初版6500部から、まさかの本屋大賞受賞
——この度は本屋大賞受賞おめでとうございました。
宮下奈都(以下、宮下) ありがとうございます。以前から書店員の方々に応援していただいていたので、やっと少しご恩返しできたようでほんとうに嬉しかったです。
6年ほど前に、書店員さんが「各地の書店で同時に同じ本を仕掛けよう」とツイッターで盛り上がり、「本屋さんの秘密結社」が作られたことがありました。そこでプッシュしていただいたのが、なんと私の初めての長編『スコーレNo.4』だったんです。予想もしていなかった出来事で驚きましたが、すごく励みになりました。
その後、2012年には『誰かが足りない』を本屋大賞にもノミネートしていただいて。もう、それだけで十分にうれしかったんですが、今回もそういう書店員の方々が支えてくださったんだと思います。
——授賞式では宮下さんがスピーチなさっているときに、泣いている書店員の方が何人もいらっしゃったのが印象的でした。
宮下 ほんとうにありがたいことで、こっちまでもらい泣きしそうになりました。だから、スピーチの間だけは泣かないように、と自分に言い聞かせて。
『羊と鋼の森』は初版6500部の少部数でしたし、地方在住のこんなに知名度の低い作家が本屋大賞を受賞したのも初めてではないでしょうか。不肖宮下がやっと晴れ舞台に立ったと思うと泣けてきたんでしょうね。
——受賞後、周囲の反応はどうでしたか?
宮下 家族は驚いていましたが、あまりピンと来ていないようです。都会ではなくて福井に住んでいるので、劇的に生活が変わることはなくて。これまでと同様日常を淡々と過ごしています。
ただ、よく行く近くの大型書店で『羊と鋼の森』をタワーみたいに積んでくださっていたんです。その上に羊のぬいぐるみをちょこんと載せて、「宮下さん、本屋大賞おめでとう」ってポップも添えてある。嬉しい反面、気恥ずかしさもあって、つい隠れたくなっちゃいました(笑)。
知らない方から、「受賞おめでとうございます」と声をかけていただくことが時々あるんですが、素直にうれしいですね。ただ、先日、夫とスーパーに買い物に行ったときにウニが半額で安かったのでつい手を伸ばしたら、後ろの方から「本屋大賞の人じゃない?」って年輩のご夫婦のひそひそ話が聞こえてきてドキリとしました。「あの人半額のウニ買ってたわよ」って噂されるなあ、って(笑)。
父が退職金をはたいて、ピアノを購入
——受賞作『羊と鋼の森』では主人公・外村が一人前のピアノ調律師になるための修業の日々が描かれていますが、この職業を選ばれたきっかけを教えてください。
宮下 そもそもの始まりは、私が3歳のときに父から買ってもらったピアノにあります。
父がそれまで勤めていたデパートを辞めてプラスチック加工の会社を起業したんですが、なけなしの退職金を私のピアノを買うために全部使ってしまったんです。余裕があったわけでもないのに、とにかく楽観的な人で、「娘がピアノを弾けたら楽しいだろうな」というくらいの軽い気持ちだったらしくて(笑)。それも当時としては珍しい、赤っぽい木目のアップライトピアノ。
このピアノは、ずっと同じ方に調律していただいていたんですね。私が大学から上京して福井を離れている間も、毎年その方に調律してもらっていました。ピアノの内部に調律した日付の記録が残されていて、数年前にそれを見たらもう40年以上通っていただいていた。
ある時、私が「このピアノは古いですけど、まだ大丈夫ですか」と聞いたら、「まだまだ大丈夫です。このピアノの中にはいい羊がいますから」と言ってくださったんです。ピアノのハンマーは上質な羊の毛を固めたフェルトでできているそうで、昔の羊は栄養たっぷりの草を食べて、のびのびと育てられていたから、毛もつやつやしていると。調律師はこういう言葉で喋るのかと、興味を持ったんです。
この言葉を聞いてから、調律師の世界をもっと知りたくなって、調律師やピアノについて書かれた音楽関連の本を読み始めました。ただそこで知った知識がすぐに具体的な物語になることはなくて、いつか調律師の話を書けたらいいなあと。
「えっ、ありえない……」いちばん近くのスーパーまで30キロ以上
——その調律師との出会いを通して心の中で温めていた思いが、小説というかたちで具体的に動き出したきっかけは何だったんですか。
宮下 2013年4月から1年間、北海道の大雪山の麓にあるトムラウシという小さな集落に家族で山村留学をしたことでした。
夫がトムラウシに住みたいと言いだしたとき、最初は「えっ、ありえない……」と戸惑いました。だって、いちばん近くのスーパーまで30キロ以上もあるんですよ(笑)。でも、家族で話し合った結果、長男が中学を卒業するまでの1年間トムラウシに住むことになりました。
