1969年のウッドストックとオルタモント(上)

現代日本の若者カルチャー、それは1970年代にひとつの曲がり角を迎え今に至るまで続いている。日本人はなぜいついつまでも欧米へのあこがれを持ち、その呪縛から離れられないのか。1969年のウッドストックでのコンサートからその源流を検証する。

 70年代の若者文化について、まず、書いている。
 70年代の若者文化へぼんやりとした信奉は、そのまま文化層の底流を流れて、21世紀までその奇妙な影響を与えたのではないか、との考察である。

 その「70年代の若者文化」の直接的な源流は、「60年代の文化的できごと」にある。
 とりあえず「1969年の音楽シーン」から見ていきたいとおもう。1969年の音楽シーンはかなり注目されるものだった。夏と冬に、アメリカの東海岸と西海岸で、大規模なロックコンサートがおこなわれたのだ。このふたつのコンサートから1969年の空気を少し見てみる。

 夏に開かれたコンサートは「ウッドストック」である。
 ニューヨーク州の郊外で開かれたコンサートである。最近はウッドストックフェスティバル、と表記されているものが多い。ただ、70年代の前半、日本ではしきりに「ウッドストック・コンサート」と呼ばれていたようにおもう。(記憶違いだったら申し訳ない)。その、当時の「日本」の空気にしたがって書いていきたいため、ウッドストック・コンサートと書きます。
 ニューヨークに近いエリアで開かれたこの「夏」のコンサートは40万人以上の観客が集まり、(一説によると50万人以上)、三日間にわたり(進行がどんどん遅れ実質は四日間→8月15日の金曜から始まり、16、17をすぎ、18日月曜の午後まで)開かれた大規模なコンサートである。

 ジミー・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリン、CCRにクロスビー・スティルス&ナッシュ、ジョニー・ウインター、ジョー・コッカー、ジョーン・バエズ、サンタナ、ザ・バント、ザ・フーというようなメンバーが出演した。かなり人気だったメンバーである。
 プロデューサーのマイケル・ラングによると、ほかにも、サイモン&ガーファンクルや、ボブ・ディラン、ビートルズにも出演してもらいたかった、と語っている。ボブ・ディランは(かれはウッドストックに本拠を構えていた)実際に会っての交渉もしていた、出演料をきちんと決めて払えばよかったと少し後悔していた。ビートルズはまだ正式には解散していなかったが四人が集まることはほとんどなく、「ラブ&ピース」を標榜したこのコンサートで呼びたかったのは、当然、ジョン・レノンその人であった。(呼んだらもれなくオノヨーコが着いてきただろうが)。

 ただ、ローリングストーンズには声をかけなかった、と明記している。おそらく飛び抜けて人気が高いということだったのだろう。かれらを呼ぶとバランスがくずれる、との判断があったようだ(ビートルズは、そういう判断をされていない)。
 40万人もの若者が集まり、おそらく多くの人がドラッグを吸引し、ないしは酒を飲み(でも食べ物はあまり売られてなかったので腹を減らし)4日にわたり、座席指定どころか座席さえもないのただの野っ原に座り込んで、音楽を聞き、豪雨をやりすごし、平和に過ごした、ということが、のちのち、伝説化する。

 よくまあ、何も起こらなかったものだ、とおもう。敷地内での不幸な交通事故で一人(ねっころがった少年の上をクルマが通ったらしい)一人、ドラッグの過剰摂取で一人死んでいるが、揉めごとや争いごとでの死者は出ていない。

 もともと有料コンサートで、エリア内への入場にはチケットが必要だったのだけれど、どこが有料エリアでどこが無料エリアかもわからなくなったため(柵や金網を壊してラブ&ピースな観客たちは好き勝手に中に入っていった)、やむなくすべてフリーコンサート(観客は入場料を支払う必要がない公演)になった。それが、おそらくもっとも大きな出来事(主催者側としての失態)なのだが、観客にとってはそれはべつだんマイナスではない(「チケットなんか要らないから、おまえも来いよ」と友人に電話する風景が映画に残されている)。
 前宣伝が派手に伝わり、コンサート会場やステージを設営している途中からどんどん観客が集まりだし、気がつくと開演数日前から、十万人単位の人間がすでにコンサート予定会場に座り込んでいるものだから、それからチケットを徴集するわけにもいかなかったらしい。

