思春期に好きだったものに生涯引っ張られ続ける
柴那典(以下、柴) 僕の持論で14歳から17歳ぐらいの「思春期に好きだったものに、生涯ひっぱられ続ける」というものがあるんですよ。
大谷ノブ彦(以下、大谷) あるねー。
DJ松永(以下、松永) 確かに、最初にヒップホップを聴き始めたのが中2の時かも。
R-指定(以下、R) 僕も聴き始めたのが中1でラップを書き始めたのが中2。やれると思ってペンを持っちゃった。
柴 だから、今回はみなさんのその頃の話を聞きたいなって。
松永 ヒップホップって「俺にもやれる」と思っちゃうよね。
大谷 それが大きいよな~。
松永 DJの動画を観ても、すごく太ってる人がダボダボのシャツを着て、いかにも悪そうで不真面目そうなヤツがめちゃくちゃうまいんですよ。俺、こいつらより絶対真面目だから、もっとうまくなれると思って(笑)。
大谷 あははは、でも、やってみたら奥が深かったわけでしょ?
松永 深かったですね。
R あと、ラッパーって自己肯定感が強い人が多いじゃないですか。だから、それまで「俺はダメなやつだ」って思って劣等感持って生きてきたけど、ラップを聴いて「このままで俺はいいんや」って思えて。それで「よっしゃ! やるか!」みたいな感じで始めたんですよね。
大谷 わかる! 俺も中学ぐらいのころ、ダウンタウンの漫才を見て、勇気もらっちゃったもん。こういう漫才のやりかたがあるんだって!
柴 思春期のころに心を掴まれて「俺にもやれる」「やりたい」って思ったものが、結局、その後の人生を変えちゃうんですね。大谷さんはどんな感じだったんですか?
大谷 相方の大地さんと中学生の時に出会ったんですけど、当時から大地さんは学園のカリスマだったんですよ。
柴 へえ。中学生でもうそんな感じだったんだ。
大谷 大分県教育委員会の肥満児撲滅ポスターのモデルを自分からやってて、みんな彼のことを知っているんです。女子からも「オオチ! オオチだ!」って。
松永 人気者感ありますね。
大谷 で、中3の時にお互いに深夜ラジオを聞いてたことから友達になって。お互い母子家庭だったんですけど、大地は親父が死んだ時のエピソードを笑い話のネタにして話してたんですね。それを聞いたみんなもゲラゲラ笑う。それを見て「すげえ」と思って、意気投合して。初めて家まで泊まりにいった友達が大地なんです。
柴 わあ、そっからダイノジが生まれたんですね。
大谷 柴さんは?
柴 僕はいま音楽ライターをやってるんですけど、中3の時に友達とメタル同人誌を作っているんですよ。「鋼鉄春秋」っていうんですけど。
一同 「鋼鉄春秋」(笑)!
松永 すごい!
柴 ヘヴィメタルだから「鋼鉄」で。表紙のタイトルは文藝春秋の「春秋」の部分だけ切り取って、「鋼鉄」の部分はその書体をマネて書いた。
当時『BURRN!』というメタル雑誌を読んで、「自分たちにもやれるんじゃないか」って思ったんですよね。アルバムレビューの文章を書いて点数をつけたりして、文化祭で出してました。
ファールラインの向こう側に
柴 ちなみに今日はみなさんに思春期の頃の写真を持ってきてもらったんですよね。じゃ、この流れで僕からいきますね。これは高2の頃なんですけど。
一同 爆笑
松永 え、どういう髪型なんですか? これ?
柴 メタルのヒーローはたくさんいるんですけど、あの頃、僕が一番憧れてたのがオジー・オズボーンだったんです。
大谷 ステージの上でコウモリを食いちぎったっていう伝説を持ってる人ですよね。
柴 当時通ってたのが男子校で、それもかなりの進学校だったんですよ。3分の1が東大に行くような超真面目な人ばかりで。同級生も今はみんな官僚とか医者とか弁護士になってるんですけど。そんな中で自分だけは違うと思ってた。ファールラインの向こう側に行けるって思ってたんです。
大谷 それがオジー・オズボーンだったんだ。それ絶対モテないよね(笑)。
柴 いやあ、モテるモテない以前に、今見ても激しくイタいですね(笑)。でもこういう形で陽の目を見れて成仏したかな。じゃ次は、松永さんどうですか?
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。