棋士とメシ

名人の昼食を予想する

将棋に関わるクイズにおいて、出題される問題の定番であるのが、棋士の「次の一手」を予想するというものです。名人戦第4局では、「名人の昼食を予想する」という一風変わった「次の一手」が出題されました。連載の執筆者として外すわけにはいかない立場にいる松本記者、その予想の過程と正解や如何に。


2008年名人戦第6局1日目、羽生現名人の昼食はカレーライス

 将棋四百年の歴史において最強とも称され、また、現代の知性を代表する存在とも称される、羽生善治名人。その羽生名人の指す手を予想するのは、どれほど難しいことだろうか。

「名人の手なんて当てられるわけがない」

 と思う人も多いだろう。何のヒントもないとすれば、そうに決まっている。
 では、棋士の解説や、強いコンピュータソフトの予想、過去のデータなど、ありとあらゆるものを参考にすることができる、という前提ならばどうか。ならば案外、当てられそうに思えてくるだろうか。

 一方で、羽生名人の食事を予想するのは、どれぐらいの難易度だろう。

「名人も人間。ならば、何を食べるのかは予想できそう」

 そう思われるだろうか。簡単そうでもあり、実は意外と難しそうでもある。盤上、盤外、いずれも無限に近い可能性が秘められている、という点においては、同じだろう。

 羽生善治名人(45)に佐藤天彦八段(28)が挑む名人戦七番勝負の第4局は5月25・26日、広島県福山市の福寿会館でおこなわれた。挑戦者の佐藤が先手で、戦形は横歩取りだった。1日目は羽生が54手目を指したところまで進み、18時過ぎ、佐藤が「封じ手」をすることになった。

 封じ手とは、指す順番(手番)の側が、次の手を紙に書き、秘密にしたまま封筒にしまい、後で開封してその手を指す、という制度である。2日制の対局の場合、1日目の夜から2日目の朝にかけては、対局は中断される。封じ手がなければ、手番の側が一晩ゆっくり考えて、次の手を決めることができてしまい、不公平だ。

 名人戦の対局の模様を中継するウェブサイト「名人戦棋譜速報」では、以前から封じ手をクイズとして出題することが恒例となっている。この予想クイズ、対局ごとによって難易度が全然違うのが面白い。定跡形の進行から離れていなかったり、駒交換がおこなわれて取り返すしかなかったり、など、必然の一手でほぼ全員正解、ということもある。

 「名人が考えた手と、自分の予想した手が同じだった! 自分は天才かも知れない!」

 そんな喜びの声が聞かれたりもする。

 一方で、解説の棋士が候補手に挙げなかった、予想しづらい手が示されて、正解者がほとんどいない、ということもある。

 対局2日目の朝。盤上での戦いが再開される前に、立会人が封筒にはさみを入れ、封じ手を開封する。第4局の佐藤の封じ手は、ほぼ大方の予想通りだった。封じ手クイズの正解率は、約75%。当てた人は多数にのぼるため、賞品の色紙は、抽選となった。

 第4局では封じ手だけではなく、朝日新聞のウェブページにおいて、羽生名人の2日目の昼食を当てるクイズが出題されていた。これは新しい試みだ。せっかくなので、筆者も考えてみた。予想する側にとっては幸いなことに、と言うべきか、あらかじめメニューは限られている。次の10品目のうちの、いずれかだ。

福山鯛うずみ、うな重、松花堂、お刺身定食、川長人気の辛口ライスカレー、茶そばセット、うどんセット、和食屋の煮込みハンバーグ定食、チキンソテー定食、福山ちらしずしセット

 これは・・・。一目、難問である。盤上では、多くの戦法を指しこなすオールラウンダーとして知られる羽生名人。そして盤外における食事の注文も、かなりバラエティに富んでいる。どれが正解になっても、おかしくはない。以下は、筆者の予想の過程である。

 まず目を引くのは、「川長人気の辛口ライスカレー」であろうか。川長とは、この対局の昼食を担当している、地元福山の日本料理店。2日目の昼食はカレーで通している佐藤の選択は、これが本命だろう。