いざ行ってみるととにかく景色が素晴らしかったんです。こういう場所にいると言葉がいらないなと感じながら生活していたのですが、あるときふと、私の好きな音楽も言葉がいらないと気づいたんです。音楽も理屈ではなくダイレクトに感動が伝わるでしょう。言葉にできないもの同士を組み合わせたら小説にできるんじゃないか、と。私の中でその2つがどう結びついたのかいまだにうまく説明できないんですけど、こうしてお話していても、何の説得力もありませんね(笑)。
でもあのときの私は、そう強く感じたんです。たぶん小説って、そういう思い込みから始まるんじゃないかな。
——「別冊文藝春秋」で連載を開始したのは2013年の秋でしたね。
宮下 はい。ちょうどトムラウシの山村留学が半ばにさしかかったころです。それまでの私なら、北海道に住み始めて、すぐにそのことを書くのはちょっと恥ずかしがったんじゃないかと。作家が元を取ろうとしてるみたいじゃないですか(笑)。でもそれ以上に、書かずにはいられない、いま書かないでいつ書くのか、という気持ちが強くなっていました。
私は、思いつきの段階ではなかなか編集者に相談できないんです。出来上がってもいないものを見せるのが恥ずかしくて。でもこのときは素直に相談できました。調律師を主人公に書きたいと編集者に話したら「いいですねえ」と背中を押してくださいました。
最初は調律の師匠と弟子の話を考えていたのですが、ピアノを弾く側の話もほしくて、双子の姉妹を出したくなった。その話をしたときも、すごく反応がよくて「鳥肌が立ちました」って言ってくれて。冷静に考えると、双子が出て来るだけで鳥肌が立つ必然性は全然ないんですけどね(笑)。
大好きな物語で、今まででいちばん手を入れた
——今回は初めて小説のために取材をされたそうですね。
宮下 そうなんです。本格的に誰かに話を聞いたり、現場を訪れたりしたのはこの小説が初めてでした。いちばんたくさん話を聞いたのは、父の買ってくれたピアノを長年見てくれていた調律師さんです。もう40年以上もうちに通ってくださっているから、私も心を開いていろいろ話を聞けたし、その調律師さんも気取らずに話してくださった。
印象に残っているのは、「いい調律のためには、いろんなコンサートやライブに行ったり、なによりも音楽が好きだっていう気持ちがあることが大事だ」とおっしゃっていたことです。私はもっと耳をいたわらなきゃいけない繊細な職業かなと思っていたんですが、「好きだ」という気持ちを優先させた方がいいというのは意外でした。
実は、昨日、息子たちと日比谷野音でNothing’s Carved In Stoneというロックバンドのライブに行ってきました。そのすぐ後にラジオの生出演もありましたし、今日の取材もありますし、支障が出ないように、サンダープラグスっていう音を小さくするだけで全部クリアに聞こえる耳栓をつけるつもりだったんです。でも、やっぱりそれじゃぜんぜん満足できないんですね。最初の曲が始まった瞬間に耳栓をはずしていました! 今日はちょっと耳の調子がよくないんですが、「好きだ」という気持ちを大事にしたのでもちろん悔いはありません(笑)。
その調律師さんは、残念ながら昨年本が刊行される前に亡くなりました。でも、連載は全部読んでくださっていて、「すごくよかったです」と言ってくださったので、とてもほっとしています。
——その他の調律師にも取材なさったんですか。
宮下 はい。名立たるピアニストたちの調律を担当している方にもじっくり話を伺いましたし、女性の調律師さんにも機会をいただきました。その方は「一番大事なのは根気だ」っておっしゃったんです。どんな職業でも、仕事には向き不向きがありますよね。でも、この調律師さんは、自分にとっていちばん大切なのは才能やセンスではなくて根気だと。それを聞いてとても信頼できる気がしました。他の調律師さんに聞いても、異口同音に根気が大事だとおっしゃっていたのが心に残っています。
——作品のなかでも、修業中の主人公がベテランの調律師に、「焦ってはいけません。こつこつ、こつこつです」と諭されていますね。
宮下 はい。膨大な、気が遠くなるようなこつこつから調律師の仕事ができているのが伝わればいいなぁ、と。それと、調律師の方々が音楽家に対して変な遠慮がないのがすごく印象的でした。音楽家と自信をもってやり取りをしている。調律師という仕事は、役割としては裏方かもしれませんが、技術は対等、いえ、それ以上です。誇りを持って音を作っていることに感動しました。
——ところで、作品のタイトルはどのようにして決まったんですか。
