電気サーカス 第60回

 常時接続の黎明期。『テキストサイト』をはじめた"僕"は、友人や高校を入学直後に退学した真赤と共同生活を送っていたが、貯金が底をつき就職を決意。オフィス機器の修理会社で働くことになり、苦手な満員電車に揺られる日々を過ごす。

 朝起きた時から具合が悪くてたまらない。じっとしているのに風景がゆらゆらと揺れて、足下は感覚が薄くて綿の上に立っているよう。喉がひりひりと痛み、口の中に苦い味がする、のは、向精神薬の副作用かもしれないが、とにかく体全体に違和感があって、洗面台の前に立つと、顔の中心に赤い発疹がいくつも出来ている。
 これは世に言う蕁麻疹というやつじゃなかろうか。食べ物やら薬やらのアレルギーで起こると聞いたことがあるけれども、僕は昨日なにを食べたっけ? トンカツだったかな。しかし、今までの人生で何度もトンカツを食べたにもかかわらず、こんな事態が発生したことはない。とすると、それが原因だとは思えない。薬だって、昨日は常備のものしか服用していないはずだ。体質が、いつの間にか変化してしまったんだろうか? それとも、疲労のせいで、抵抗力が弱くなっているんだろうか。いずれにせよ、なんで、よりによってこんな日に。今日だけは絶対に休めないというのに。
 今日は五月一日の火曜日であった。ゴールデンウィークに挟まれた出勤日で、こんな日に休んでしまったら、ああ、あの野郎、仮病なんぞ使って己の手で大型連休を作り上げやがって、と、会社の皆は思うだろう。本当に病に伏せっているのに、そう思うだろう。
 これまで、僕は仮病を使って不正に欠勤をしたことは何度かあった。いや、正直に告白するならば、むしろ新人としてはあり得ぬような頻度で休んでいると言っていい。会社ではすっかり虚弱の新人という立場が与えられ、気がつけば、電話一本で簡単に休みが貰え、しかも心配の言葉さえかけられてしまうようになっている。この甘い環境はさらに僕の欠勤癖を加速させ、研修期間中であるにも関わらず、社会人意識は既に危機的状況に陥っているというような有様であった。
 だから、仮病で休むということ自体に罪悪感があるわけではない。しかし、いや、だからこそ、今日は休みたくはなかった。正真正銘の病気だとしても、絶対に休みたくなかった。それが、僕のプライドというものだ。
 なぜならば、今日休むことによる付加価値が、余りにも大きすぎる。今日明日と休めば、分断されていたゴールデンウィークが連結され、恐るべき連休を手にすることが出来てしまう。それはいくらなんでもやりすぎだ。僕はほどほどのずると、ほどほどの我慢は自分の人生に認めているけれど、大きいものはどちらにせよ好きではない。罪悪感がある。
 だからこそ僕は、今日だけは、何があっても休むまいと決めていた。なのに、よりによって本当に具合が悪くなるだなんて、どうしたものか。
「休めばいいじゃん。家で寝てなよ」
 と、真赤は繰り返す。まったく僕の考えが理解出来ないようだ。
 まあ確かに、そうだろう。普段仮病で休んでるくせに、こんな時には無理に出勤しようとするだなんて、いくらなんでも人格が破綻している。前述のように、僕なりに理屈はあるにはあるのだが、それを踏まえても、やはりおかしい。しかし、これが人間の性分というものだ。どうにもならない。
 とまれ、そんな訳で僕は、くそうくそうと、自分の体を励ましながら出社をしたのである。

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電気サーカス

唐辺葉介

まだ高速デジタル回線も24時間接続も普及しておらず、皆が電話回線とテレホーダイを使ってインターネットに接続していた時代。個人サイトで自己表現を試みる若者達がいた……。

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