先輩方からバトンを受け取り、ハガキ職人として笑いにしがみついて3年。
24 歳になって、ハガキ職人の晩年を自覚し始めていた頃だ。
『アメト——ク』を見ていたら、「ラジオ芸人」というテーマで、あの人が出ていた。
何気なく見ていると、あの人は突然、僕の話をし始めたのだった。
「ツチヤタカユキっていうハガキ職人がいて、放送作家にスカウトしたら、“人間関係不得意”って断られた」という話だった。
時間にするとたった 3 秒間くらいだったけど、僕の名前が地上波で流れた。
その 3 秒間のために、僕はずっと、このどうしようもない日々を生きてきたような気がした。
お礼のメールを書こうと思った。
僕は、パソコンを開いてメール画面を開くが、何を書いたらいいのか分からない上に、緊張で手が震えた。
頻繁に指が止まる。
文章がなかなか前に進まない。
「オレは何を一番伝えたいんやろう?」
しばらく考え、そして、打った。
『ありがとう御座いました』
それから今までのことを書いた。
できるだけ明るく簡潔に、悲壮感や絶望は全部排除して、今まで 3 年間ラジオでネタを読んでくれたことや、テレビで名前を言ってくれたこの 3 秒間が、どれほど自分の救いになったかを綴った。
それが一番伝えたいことだった。
そして、もう一つ伝えたいことがあった。
あの人は昔、放送中に「ツチヤと漫才を作りたい」と言って下さった。
その言葉がどれほど、うれしかったか。
吉本を辞めてから、難波を徘徊していたあの頃には、まさかそんなことを言ってもらえる日が来るなんて、夢にも思わなかった。
意を決して、僕は次の文章を打った。
「『漫才を一緒に作りたい』と言って下さっていましたが、もし、あれが本気で、もしまだ可能でしたら、漫才を一緒に作らせて下さい」
それができたら、もう死んでも悔いはないと思った。
今までボケを何千通と送ってきたあの人のラジオ番組に、普通の文章を書いて送ったのはそれが初めてだった。
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