運命的な出会いがあった。
息子は、努力の結果、志望校に入学した。間もなく、息子と私に運命的な出会いがあった。息子は、入学試験にトップの成績で合格し小学校のときから東京大学を目指していた少年と同じクラスになったのだ。『東大を目指す』ということの現実味と、自分の近くに『目標』を見つけた。
そしてもう一つの運命的な出会いは、学年主任だった。彼は保護者を前に、こんなことを言った。
「全員に東京大学に合格させるだけの学力をつけさせます」
私はその言葉を真に受けて、息子の学習面を彼に任せる決心をした。はじめて会い、一度も話したことのない学年主任が、わが家の目標である『東大合格』という言葉を口にした。これを運命と言わずしてなんというのだろう、と驚いたのだ。
それと同時に、大きな期待に胸が躍った。
さらにもう一つ、運命的な出会いがあった。私が生活のために始めたアルバイト先の常連客だった。心理カウンセラーであるこの常連客に出会ったことで、私は、自分の育ち、感情や気持ちを『言語化する習慣』を身につけた。
『言語化する習慣』を身につけたことにより、感覚に頼っていた私の子育てを振り返って、私自身が自信を持てるようになった。
息子が中学3年のとき、子育ては終わった。
私の期待以上に充実した中学生活をすごしていた息子だったが、中学3年生になるころから、少しずつ変化が表れてきた。はっきりとしないあいさつや、上の空な返事が多くなり、私との会話も少なくなってきた。
同じ年ごろの私自身を振り返れば、思い当たる思春期特有のでき事と理解はしても、正直、腹立たしい。ここで腹を立てて、何かを言ってしまっては親として負けだ。言葉よりも行動で、背中で伝えたい。そう自分に言い聞かせて、より一層私自身の生活を充実させることを考え、読書を習慣にした。
18歳のときに、『舞姫』を読んだのがたぶん最後。実に25年ぶりの読書だった。
しばらくして、息子は思春期のトンネルから抜けたようだった。中学3年生で迎えた元旦の夜、私は息子に言った。
「これからは、あなたの判断で生きていきなさい。それだけのことができるようにしてきたはずだし、できるようになったと思う」
『子育て終了宣言』をし、一人前の大人として息子と接していこうと決めた。このときからある意味、私と息子は対等になった。これまで以上に、私自身の態度や行動だけでしか息子を納得させられない、息子に背中で語れるように努力していかなければならない、と決意した。
私は、ゴミを拾った。
少しずつ東大受験を具体的に意識し始めた高校1年生の終わり、青天の午後だった。
息子の学校から3年ぶりの「現役」東大合格者が出たと喜び、2年後の息子の受験に期待が高まってきた直後、今まで当たり前だと思っていた生活が轟音とともに崩れていった。3月11日のことだった。
携帯電話が不通になり、家族と連絡が取れない。水道が止まり、電気も止まった。道路は通行止めが相次ぎ、自動車であふれ、普段は10分で済む道のりが1時間以上もかかる状態になった。
終業式を待たずに授業は打ち切りとなり、息子は自宅待機の日々が続き、想像以上のでき事に勉強をする気にもなれない様子で、考える時間だけが与えられているようだった。
息子は、「当たり前のことが当たり前であるありがたさ」「勉強ができるありがたさ」を再認識しながら、高校2年生になった。
徐々に、大学受験に対する勉強が本格化していった。受験勉強に対して親のできることは少ない。母親は生活のサポートなど協力できることがあるが、父親にできることはほとんどない。でも、私の経験したことのない大学受験という困難に立ち向かう息子を応援したい。
私は、目の前のゴミを拾った。目の前のゴミを拾うことが息子の応援になるのかはわからなかった。でも、ほかに私のできることはなかった。ただ、目の前のゴミを拾い続けた。
友人とともに、毎月一度だけだが駅のトイレ掃除も始めた。ゴミを拾うこと、駅のトイレを掃除することが、私の習慣になった。
息子曰く、「自分の勉強方法が正しいのか、力がついているのか不安だ」という高校3年生の秋、私は、「自分が風邪を引いてはいけない」という緊張感にも襲われていた。さらに、「自転車で通学すること」と条件を付けたにもかかわらず、息子が自転車で通学することが不安になっていた。
「母さんに学校へ送ってもらいな」という言葉が何度も出かかったが、言葉に出す勇気はなかった。「今まで通り、普段通り」と、呪文のように繰り返した。大学受験すべてのことがはじめてで、不安で不安で仕方がなかった。
センター試験を終えた息子の表情は硬かった。私は不用意な言葉を息子にかけてしまった。息子は、表情をこわばらせながら私に言い返した。そして、私は黙った。
翌日も息子にかける言葉を選ばなければならなかったが、息子は翌日も「今まで通り、普段通り」学校へ出かけた。妻はいつものように、笑顔で息子を送り出した。
私は安心した。ただ、見守った。
二次試験前日、私たち家族は、高速バスで東京へ向かった。
バス停から少し離れた駐車場に自動車を停めた私たちは、強風の中、スーツケースを引きずりながら、バス停へ歩いた。交差点を横断しバス停が見えたとき、強風にあおられて空き缶が転がってきた。
私の両手は荷物でふさがっていた。「あっ」と思った瞬間、私のすぐ後ろを歩いていた息子がその缶を拾い上げ、数十メートル離れたバス停の脇のゴミ箱へその空き缶を捨てた。
息子のその姿を見た瞬間、涙があふれた。
そして、こう確信できた。
「私の子育ては間違っていなかった」
お店の女の子に学ぶことは多い。
面接も含めると、今まで一〇〇〇人以上の女の子たちと接してきた。