僕:数学が好きな高校生。
テトラちゃん:僕の後輩。好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。
ミルカさん:数学が好きな高校生。僕のクラスメート。長い黒髪の《饒舌才媛》。
テトラちゃんの《もやもや》
僕「テトラちゃん、今日も熱心だね」
テトラ「あっ、先輩! いえ、あの、やっぱりあたしは、どうも考える力が低いようです」
僕「そんなことないよ! テトラちゃんはいつもしっかり考えるじゃないか。誰よりも粘り強いし、それになかなか納得しない」
テトラ「ありがとうございます。でも、あたしが納得しないのは、頭が問題についていけてないからで……」
僕「どんな問題を解いているの?」
テトラ「いえいえ、何か問題を解いているわけではなくてですね、ミルカさんのお話を思い出して、《もやもや》しているだけで……」
僕「まあ、ミルカさんは難しい話もぽんぽんと出してくるから」
テトラ「そうなんですが、あたしが気になるのは、本来ならあたしが《わかるべき話》なんじゃないか、と思うときなんです」
僕「どういうこと?」
テトラ「つまりですね。お話ししている内容がとっても難しくて高度なときには、『うわわわ』とは思いますが、『もやもや』とは思いません。 でも、とても簡単そうに見えるけれど、あたしにはよくわからないとき、 そんなときに《もやもや》するんです」
僕「いまのテトラちゃんの話で、僕が《もやもや》しているけど……具体的には、ミルカさんのどんな話のことだろう」
テトラ「あっ、そうですよね。あたしが気になっているのは、《デデキントの切断》の話です」
僕「ああ、そんなおしゃべりしたよね(第156回参照)。
要素に大小の順序が定められている集合$X$に対して、 以下の性質すべてを満たす集合$A,B$を考える。
(1)$A$も$B$も空集合ではない。 $$ A \neq \{\}, B \neq \{\} $$
(2)共通部分は空集合。 $$ A \cap B = \{ \} $$
(3)和集合は$X$全体。
$$ A \cup B = X $$
(4)$A$の任意の要素$a$と、$B$の任意の要素$b$に対して、 $$ a < b $$ が成り立つ。
このとき、順序対$(A,B)$を$X$の切断と呼ぶ。
テトラ「はい……そして《有理数全体の集合》の切断$(A,B)$を考えて、その切断一つを《実数》とみなすことができる。そういうお話でした」
僕「そうだね。ええと、そうそう、集合$A$の最大値$\max A$と、集合$B$の最小値$\min B$が存在するかどうかを考えたんだった」
テトラ「そうです。あたしはノートに整理しました」
→ これは、ありえません。有理数全体の集合は稠密だからです。
(ケース2)$\max A$は存在する。$\min B$は存在しない。
→ これは、有理数になります。$\max A$がその値です。
(ケース3)$\max A$は存在しない。$\min B$は存在する。
→ これも、有理数になります。$\min B$がその値です。
(ケース4)$\max A$は存在しない。$\min B$も存在しない。
→ これを、無理数とみなします! 白丸と白丸の切断、その境目です!!!!