 羽生名人の食事の傾向としてよく語られるのが「地元の麺類を一度は頼む」という定跡である。第2局の松本では、そばだった。広島名物の美味しいものはたくさんあるが、そばやうどんは、名物とは言えないだろう。それよりは、福山ちらしずしセットの方が、可能性はありそうだ。

 次に、今期のデータをたどってみよう。朝日新聞のウェブページには、過去の食事のメニューが写真付きで紹介されている。 http://www.asahi.com/culture/shougi/gallery/meijinsen_syoku/

 そして、羽生名人の対局2日目の食事をリストアップしてみて、驚いた。

 松花堂弁当、花小町弁当、松花堂弁当。

 そう、今期の名人の食事の傾向は、はっきりしていたのである。今までこんなことは、あっただろうか。ちょっと思い出せないが、ともかくも、この流れに添って素直に予想すれば、松花堂弁当が自然だ。

 次に前日(第4局1日目)の食事に目を向けてみよう。羽生名人は「和食屋の煮込みハンバーグ定食」。佐藤八段は松花堂弁当だった。これはますます、名人は松花堂弁当の可能性が高いのではないか。将棋のタイトル戦では1日目に相手が頼んだ食事を、2日目には自分が採用する、という手筋もしばしば見られるからだ。

 本連載でも前回、1994年に羽生が名人位に就く直前の夕食は、松花堂弁当と書いた。以来、採用率は高い。間違いないだろう。そうして筆者も投票した。応募フォームの送信ボタンを押す際、指が少し震えた。

 果たして、正解は—。
 羽生名人が第4局2日目に頼んだ食事は、松花堂弁当だった。

 これは・・・。筆者ももちろん、将棋ファンの一人である。これはうれしい。そしてなぜだか、封じ手予想を当てたよりもうれしいぐらいだ。

 それにしても、10択である。正解率はそれほど高くないだろう。そう思っていたら、そうではなかった。朝日新聞将棋取材班のTwitterアカウントによれば、松花堂弁当は一番人気で、正解者は79人もいたという。

 さすが皆さん、いいところを見てるんですね。名人戦は棋界最高峰の戦いだが、それを観る将棋ファンもまた、レベルが高い。

 江戸時代、将軍の前で将棋を指した故事から、将棋界では11月17日を「将棋の日」に定めている。その日の前後に、多くのファンを集めて開催されるイベントでは、「次の一手名人戦」がおこなわれる。トップ棋士が対局をして、その指し手を観戦者が当てる、企画だ。予想参加者は赤、青、黄色、3色のパネルを持っている。選択肢は棋士が候補として挙げる「赤の手」と「青の手」、それ以外の「黄色の手」。パネルをあげて予想を示し、最後まで正解し続けた人が「次の一手名人」となる。

 当然ながら、と言うべきか、棋力が高ければ高いだけ、指し手予想はよく当たる、と思われる方は多いだろう。しかし意外なことに、現実にはそうとも言いきれない。むしろ毎年、「次の一手名人戦」で勝ち残っている人は、それほど棋力が高くない、という場合が多い。

 名人戦の食事やおやつの予想を「次の一手名人戦」形式で開催し、棋士や関係者も含めて、多くの人が参加すれば、それは盛り上がるだろう。そして次の一手名人に輝くのは、棋士や関係者ではなく、熱心な、観る将棋ファンの可能性も高そうだ。

 第4局の食事予想の話に戻る。カレーを続けて採用していた佐藤天彦八段が、「川長人気の辛口ライスカレー」ではなく、福山ちらしずしセットにしたのは意外だった。そちらもクイズで出題されていれば、さすがに正解率は低かったのではないか。

 朝日新聞の村瀬信也記者によれば、佐藤は「カレーが辛口で、胃に負担がかかるかもしれないと思ったので」、メニューを替えてきたという。勝っている方がメニューを替えるとのは、思い切ったことのようにも感じられるが、もとより佐藤は、そうした縁起を担ぐタイプではない。合理的なのだ。

