世界初の女子のプロレスを!
里村明衣子ほど、孤高という言葉が似合う女子プロレスラーはいない。
壮大なテーマ曲が流れ、ゆっくり里村が花道を歩いてくる。157センチとレスラーとしては決して大きくない身体が、遥かに大きく見える。和服をモチーフにした真っ赤な重厚なガウンの両手を広げ、会場を見回す。そしてリングイン。対戦する誰もが「とにかくまずはあの目が怖かった」と口にするほどの眼力で、相手コーナーの選手を射すくめる。
けれどいま私の目の前に座っているのは、おっとりとしたよく笑う女性である。その大きな目はリング上同様に魅力的だが、その柔らかな雰囲気はリングの上とはかけ離れている。
「当たり前だと思っていました」
そう言って里村はにっこりと微笑む。私が、「誰が見ても長与選手の後継者と目されることについて、喜びやプレッシャーはあったのか」と尋ねた時のことだ。その言葉の強さと、穏やかな声のギャップに、返す言葉が見あたらない。彼女は常に私の問いに淀みなく、はっきりとした言葉で答えてくれる。
里村明衣子は1995年、長与千種率いるGAEA JAPAN(ガイア・ジャパン)で旗揚げと同時にデビューし、「脅威の新人」と言われたGAEA1期生の中でも図抜けた存在だった。あれから20年が経ちいま、彼女は仙台で「センダイガールズプロレスリング」という女子団体を率いている。東京から離れ新人を育て、同世代の選手とも距離を置いて、ひとり女子プロレス界の横綱として静かに君臨している。
新潟で生まれた里村は、中学生の時に姉に連れられて新日本プロレスの試合を観戦するまで、プロレスというものを知らずに育った。これもまた姉の影響で3歳から柔道は習っていたものの、争いごとや喧嘩は嫌いで、ずっと女優になりたいと願っていた。そんな少女が新日本プロレスを見た瞬間に「ああ、この世界しかない!」と心動かされて、次の瞬間に考えたのがこれだった。
「世界で初めての女子のプロレスを作ろうと思ったんです」
プロレスの存在自体を知らなかった里村は、当然女子プロレスというものが既にこの世にあることも知らなかった。しかしいくら知らなかったとはいえ、14歳の少女が世界で初めての女子のプロレスラーになるんだ、と決意するあたりに既に里村の非凡さが見える。里村はこれまでも、女子の柔道部がなかった中学に女子柔道部を自ら設立したことがあり、少女の頃から自らの手で運命を切り拓いていく強さがあった。