レッスン4 手術〜シンクロニシティを信じる
まだまだ寒さは続いていたが、梅のつぼみがほころび始めた頃、母は抗がん剤のおかげでいくらか腫瘍マーカーが下がり、手術ができることになった。
腹膜がんは素人にはわかりにくい病気だ。腹膜とは内臓の臓器を包む膜のことで、通常は胃や子宮など、臓器にできたがんが腹膜に播種して(飛び散って)、がん性腹膜炎を起こす。
症状としては、腹水がたまる、悪心、吐き気などがある。しかし、母の場合は同時に見つかった乳がんは原発ではなく、他の臓器にはがんは見つからなかった。
それでも手術では、大網という胃から腸にかけてエプロンのように垂れ下がっている膜だけでなく、子宮、卵巣も全摘するという。この手術は、医師に言わせれば「腹膜がんのスタンダードな処置」らしいが、最初に話を聞いた時は「子宮がんでも卵巣がんでもないのに、なぜ全部取るの?」と納得できなかった。
医師の説明によれば、腹膜がんが播種して臓器の外側に付着すると、外側から臓器を痛めつけることになるため、年齢を考えれば全摘が好ましいとのことだった。
「手術をしたところで全部がんが取りきれるわけではない」と言われていたので、手放しに喜べる状況ではなかったが、母は手術ができると聞いただけで目を輝かせた。
いつの間にやら、母にがんが告知されてから半年が過ぎていた。母の病気を機に、これまで猛烈に前を見て生きていた私は、蓋をしたはずの過去を振り返ることが多くなった。しかし、そのシフトは数か月前にすでに始まっていたのかもしれない。
前年の春、娘の杏が大学生になって1人暮らしを始めたことで、私は18年にわたる子育てから解放された。しかしその反動で、生活のリズムが乱れ、食事にさえ手を抜くようになった。
なんだかわびしいなと感じ始めた頃、趣味のトライアスロンの試合中に自転車から落ち、私は頭蓋骨骨折、脳挫傷、くも膜下出血のトリプルパンチに見舞われた。意識不明のまま救急車で運ばれ、数日間はHCU(高度治療室)で絶対安静を強いられたが、鎮痛剤のおかげか痛みすら感じず、毎日のほほんと眠りをむさぼった。
仕事もせずに、1日中寝ていても罪悪感すらない解放感。何の努力もせず、ただ人に面倒をみてもらえる安心感……。ここ何年も、いや何十年も味わったことがない不思議な感覚だった。
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