インターフォンを押して、社名を名乗る。ここで使うのは、僕が属している派遣元でもなく、ミタ君などが属す派遣先でもなく、大本の業務を委託しているメーカーの名前である。誰でも知っているその大企業の名を、まるで自分が所属しているかのように使うのは騙しているようで気がひけたが、それが社会というものなのだろう。相手は勿論そんな詐称には気づかない。お待ちしておりました、と、丁重な言葉で通してくれる。
オフィスの中は、壁も天井も、何もかもがオレンジばかりで、間接照明しかないものだから、薄暗い。不規則に置かれた机の上には、おきまりのアップル社製PCが設置され、若い男女が仕事をしている。体にぴったりとしたカラフルなボーダーのロングTシャツを着た担当者の案内に従って、狭いらせん階段を上がってゆくと、そこは広いロフトになっており、ネットワークで繋がれたA3カラーレーザープリンターが置かれていた。
白っぽい配色といい、サイズといい、旧式の洗濯機に似たその機械は、購入するとなるとそれなりに値が張るようだが、対象製品が高価だからといってベテラン作業員が派遣されるわけではない。むしろサイズが大きく、部品も大く出来ているため、僕ら新人でも扱いやすい機種とされている。実際僕も最初の頃はこの機械と、A4モノクロレーザープリンターの分解と組み立てばかりやっていたので、時間さえかけれロータリーフレームだって一人で取り出すことが出来る。
ロータリーフレームというのは、機械の中央で回転する巨大な金属フレームである。四色のトナーをはめ込むようになっており、回転しながら転写ベルトに一色ずつ乗せてゆくのがその役割だ。
機械の中枢に固定されている巨大なパーツであるため、ほぼ全てのユニットを取り出さなければ、取り外すことが出来ない。レーザーユニットだの、ディベロッパーだの、牛の解体で言えば、肝臓だの腸だの、そういった内臓を一つずつ摘出し、肉をはぎ取り、そうしてほとんど骨だけとなった状態から、最後に腰骨を手に入れるようなものだ。
この一ヶ月間で、なんとか僕はこのロータリーフレームの取り外しを行い、そして組み直して動作させるというところまでは出来るようになった。もっとも、十回挑戦して全部成功させられるかと言えば、微妙なところだが。さらに言えば、分解と組み立てが出来るというだけで、全てのパーツの役割を理解しているわけでもないのだが。
とまれ、今回原因として疑われている定着器の交換というのは、そのロータリーフレームの取り出しとは比較にならないほどに容易い仕事であった。
ユニット丸ごとを交換して良いのならば、数本のネジを外し、電流を供給するハーネスを外し、信号を送るハーネスを外し、そして新しいものを逆の手順で取り付ける。ものの五分もあれば終了だ。
もし定着ユニットのなかのヒートローラだけを交換しなくてはならないというのならば厄介な作業になるけれども、そういったややこしい案件はまだ僕にはまわってこない。
交換に使うパーツは、すでにマトバさんの手配したバイク便によって届けられている。ということは、プリンターについていた方のパーツをバイク便に渡し、会社に持ち帰って貰うことが出来ないわけだ。待ち時間がないのは気楽だが、荷物が増えると思うと気が重い。
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