 何ともいえない時代の空気を感じる。

 もちろん40万人の観客を動員したこの若者のコンサートは当時、話題になったし、日本でも創刊されたばかりの「ニューミュージックマガジン」に成毛滋のレポートが載ったりして、ほんの少しは話題になっていた。ようである。

 ただ、当時の日本とアメリカは、すごく遠い。1ドルは360円だから、レートから考えてもいまより3倍以上遠い、ということになる。実感としてはもっと遠い。一族郎党みんな集まっても、アメリカに行ったことがある、という人を見つけるのはむずかしかった時代である。だから、日本の若者は、ほぼ、このコンサートを見に行ってないはずである。

 「ウッドストック」が有名になるのは、その後、記録映画が大ヒットしたことによる。ライブ録音のレコードもすごく売れた。入場券を取らずとも、じゅうぶんに元が取れた、と言いたいところだが、このコンサートの主催者(マイケル・ラング)の手記を見るかぎり、そうでもないらしい。映画の興行権は、映画会社が巻き上げられてしまい、レコードもいろんなところに所属するさまざまのバンドの演奏が集められたものなので、諸権利はかなり複雑だったらしい。芸能界興行界の金に関する話は、シロウトの想像のおよぶところではありません。

 映画のタイトルは『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』というものだった。

 ウッドストック・コンサートのイメージは、そのおおもとのイベントよりもこの映画の大ヒット(しかもかなりロングランしていた記憶がある)によるところが大きい。アカデミー賞(長編ドキュメンタリー賞)まで受賞している。
 とても多くの若者が集まっていたのに、さほど暴力的なことがおこらず、「ラブ&ピース&ロックミュージック」という言葉どおりのイベントだったことが、いまだにウッドストックが愛情をもって語られる大きなポイントになっている。
 つまり、当時はロック好きの若者が集まれば、もっと暴力的なものになるのではないか、と多くのアメリカ人が危惧していた、ということでもある。

 1969年夏、東海岸の「ウッドストック」は、とても平和な若者の集まりだった。
 まさに「ラブ&ピース」の象徴であった。そしてそれは、おそらくここが頂点だったのだ。


1969年のブライアンジョーンズ脱退、オルタモントの悲劇、
そしてそれと関係なく8月にあった60年代ロックシーンの象徴、伝説の「ウッドストックコンサート」

 1969年「冬」のコンサートはカリフォルニア州、サンフランシスコ郊外の「オルタモント」で開かれた。フリーコンサートである。

 これは、最初から「フリー」だと宣言されていた。無料のコンサートである。
 21世紀から眺めると、十万人単位で人が集まるライブを、しかも政治集会でもなくお茶会でもなく、ふだんは商業的コンテンツとして売られているものを、どうして、「無料」にするのかが、ちょっとわかりにくい。
 本来有料であるものを無料化すると、その観客はとてもノイジーになる。
 簡単に言えば、客の質が落ちる。ガラが悪くなる。無料でありフリーであると、観客の動きもフリーになりがちである。2000円払って見にきている客は、会場のルールに従うし、我慢もするし、勝手に動き廻らないが、金を払わない客は何の責任も感じていないから、自分勝手に動くし、静かにしていないし、すぐ叫ぶし、つまらないと簡単に帰ってしまう。有料客とちがって、ステージに対して何の責任も感じていない。そういう客質の大きな違いがでる。
 売れていないバンドのプロモーションならともかく、オルタモントは、当時、圧倒的な人気を誇っていたローリングストーンズが中心となったコンサートであった。(ウッドストックに呼ばれなかったストーンズである。呼ばれても、出てなかったとはおもうが)。

 なぜ、ローリングストーンズがフリーコンサートを開いたのか。すこし、よくわからない部分がある。

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1970年代の見張り塔からずっと

堀井憲一郎

高度経済成長が終わりを迎えた1970年代、若者文化もまた曲がり角に差し掛かろうとしていた。いまのカルチャーはどこまで行ってもこの曲がり角の先にある。日本人はこの曲がり角をいかにして迎え、そして無事に曲がることができたのか? 現代日本を...もっと読む

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