合いをしている。
 夜になり、より空気は暴力的になっていったのだろう。
 「悪魔を憐れむ歌」を何度も中断し、喧嘩をするな、あばれるな、とミックやキースは叫びつづけている。

 「アンダー・マイ・サム」を演奏中に、決定的な乱闘が起こる。
 派手なグリーンのジャケットを着たメレディス・ハンターという黒人の青年が(18歳だから少年だとも言えるが)ステージ周辺で揉めごとを起こす。ヘルス・エンジェルによって一度追いやられたメレディスは再びステージ近くに戻ってきたときには、銃を持っていた。
 それを見つけたヘルス・エンジェルのメンバーは、メレディスを押さえつけ、ナイフで刺した。

 映画「ギミーシェルター」ではそのシーンが映っている。
 メレディスを刺したメンバーの証言によれば、彼は発砲していたという。真偽はさだかではない。もし本当に発砲していたなら、ステージ上のミックが狙われていたのかもしれない。

 メレディスは、その場でめった刺しにされ、死んだ。
 担架に乗せられヘリコプターに運ばれようとしているときに、メレディスの彼女は、すでに心臓が止まっている、死んでいる、と言っていたから、現場で刺殺されたのだろう。

 サム・カトラーはその手記「だれがメレディス・ハンターを殺したのか」には、メレディスは麻薬の売人であり、まっとうな人間ではないと書いている。ストーンズの演奏中に、銃を抜いたギャングがいたので、別のギャングがナイフで刺し殺したにすぎない、というのがサムの意見である。
 そのとおりなのかどうかは、わからない。

 とにかく騒然とした雰囲気で始まったフリーコンサートは、そのクライマックスにおいて、警備の男によって観客が刺し殺される状態になった。

 ただ、ローリングストーンズのメンバーは、このとき、刺殺事件が起こってることには気がついていない。常に騒擾状態だったので、ただの殴り合いなのか、人が殺されたのか、判然としない状態だったのだ。映画「ギミーシェルター」では、チャーリーワッツとともに、ミックが(おそらく映像の編集室で)刺殺される瞬間の映像を確認している。もう一度見せてくれとミックが言うので、われわれももう一度、スローで刺される瞬間(そして手にやたらと銃身の長いリボルバーを持っているシーン)を確認できる。

 1969年冬のオルタモントは、こういうコンサートだった。

 ストーンズはステージを終えたあと(まだ刺殺事件があったことは知らないままであるが)走ってヘリコプターに乗り込み、すぐに現場から離れていった。このまま残っていれば、何が起こるかわからなかった、とサム・カトラーは言っている。たしかにそうだろう。

 これが、1969年の「若者のロックイベント、アメリカの東海岸と西海岸」の夏と冬、明と暗、表と裏である。
 若者たちが企画して、若者のためのロックフェスティバルを催した。
 いままでもいくつかそういう企画はあったが、この2つは規模がちがっていた。

 当事者たちには「新しい若者文化が広がっていく」という舞い上がりがあったとおもう。
 自分たちのオリジナルの文化が、確実に多くの若者たちに広がっていく、という喜びがあった。それは「マリファナを吸えばみんなごきげんになって、みんな仲良くなれるぜ」という側面も抱えていた文化である。すべての連中がドラッグでラリってたわけではないが、ラリってる連中が仲間にいることを、ごくふつうのことだとおもっていた集団である。

 だから、この文化を徹底的に憎んでいた人たちも多かった。
 踏みつけて潰してしまいたいと強く念じていた人たちがいたし、念じているだけではなく、実際に踏みつけにやってきていた。
 アメリカの田舎の保守性は、われわれの想像できるものではない(イギリス人の想像も超えているのではないかとおもう)。

 あらためて、「長髪とマリファナ」「ラブとピース」文化は、一種の破壊の文化である、ということをおもい起こさざるをえない。
 「愛と平和」と言ってるからといって、その信奉者たちがまったく人と争わない平和な人たちだというわけではない。平和な人もいるが、暴力的な人もいる。比率はどの集団でも同じだ。
 破壊する文化に対しては、旧来の文化はまた暴力的に反応する。

 「ラブ&ピース」という文化をきちんと浸透させるためには、銃をもった無理解な連中と戦う必要があった。
 つまり、長髪のヒッピーが自分たちのテリトリーに入ってくれば即座に撃ち殺そうとしている人たちが、たくさんいたのである。銃を持った男たちが囲む現場で、ピース、と二本指を突き出しているだけでは、何も解決しない。
 銃を持って撃ち返すわけにはいかないだろうが、しかし戦う姿勢を見せないかぎり、その文化は守られない。ラブ&ピースという思想は、強く戦わないと勝ち取れない。

 1969年のウッドストックとオルタモントは、ラブ&ピースの表裏を見事にあらわしている。
 ウッドストックはたしかに平和だった。暴力があまり表面化していなかった。
 しかしオルタモントでは、暴力しかなかった。ラブ&ピースは、簡単に暴力を呼び込んでしまうのだ、ときちんと証明されてしまった。
 みんな何となくそうではないかとおもっていたんだろうが、明確に目の前に示されると、とてもショックなポイントである。

 「ラブ&ピースという思想は、簡単に暴力を呼び込んでくる」
 どうしようもない。

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1970年代の見張り塔からずっと

堀井憲一郎

高度経済成長が終わりを迎えた1970年代、若者文化もまた曲がり角に差し掛かろうとしていた。いまのカルチャーはどこまで行ってもこの曲がり角の先にある。日本人はこの曲がり角をいかにして迎え、そして無事に曲がることができたのか? 現代日本を...もっと読む

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