電気サーカス 第64回

常時接続の黎明期。『テキストサイト』をはじめた"僕"は、友人や、高校を入学直後に退学した真赤と気ままな共同生活を送っていたが、生活費をかせぐためOA機器の修理会社に就職。体調を崩したりしながらも、何とか仕事を続けていた。

「いやあ、今日は眠たくって仕方ないよ。昨日夜遅くまでメールのやりとりをしていたからさ。ほとんど眠れなくってね」
 そう言うヤオイタさんは、派手な黄色のネクタイをしていた。この人はいつも高級なスーツを身につけ、いくつもの眼鏡を使い分け、身だしなみに気を遣っている。徒歩組だから、僕と同じように、客先を回るだけでもへとへとになるはずなのに、よく毎日こう整えていられるものだ。
「おれは寝たかったんだけれど、相手がなかなかメールをやめようとしないから。まったく、困っちゃったよ。しつこくってさあ」
 ヤオイタさんは自分で言って、自分で笑う。その声が、朝の静かな部屋に響いた。
 エレベーターを降りた左手のスペースには空気清浄機が設置され、喫煙所として利用されており、朝と夜にはいつも数人が集まって煙草をふかしている。今も、始業前の一服をすべく、社員たちが集まって気怠い雑談をしていた。
 僕も眠い目を擦りながら、自分の煙草をくわえている。
「メールなんか、誰としてたのさ」
 アラガキさんが、尋ねて欲しそうなヤオイタさんの態度を察してか、面倒そうにしながらも言った。
「こないだ一緒に行ったお店の女の子だよ。覚えてるかい? 新宿の、あのオレンジのドレスを着てた子」
「覚えてないな」
「ほら、二十歳って言ってた、一番可愛かった子だよ。店ではナンバーに入ってるんだって自慢してたじゃない。そんな人気があるような子が、しつこくメールして来るなんて、営業にしたって、熱心なものだねえ。おれは何度も寝たいって言ったんだけどさ。相手がそのたんびにちょっとだけ話したいって言うから」
「それは凄いですねえ。そういう場所って行ったことがないんですが、そんなこともあるものなんですね」
 ミタ君が素直に感心したような声をあげる。
「いやあ、何をあんなに気に入ってくれたんだろうねえ。今日の夜もまたメールするって言ってたし、あまり営業熱心なのも困っちゃうな。あははは」
「楽しそうでいいなあ。おれなんか、最近は全然いいことなんかなくなっちゃったよ。何かあればいいんだけれどねえ」
 キサラギさんはそう言って、ため息をつく。
「だったら、今度キサラギさんも一緒にその子の店に遊びに行こうよ。アラガキさんと三人でさ」
「そうかなあ。つれて行ってくれるって言うなら、行こうかなあ。でも、あまり金を遣いたくないんだよなあ」
「たまにはいいじゃない。キサラギさんも嫌いな方じゃないでしょう?」
「そうだけど、どうしようかなあ。ナベヤマ君も行く?」
『ナベヤマ』というのは、マトバさんがつけて、会社で普及した僕のニックネームだ。顔が似ているというタレントの名前を二度もじったものだが、すでに原型を失ってしまっている。
「それは面白そうですね。機会があれば、行きますよ。行ったことないですし」
「水屋口さんはそんなところに行っちゃだめですよ。真赤ちゃんが怒りますよ。だからキサラギさん、代わりにおれが行きましょうか?」
「いや、ミタ君は来なくて良いよ。きみが来ると女の子はみんなそっち行っちゃうから、面白くない」
 ヤオイタさんはわざとらしく顔を顰めた。

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電気サーカス

唐辺葉介

まだ高速デジタル回線も24時間接続も普及しておらず、皆が電話回線とテレホーダイを使ってインターネットに接続していた時代。個人サイトで自己表現を試みる若者達がいた……。

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