子供たちは、無限の可能性を持っている。
息子はなぜ、東京大学に合格できたのだろうか。
幼いころから東京大学を目指していたとしても、合格できたのだろうか。
息子が幼いころ、私は息子を東京大学へ進学させようなどとは微塵も考えていなかった。ただ、笑顔で生きていけることだけを願った。そして、自分の人生を自分の手で切り開いていけるだけの自信を身につけさせようと思った。それができれば、『親としての役目』は果たせるのではないかと考えていた。
高校入学以来、好き勝手な生き方をして、勉強をほとんどしてこなかった私が息子に教えられることは少ない。私が『教える』のではなく、息子自身が持つ可能性を引き出したい。『考える』ことを大切にして、『考える』時間を与えるように接してきた。
私は子供のころ、母の望むように、感情を押し殺しながら生きた。子供は親の望むように生きる。親の気持ちを推し量る。子供はみな、親に好かれたい。自分に目を向けてほしい。そして褒められて、抱きしめられたい。だから、子供たちは親の望むようにしようとする。たとえそれがつらく悲しいことだとしても。親が望むなら。
子供たちは、親も気づきにくい無限の可能性を持っている。その子供たちの持つ無限の可能性を引き出すことができるのは、親や先生といった身近な大人たちだ。引き出すと言っても、それほど難しいことではないように思う。
子供を信じて、子供の声を聴き、寄り添って見守ることで、子供の無限の可能性は引き出される。赤ちゃんは、手にしたいものを見つけると手を伸ばす。手を伸ばしても届かなければ、背伸びをする。そしてそのものを手にすると、必ず天使のような微笑みで親のほうに振り向く。そこに見守ってくれている親がいることをわかっているからだ。
子供たちは振り返ったとき、そこに見守る親がいるから、安心して手を伸ばし背伸びをする。手を伸ばし背伸びすることで、子供たちは成長していく。そこに見守ってくれる親がいるから成長していくのだ。
うまくいかなかったときでも、抱きしめてくれる親がそこにいるから挑戦できる。挑戦することで、それまでうまくできなかったことがうまくできるようになる。そしてまた、新たなことに挑戦する。すぐにはうまくできないことでも、それまでの経験を生かし、自分で考え、繰り返し挑戦することでいずれできるようになっていく。
そして、できるようになると子供たちは、見守る親のもとへ駆け寄ってくる。抱きしめてもらうために。
子供たちは、身近な大人の愛を実感できれば、自分の持つ無限の可能性を伸ばそうとする。子供たちの無限の可能性を信じる大人たちの期待に応えようとしていく。子供たちの『やる気』を引き出すことが、身近な大人の役目なのだ。口で言うだけでなく、大人自らの行動、自らの『背中』で語ることが重要なのだと思う。
安心感があれば、子供は勇気を持って歩みだす。
できないことは、悪いことではない。
間違えること、失敗することはいけないことではない。
大人たちにとっては簡単なことでも、子供たちにはできないことは多い。大人たちも振り返ってみれば、はじめからそれができたのかといえば、そうではない。大人たちもはじめてのときは失敗していた。しかし、ときがすぎ大人になると、まるではじめからできていたというように、『失敗したこと』を記憶の中から消し去る。だから、子供ができないことが許せない。失敗が許せない。
子供たちに『失敗を恐れずに挑戦する勇気』を持たせることができれば、子供たちは無限の可能性を発揮する。その『勇気』を持つためには、身近な大人に見守られている、愛されているという『安心感』がなくてはならない。子供たちに「失敗しても大丈夫」と思わせることが必要なのだろう。
残念ながら、子供のころの私には、その『安心感』がなかった。愛されていると実感できなかった。勇気を持つことができなかった。「甘えていた」と言ってしまえばそれまでだが、正直なところ、それどころではなかった。身近な大人を信じることができなかった。
この続きは有料会員の方のみ
cakes会員の方はここからログイン
読むことができます。