僕「テトラちゃんの《秘密ノート》登場だね。白丸と白丸……?」
テトラ「あたしのイメージはこうなんです」
僕「なるほど、なるほど。確かに白丸だね。なんだ、テトラちゃんはすごくよくわかっているよ。僕よりもちゃんと整理してわかっている」
テトラ「ちがうんです。問題はここからです。あたしはこの(ケース4)で『はてな?』と思いました」
僕「……」
テトラ「たとえば、$(A,B)$という切断で$\sqrt{2}$という無理数を表せるというんですよね?」
僕「そうだよ。《$\sqrt{2}$よりも小さな有理数全体の集合》を$A$として、《$\sqrt{2}$よりも大きな有理数全体の集合》を$B$とすればいいよね。 そうすれば、僕たちの手元には有理数しかないのに、 $(A,B)$は$\sqrt{2}$という無理数を指し示していることになる。おもしろいよねえ」
テトラ「ほんとうにそうなんでしょうか?」
僕「というと?」
テトラ「いま、あたしたちは有理数しか知らないんですよね。それなのに、《$\sqrt{2}$よりも小さな有理数全体の集合》を$A$として、 《$\sqrt{2}$よりも大きな有理数全体の集合》を$B$とすればいい……というのは、 おかしいんじゃないでしょうか。だって、知らないはずの無理数の$\sqrt{2}$を持ち出してきています!」
僕「ああ、それは言葉の綾というか、話を先取りしているだけで、実際には《$\sqrt{2}$よりも小さな有理数全体の集合》を$A$とするわけじゃなくて、 《有理数を$2$乗したときの値》を使うんだよ。そうすれば$\sqrt{2}$という無理数は表には出てこない」
テトラ「あ! 確かに、そうすればいいですね! ということは、$A$は、《$2$乗したら$2$よりも小さくなる有理数全体の集合》と定義すればいいんですね!」
僕「惜しいけど、条件が抜けているよ、テトラちゃん。負の数のことを忘れている。$A$は、《$0$よりも小さいか、$2$乗したら$2$よりも小さくなる有理数全体の集合》だね」
テトラ「あちゃあ……そうですね。と、ともかく、そこまでは理解しました。$\sqrt{2}$という無理数を持ち出さなくても大丈夫と」
僕「うん。それに、実数は$\sqrt{2}$のように、方程式の解として得られる数とは限らないから、$1.41421356\cdots$のように無限に続く数字列で考えた方がいいかもしれないけどね。 これで、テトラちゃんの《もやもや》は解決したの?」
テトラ「はい! 一つ目の《もやもや》については!」
僕「おっと、まだあるんだ」
二つ目の《もやもや》
テトラ「《有理数全体の集合》を切断して実数を作るというお話の中で、$\max A$と$\min B$のどちらも存在しないときが無理数に対応していましたよね」
僕「そうだね。テトラちゃんのノートでは(ケース4)と書いていた」
テトラ「でも、ほんとうにこれで実数が決まるんでしょうか」
僕「うん、決まると思うけど。テトラちゃんは何を気にしているの?」
テトラ「あたしが気にしているのは……あのですね、(ケース4)の切断で決まる無理数が《唯一》である保証はどこにあるのかということです」
僕「おお!」
テトラ「はい。(ケース4)の切断で有理数以外の何かを決められるのはわかります。少なくとも有理数は決めていません。 でも、それを無理数としたとしても、その数が《たった一つ》に決まるとどうしていえるんでしょうか。 もしかしたら、$(A,B)$というひとつの切断で、二つの無理数が決まるかもしれませんよね? そこが《もやもや》しているんです!」
僕「なるほど……」
テトラ「でも、先輩! 不思議です。先輩にこうやってお話ししていると、それだけで何だか心が整理されていくようです。 ひとりでずっと考えているのとは違いますね」
僕「人に話すと整理されるからね……ところで、テトラちゃんのその疑問については、以前議論しなかったっけ。 ほらテトラちゃんが(ケース4)がありうるかどうかを気にして」
テトラ「それは、(ケース4)がありうるかどうかの話だったと思います。もう(ケース4)がありうるのはわかります。 あたしが悩んでいるのは、(ケース4)の切断$(A,B)$で、 $A$と$B$の間に入る無理数が《複数個》存在することはありえないのか、ということなんですが」
僕「そうか……いやいやわかったぞ! それは簡単な話だよ。複数個存在することは《ない》ね。証明もできるよ」
テトラ「そうなんですか!」
僕「$A$と$B$の間に入る二つの無理数があったとする。ちゃんというと、 $$ \max A < a < b < \min B $$ という無理数$a,b$が存在したと仮定する。そういうことだよね?」
テトラ「そうです、そうです! 切断$(A,B)$で、$A$と$B$の間には複数の無理数があってもおかしくないです! $2$個の無理数といわず、 無数の無理数があいだに入るかも知れませんし!」
