現在アメリカ映画において、スーパーヒーロー作品は広く支持される人気ジャンルのひとつとなった。マーベルコミックスのキャラクター「デッドプール」を主役に据えた本作は、ヒーロー映画としては低予算ながら(本年度全世界公開『X-MEN アポカリプス』の4分の1)*1、作品評価、興行成績ともに大成功。米国において過去に公開された全てのR指定作品(17歳未満の鑑賞に保護者の同伴が必要)のなかで最高の収益を記録する*2など、異例のヒットが続いている。自己中心的で無責任なヒーローというユーモラスな設定が、アメリカン・コメディの明るさと結びついた快作だ。
主人公は、若くして末期ガンを診断された元傭兵、ウェイド・ウィルソン。見知らぬ組織から、ガンの治療法があると持ちかけられた彼は、不審におもいつつもその申し出を受ける。治療によってウェイドはガンを完治させただけではなく、不死身の肉体を持つ超人に生まれ変わったが、副作用として全身の皮膚がただれ、異様な外見に変貌してしまう。くだんの組織は、人体実験を施した被験者を奴隷として扱う、犯罪的な集団であった。組織から逃亡した彼はマスクで顔を隠し、コスチュームを身にまとった「デッドプール」に変身した。彼の目的は、自分を怪物に変えた組織への復讐であった。
何の予備知識もなく映画を見に行った観客は、スクリーンから客席へ向かって 「ハロー!」と呼びかけてくる主人公に戸惑うだろう。原作コミックのデッドプールは、「自分がコミックの登場人物であることを知っているキャラクター」として描かれている。デッドプールはメタ的な視点と自己言及が特徴なのだ。これは映画にも取り入れられ、主人公はストーリーの途中でカメラを通して観客に語りかけ、この映画は予算が足りていない、これから音楽をかけよう、カメラは引きの画になってエンディングだ、などと身も蓋もない説明を始めてしまう。
昨今、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(’13)、『マネー・ショート 華麗なる大逆転』(’15)、米テレビドラマ『ハウス・オブ・カード 野望の階段』(’13〜)などで見かけるようになった「第四の壁を破る」手法である(舞台に立つ役者が、客席の人びとを存在しないものとして芝居を進めるという基本的な約束事を破る行為。舞台と客席のあいだに存在する境界線を「第四の壁」と呼ぶ)。手法として流行化しつつある第四の壁破りだが、本作においては決して表層的な引用にとどまらず、デッドプールの人物造形と結びつきつつ効果をあげている。映画的ルールを壊しながら進むことの解放感。下品なジョークやマニアックな映画ネタなど、観客を笑わせる仕掛けにも事欠かない。しかし、第四の壁を破る演出は、主人公の孤独を表現するもっとも適切な方法として選択されているのではないか。