宮下 最初に浮かんだのが「羊と鋼の森」というタイトルでした。その後、編集者と相談して20個くらい案を出しましたが、やっぱりこのタイトルがいい、ということになったんです。いま振り返ってみるとタイトルに助けられました。森という言葉のイメージが、自分を引っぱっていってくれた。単行本の校了間際に主人公のセリフで「僕の中にもきっと森が育っていた」という一文をつけ加えましたが、ああ、この文章が書けてよかったと思ったんです。とにかく大好きな物語で、連載が終わってからもどんどん直したくなって、今までになく手を入れた作品になりました。単行本にまとまったときは、すべて書ききったという気持ちでしたね。
ふと値札を見たらなんと数十万! おろおろする私に息子が一言
——宮下さんの小説やエッセイを読むと、日常をしっかり生きるという価値観を大切になさっているように感じます。
宮下 日常を大切にするというか……日常しか生きていませんからね。地道に淡々と生きている人間に、さっと光が射す瞬間がすごく好きなんです。実生活でも心に残るのはそういう経験ですね。
それだけに、本屋大賞をいただいても、これまで通りの感覚で生活していたいという思いがあります。例えば、取材で上京するときに「グリーン車で来てくださいね」と出版社の方から言われても、「そんなのダメ」という自分をどうしても変えられない。慣れないグリーン車に乗ったら、緊張して疲れちゃうかも。私の場合は、これまでの感覚が麻痺したら、たぶん小説も変わってしまうと思います。
それと、子どもに恥ずかしいことをしたくない、という気持ちはあります。意外に、子どもって、親の行動を観察していますから、そういう緊張感はいつもある。とか言いながら、実際は、子どもたちに助けられることばかりで(笑)。実は本屋大賞の授賞式で着る服を探していて、生まれて初めてハイブランドの店に行ってみたんです。福井にはないので、友人と息子と名古屋でライブに行くついでに、とりあえずワンピースの試着だけでも、と思って。でも、試着室でふと値札を見たらなんと数十万円! 冷や汗をかいて、どうやって返そうかとおろおろしている私の横で、息子が笑って「だいじょうぶ、買うと思われてないから」って。
——それは頼もしい。お子さんたちはエッセイにもよく登場しますね。
宮下 何を書いてもたいてい飄々と受け流してくれます。子どもに教えることよりも、たぶん教えられることの方が多いです。
うちは3人とも、いわゆるいい子というわけではなくて、学校で先生に褒められることはきっと多くない(笑)。でも、先生に怒られてもへこんだりしょげたりしない打たれ強い子に育ってよかったなあって。自分で楽しく生きて行く力を身につけてくれればそれでいい。そういう意味ではちゃんと育ってくれたような気がしています。
——トムラウシ移住を発案した旦那さまも、エッセイなどに登場しますがとても魅力的な方ですね。就職活動での面接の際に宮下さんが一目惚れして、猛アタックの末ご結婚に至ったとか。
宮下 はい、若気の至りで(笑)。面接試験の待合室で岩波文庫を読んでいるようなちょっと変わった人で、あまりに異彩をはなっていたので釘付けになってしまったんです。当時は真っ黒に日焼けしていて、ヴィスコンティの映画によく主演していたヘルムート・バーガーという俳優に似ていました。
——お子さんたちとの関係もすごくいいようですね。
宮下 そうですね。最近は子どもたちも大きくなったので、関係も少し変わってきました。夫が変人に見えるときがある(笑)。高校3年の長男に、「受験勉強なんかしているのは人生を無駄にしている」とか言うわけです。自分は受験して大学を出て、若いうちに勉強をさせてもらったのに。「そんなことを言うのはやめてちょうだい」って私は言うんですけど、息子の方が一枚上手なんですよね。「何を言ってくれてもいいよ、勉強したいときに勉強するから」と笑って聞き流していて。うちで一番手がかかるのが夫です(笑)。
昨日の夜は夫と中学1年生の娘が家で留守番でした。その組み合わせで2人っきりで家にいるのは初めてで、夫は張り切って一緒にバドミントンに行ったり、手料理を作ったりしたみたいなんです。ところが夜に娘からLINEが届いたんですよ。そこには、「孤独死しそう」って書いてあった(笑)。言葉の意味は間違えてるんですけど、娘の言いたいことはすごくよくわかる。たぶん、話が通じなくて寂しくて死にそうっていう意味なんでしょうね。それを見たら、きっと夫はショック死するんじゃないかな(笑)。
ちょっと前までは、出張に行くときに「お父さ~ん」と泣きついてベッタリだったのに。でも、娘は自分が変わったんじゃなくて、お父さんが変わったんだと思っているんじゃないかな。あっ、それは私も一緒か(笑)。
*別冊文藝春秋7月号[324号]では、本屋大賞受賞記念エッセイ「これから何を書いていこう。」が読めます。
*後篇につづく/2016年6月27日更新予定
撮影:鈴木七絵