半間の押し入れが備え付けられた、純和室の六畳間。
これが僕たち福岡芸人に与えられた博多温泉劇場の楽屋だった。
といっても、全部で7つあった楽屋のうち6つはほぼ同じ大きさで、舞台の上手袖に最も近い、席次でいうところの上座にあたる部屋から順に、新喜劇の座長部屋、漫才の看板さん部屋、裏口や食堂へと続く廊下を挟んで僕たち福岡芸人部屋、大阪の若手漫才師部屋、新喜劇の女性部屋、新喜劇の男性部屋がコの字型に続いていて、それぞれの部屋を1、2、6、4、2、3という基本定員数が使っていた。
ひとつだけタイプが違う端っこの角部屋は、隣にあったトイレとの兼ね合いだろう、いびつな三角の形をした4畳半で、そこには新喜劇のとある中堅芸人さんが常に閉じこもっていた。
基本的に新喜劇の座長さんは週替わりで、各公演につき1組ずつ来ていた漫才の看板さんと大阪の若手漫才師が3~4日交代。
新喜劇の座員さんは平均で2週間ほど滞在し、僕ら福岡芸人と、大阪の若手漫才師部屋に足されていた2人の芸人が1ヶ月間ベタ付きという布陣で、隔月の吉本特別公演は回っていた。
大阪の若手漫才師部屋に足されていたのは、博多淡海さんのお弟子さんの沢貴幸さんと、間寛平さんのお弟子さんの玉村文太さん。
沢さんは二枚目俳優のような顔立ちの男前芸人で、玉村さんはその名の通り、名優・菅原文太さんの顔そっくりさん芸人。
ふたりとも数年前に大阪で開催された「吉本新喜劇・金の卵オーディション」なるものに合格して新喜劇に入団したものの、当時はオーディションという形式に異議を唱える芸人さんもいたらしく、ひとまず淡海さんと寛平さんの弟子というか、身の回りのお世話をする付き人になるという裏技を使って、沢さんと文太さんは自分たちの居場所を確保している様子だった。
オーディションの時に聞いていた話と、全然違う。
吉本に入ってみたら、イメージと全く違う。
たまにそうボヤいていた沢さんと文太さんに僕は猛烈なシンパシーを感じ、また、向こうも僕たち福岡芸人に同じ匂いを感じたのだろう。
ふたりはこの世界のしきたりや雑用の全てを、懇切丁寧に優しく教えてくれた。
福岡吉本の1期生で先輩がひとりもいなかった僕たちにとって沢さんと文太さんは、ずっと待ち焦がれていた頼もしい「お兄さん」だった。
朝起きて、まず向かうのは食堂である。
もちろん朝食を食べに行くのだが、本来の意義はとっくに失われていた。
というのも、食堂を利用するのは近くのホテルに泊まっている座長さんと看板さんを除いた、楽屋に寝泊まりしている全ての芸人さんで、そんな芸人さんのために、劇場に住み込みで働いていた棟梁の奥さんが毎日朝食を準備していたのだが、決められた時間を守れない、いや、守らないのが芸人の性である。
朝8時の朝食タイムにちゃんと食堂へとやってくる人はごく稀で、ほぼ全員がバラバラの時間に朝食を採ろうとするものだから、売店の業務も抱えていた奥さんは早々にサジを投げてしまっていた。
「大衆演芸の人たちは、ちゃんと来るばい」
「朝の8時って吉本から言われたとよ」
「他の仕事もあるとに、いつまで待たないかんと?」
博多温泉劇場の公演は大衆演芸が基本であり、その世界にずっと寄り添ってきた奥さんだったから、時間にルーズな芸人なんて考えられなかったのだろう。
朝食以外のあらゆる場面でも、奥さんは何かにつけては大衆演芸を引き合いに出し、芸人のだらしなさを嘆いていた。
それでも多くの先輩たちは奥さんの言うことに聞く耳を持たなかったから、下っ端の僕は常に板挟み状態で、自分が怒られているわけではないけれど、延々と愚痴られるのも決して気持ちの良いものではなく、いつしか僕は双方の妥協点を探し出しては、何らかの打開策を提案する役割を、なぜか自然とこなすようになっていた。
結局、朝食の準備は今まで通り奥さんがやる代わりに、配膳や後片付けは全て福岡芸人が担うという方向で、この問題は解決した。
だから起床後は食堂へ直行し、まずは本日のメニューを把握する。朝食を済ませると、先輩たちが起きてくるかどうか、うっすらと周囲の気配を伺いながら、楽屋前の廊下と舞台の掃除に取りかかる。
人影が見えたら食堂へ急行し、先輩方に朝食を配膳。
少しばかりの世間話に付き合い、先輩が食べ終わると急いで食器を洗ってから、掃除の続きに舞い戻る。
廊下と舞台の掃除が終わったとしても、まだ各楽屋の清掃と、先輩方が舞台用の化粧をするために使っているスポンジを全て手洗いするという日課が残っていて、それ以外にも簡単な買い物や用事を頼まれることも多く、そんな時に限って食堂へ向かう先輩が不意に現れるものだから、毎日の雑用は綱渡りの連続で、僕はそこら中にモップをかけながら、小忙しく走り回っていた。
慢性的な人手不足、その原因は明確だった。
最初の内はみんなで雑用をやっていたのに、いつの間にかそれは僕とケン坊の仕事という空気になっていて、ほぼ全ての雑用が僕たちにふたりに押しつけられたのだ。
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