 第4局の終盤戦、優勢の佐藤は、最短で勝つ順を選んだ。はた目には、思い切った順に思われた。もちろん、読みが正しければ、問題はない。佐藤八段は羽生名人を相手に堂々と勝ちきって、名人位奪取まで、あと1勝と迫っている。

 そうしていま、辛口のカレーの話を書きながら、佐藤の師匠の中田功七段が、奨励会三段時の佐藤を「アマ彦じゃない。カラ彦だ」と評していたのを、不意に思い出した。

 今からちょうど10年前の2006年。筆者は当時三段だった佐藤天彦や、他の奨励会員と一緒に、三段リーグが終わった後、打ち上げがてら、食事に行ったことがある。三段リーグとは、30名前後の三段が、半年をかけて戦うリーグ戦である。原則として、その中のわずか上位2人だけが、四段昇段、すなわちプロ入りを果たすことができる。佐藤天彦はいつでも、昇級候補に挙げられていた。しかしそれでもなかなか、昇級を果たすことはできない。佐藤も強いが、他の三段もまた強いのだ。そして人生がかかっている。そう思えば、指し手は萎縮する。平常通りには指せない、独特の雰囲気がある。

「振れば当たるとわかっていても、スリーバント失敗をしてしまうのが三段リーグです」

 名人戦の大舞台で自分の読みを信じ、名人を相手に堂々と指している佐藤も、10年前には、そんなことを言っていた。

 筆者は当時から何度も、佐藤のことを「名人候補」と書いた。ではもし10年前に、封じ手で、十年後の名人の予想を一人だけ書くという企画があったとすれば、どう予想し、誰の名前を書いただろうか。

 羽生善治や森内俊之ら、黄金世代の天下は続いているだろうか。あるいは渡辺明(現竜王)や、山崎隆之(現叡王)などが代わって名人戦に出ているだろうか。そんなことを考えただろう。有望な若手はたくさんいる。正直に言えば、10年後の名人を予想する封じ手に「佐藤天彦」と書き記しておけた自信はない。しかし、熱心な将棋ファンの中には、そうした目利きもいただろう。佐藤が名人を取るかどうかはもちろん、まだわからない。しかし既に現段階でも、大いに自慢してよいのではないか。

 では、今から10年後。2026年の名人は—。
 これも難問だ。筆者には正直、見当もつかない。予想に自信のある方は今のうち、どこかに書き残しておいてはいかがだろうか。

 盤上では、どんな戦形が流行しているのかも、わからない。もし予想できるとすれば、盤外ではやはり、松花堂弁当やカレーライスなど、今とはそう変わらないものが注文されているような気がする。


天童ホテルのコースで出された和牛ステーキ

 名人戦第5局は5月30・31日、山形県天童市・天童ホテルでおこなわれている。

 1日目の昼食は、羽生名人は、天ぷらそば。地元名物の麺類を頼むという定跡通りの一手か。
 対して佐藤八段は海の幸のチャーハン。

 以上を踏まえて、2日目の両対局者の昼食を予想してみたい。メニューは以下の通り。

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棋士とメシ

松本博文

あの大一番を支えた食は何だったのか―― 現在における将棋対局のネット中継の基礎をつくり、食事の中継の提案も行った松本博文氏がつづる、勝負師メシのエピソード。

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コメント

math26 「藤井」と書く人がまた増えたかも(1年前とはだいぶ違いそう) >では、今から10年後。2026年の名人は——。 これも難問だ。筆者には正直、見当もつかない。(棋士とメシ、2016年5月) https://t.co/IhTKztkdJc 約1年前 replyretweetfavorite

prisonerofroad “【第3回】 #将棋 #food 約2年前 replyretweetfavorite

kz0217 【第3回】 ⇒ まあ、羽生名人はパリの対局でナポリタンを注文する人ですからw 約2年前 replyretweetfavorite

r28 まさかの2日連続麺類w / 【第3回】 約2年前 replyretweetfavorite