僕「$a$と$b$を具体的に書くと、たとえば、こんなふうになるはずだよね。$\clubsuit$と$\diamondsuit$は《どこか》が違う数字列として」
$$ \left\{\begin{array}{llll} a &= 1.41421356\underbrace{\cdots}_{\clubsuit} \\ b &= 1.41421356\underbrace{\cdots}_{\diamondsuit} \\ \end{array}\right. $$テトラ「……はい、そうです。$a < b$ということは、$a \neq b$ですから、$a$と$b$の数字はどこかで違っています」
僕「テトラちゃん、そこだよ。いまテトラちゃんが言ったことに証明のカギがある。無理数$a$と$b$を書き表したとき、どこかの桁で初めて数字が違うなら、その桁に注目すればいい。こんなふうに」
$$ \left\{\begin{array}{llll} a &= \underbrace{1.41421356\cdots}_{\heartsuit}4\cdots \\ b &= \underbrace{1.41421356\cdots}_{\heartsuit}5\cdots \\ \end{array}\right. $$僕「いまは仮に$a$は$4$で、$b$は$5$としたけど、なんでもいいよ」
テトラ「この$\heartsuit$の部分はすべて同じ数字列ということですね……だめです。やっぱり、あたし、考える力、弱いです。やっぱり$a$と$b$以外にも無数の無理数があるとしか思えません」
僕「《求めるものは何か》だよ。僕たちはいま、何を求めているんだろう」
テトラ「無数の無理数……」
僕「じゃないよ。僕たちは、$\max A < a < b < \min B$という$2$個の無理数が存在するという仮定からスタートした。僕たちは《背理法》で証明しようとしているんだよ?」
テトラ「あっ、矛盾です! あたしたちは矛盾を求めているんです! ……でも、やっぱりわかりません」
僕「《与えられているものは何か》はどうだろう」
テトラ「あたしたちに与えられているもの……それは切断$(A,B)$です。《有理数全体の集合》を$A,B$に分けました」
僕「ということは、$a$と$b$のあいだに有理数は存在しないはずだよね?」
テトラ「それはそうです。モーセが海を分けたように、有理数は左右にわかれて……わかれて……わかりました! さっきの《数字が変わる桁》ですね!」
僕「そうそう」
テトラ「$b$の《しっぽ》を切ってしまえば、有理数$c$が作れます! すると$a < c < b$になりますから、$c$は$A$にも$B$にも属しませんね……有理数なのに!」
$$ \left\{\begin{array}{llll} a &= \underbrace{1.41421356\cdots}_{\heartsuit}4\cdots && \text{無理数} \\ c &= \underbrace{1.41421356\cdots}_{\heartsuit}5 && \text{有理数を作った} \\ b &= \underbrace{1.41421356\cdots}_{\heartsuit}5\cdots && \text{無理数} \\ \end{array}\right. $$僕「そうだね。いまは$4$や$5$という具体的な数でやっちゃったけれど、それで証明はおわりになるよ」
テトラ「なるほどです! こういうことですね」
- $\max A < a < b < \min B$を満たす無理数$a$と$b$があると仮定します。
- $a$と$b$を小数で表記したとき、どこかで初めて数字が異なる桁があります。
- $b$の、その桁以降を切り捨てた数$c$を考えれば、$c$は有理数になります。
- $c$は有理数なのに、$A$にも$B$にも属しません。
- ということは$(A,B)$が《有理数全体の集合》の切断であることに矛盾しています。
- ですから、仮定のような無理数$a,b$を得ることはできません。
僕「そうだね。これでテトラちゃんの《もやもや》は解決……どうしたの?」
テトラ「情けないです……。こんなに簡単なことなのに、どうして自力で解決できないんでしょう。切断、有理数、無理数、背理法、あたしはわかっていたつもりなのに。 先輩の答えを聞いたあとは、もう『あたりまえ』としか思えないのに、 どうして、あたしは、答えを聞くまでわからないんでしょう」
この連載について
数学ガールの秘密ノート
数学青春物語「数学ガール」の中高生たちが数学トークをする楽しい読み物です。中学生や高校生の数学を題材に、 数学のおもしろさと学ぶよろこびを味わいましょう。本シリーズはすでに14巻以上も書籍化されている大人気連載です。 (毎週金曜日更新)