なぜ私だけがこんなに嫌われるの?

幼少期、親に怒られて家から閉め出されたことはありませんか? 私は、成績や学校生活にまったく無関心の母から、家事を強要され、口答えは許されず、性格を非難されて育ちました。そんな母との関係性も、時の流れとととも少しずつ変わっていきました。
「親の死後に後悔しないための20のレッスン」をまとめた書籍『不仲の母を介護し看取って気づいた人生でいちばん大切なこと』より、レッスン3を特別公開します。

「お母さんは働いているんだから、家事はアンタがやりなさい」

 私の家族は、両親、子ども3人、父方の祖母の6人家族だった。母はずっと仕事をしていたので、私たち兄妹は祖母に育てられたと言っても過言ではない。祖母は幼い私たちを心からかわいがってくれた。

 特に私は、祖母になついていた。妹が生まれてからは祖母と一緒にお風呂に入り、同じ布団で眠った。私にとって祖母は、まさに母代わりだったのだ。寒い日には祖母の胸をまさぐり、祖母の太ももに足を差し入れて眠っていた。

 大正生まれの祖母は田舎の生まれで、自分のことを「オレ」と呼んでいた。ろくに学校にも行けなかったらしく、字を書くことすら危なっかしかった。

 派手好きで、どんなに忙しくてもマニキュアを欠かしたことのなかった母に比べれば、祖母(つまり母の姑)はおしゃれではなかったし、母は男勝りと言われるほど商売上手だったのに対し、祖母はお世辞にも頭がキレるタイプではなかった。

 母は何かにつけて、「だらしない」「みっともない」と祖母をけなした。大好きだった祖母に向かって母がヒステリックに怒鳴る姿を、幼い私は何よりも嫌っていた。しかし、母はそんな私の気持ちを知っていたのかいなかったのか、何かにつけて「アンタもおばあちゃんにそっくり」と私を巻き添えにした。

 嫁と姑の不仲はよくある話だし、母はおばあちゃんっ子の私が気に食わなかったのだろうと今では思うが、小学生の子どもにそうした事情を理解しろというのは無理がある。

 また、母が私に家事を強いるのも嫌だった。「お母さんは働いているんだから、アンタがやりなさい」と厳しく言われていたため、放課後に友達と遊びに行きたくても、妹の幼稚園のお迎えで行けない。

 嫌だと言うと母は、「私は小学校の時にすでに疎開に出たの。妹は私が育てたのよ。子どもだってやる気さえあれば、自分で何でもできるものよ」と掛け合わなかった。おまけに母は、私の成績や学校生活にはまったくと言っていいほど無関心だった。下手に口答えすれば、「本を読んでる暇があるなら掃除しなさい」と言われるのがオチだった。

 なぜ、私だけこんなに嫌われるの?

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不仲の母を介護し看取って気づいた人生でいちばん大切なこと

川上澄江

末期がんで余命いくばくもないはずの母・好子は、元来強気で治療を諦めようとしない。そんな母を不憫に思う半面、「母を愛していない」と言葉にできる私は冷血漢なのか、と心が揺れる日々。父・真次郎による老々介護は心配だが、母との同居を考えるだけ...もっと読む

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コメント

togsaki_8th 「母も苦しんでいる」「母は病気なのだ」 崩壊した関係をこれらの言葉で乗り越えられるならどれだけ幸福なんだろう、とも思ったり。 もう、そんな状態はとっくの昔に通り過ぎてる。 2年以上前 replyretweetfavorite

mikikanata59 無理に実母を好きにならなくてもいいのだなと。 2年以上前 replyretweetfavorite

sizukanarudon 川上澄江@silverlining_jp https://t.co/mDCCfsW28c 感情や人間関係は、時とともに変化する流動的なもの いったん過去の出来事を脇に置いて、現在に焦点を当ててみる 状況に応じて変化する自分の心の声に耳を傾ける 2年以上前 replyretweetfavorite

cucciolo_rs16 母と娘の問題イロイロあるようで… 2年以上前 replyretweetfavorite