僕:数学が好きな高校生。
テトラちゃん:僕の後輩。好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。
ミルカさん:数学が好きな高校生。僕のクラスメート。長い黒髪の《饒舌才媛》。
瑞谷先生:司書の先生。定時になると下校時間を宣言する。
図書室にて
ミルカ「今日はどんな話?」
テトラ「あ、ミルカさん! 今日は《数を作る》という話をしていたんです」
ミルカ「数を作る?」
テトラ「はい、そうです。《順序対で整数を作る》。《順序対で有理数を作る》。 そして《順序対で複素数を作る》という話ですっ!」
僕「それで……確かに、テトラちゃんが言うように、二つの実数$a,b$の順序対を使って複素数は作れるけれど、 それってちょっと違うよね」
$$ a+bi \LOOKSLIKE (a,b) $$
テトラ「え、何がですか? 《二つの整数の順序対$(a,b)$を使って有理数を作る》のと、 《二つの実数の順序対$(a,b)$を使って複素数を作る》のはぴったり同じですよ!」
ミルカ「ふうん……きみは、何を気にしているんだろう。同値類?」
僕「そうなるのかな……有理数を作るときには、《整数の順序対全体の集合》を同値関係で割ったよね。 そして、《比が等しい順序対の集合》を一つの有理数だと見なした」
$$ \begin{array}{rcl} & \vdots & \\ \dfrac23 & \longleftrightarrow & \bigl\{ \ldots,(-4,-6),(-2,-3),( 2, 3),(4,6),(6,9),(8,12),\ldots \bigr\} \\ 0 & \longleftrightarrow & \bigl\{ \ldots,( 0,-3),( 0,-2),( 0,-1),(0,1),(0,2),(0,3),\ldots \bigr\} \\ \dfrac12 & \longleftrightarrow & \bigl\{ \ldots,(-3,-6),(-2,-4),(-1,-2),(1,2),(2,4),(3,6),\ldots \bigr\} \\ & \vdots & \\ \end{array} $$
テトラ「ええと、はい、集合を数と見なしたんですよね。《比が$\frac12$に等しい》という旗の下に集まった同盟軍を《有理数$\frac12$》と見なします」
僕「同盟軍って……まあ、そうだね。それはいいんだけど、複素数を作るときには、 順序対がそのまま複素数と見なせるよね。集合を作らずに、$(a,b)$を$a+bi$と見なせばいいんだから。 つまり《実数の順序対の集合》を同値関係で割ったりはしていない。その点は違うんじゃないかなあ」
テトラ「ははあ……そうなんですか?」
ミルカ「君の主張は厳密には正しくない。というか、正しいとも正しくないともいえない。 なぜなら、複素数も《実数の順序対の集合》を同値関係で割って作ると見なすことができるから。 つまり、 $$ (a, b) \sim (c, d) \Longleftrightarrow a = c \land b = d $$ という同値関係$\sim$で割ればいい。それほど同値類を作ることにこだわるなら」
僕「ん? それって……」
ミルカ「自明な同値関係。順序対同士が《等しい》という関係だよ」
僕「それでいいのか。でも、その場合、同値類は?」
ミルカ「同値類はすべてシングルトンになる。すなわち要素を一つしか持たない集合に。いくつか例を出そう」
$$ \begin{array}{rcl} & \vdots & \\ 2 + 3i & \longleftrightarrow & \bigl\{ (2,3) \bigr\} \\ 0 & \longleftrightarrow & \bigl\{ (0,0) \bigr\} \\ 1 - 2i & \longleftrightarrow & \bigl\{ (1,-2) \bigr\} \\ & \vdots & \\ \end{array} $$
テトラ「す、すみません……何の話になってるんでしょうか?」
ミルカ「さっきのテトラの比喩を借りるなら、《$(1,-2)$という順序対に等しい》という旗の下に集まった同盟軍を《複素数$1-2i$》と見なすという意味。そのような順序対は$(1,-2)$しかないけれど。 たった一人の同盟軍ということになる」
テトラ「はあ……」
ミルカ「だがこれは、彼が『順序対の集合を同値関係で割る』ことにこだわったから気にしたまでのこと。それよりも気になることがある。《数を作る》ときのギャップだ」
ギャップを埋めよう
僕「ギャップ?」
テトラ「といいますと」
ミルカ「こういうこと」
ミルカ「このストーリーには、どう見てもギャップがある。《実数》を作っていない」
僕「いや、それは気付いてたよ、ミルカさん。でも《有理数》の順序対では、どうにも《実数》は作れそうにない」
ミルカ「ふうん……」
テトラ「やっぱり、実数は無数にあるから大変なんでしょうか……」
僕「いやいや、テトラちゃん。そんなこといったら整数だって無数にあるし。無数にあることは確かに無限に関係するから難しいけれど、 実数の難しさはそれとは違うと思うよ」
テトラ「あっ、すみません。あたしも整数が無数にあることはわかっています。あたしが言いたかったのは、実数は、狭い範囲に無数にあるから……ということなんです」
僕「狭い範囲って?」
テトラ「たとえば、$0 \leqq x \leqq 1$という範囲があったとしますよね。$0$以上、$1$以下の範囲です。この範囲には整数は$0$と$1$の二つしかありません。範囲の両端です。 でも、この狭い範囲に、実数は無数に……ぎっしり詰まっています。 実数を取り扱うのは、だから難しくなるんじゃないでしょうか。 狭い範囲にぎっしり詰まっているものを作ることになるんですから」
僕「テトラちゃん、それは違うよ」
ミルカ「テトラは正しいが、誤解している」
僕「え?」
テトラ「はい?」
ミルカ「テトラが考えているのは稠密(ちゅうみつ)という概念のように聞こえる」
稠密
テトラ「稠密……といいますと」
ミルカ「$0$以上$1$以下に限らない。どんなに狭い範囲を取っても、その範囲に無数の数が存在するという性質を稠密と表現する。 $0 \leqq x \leqq 1$でも、$0 \leqq x \leqq 0.1$でも、たとえ、 $$ 0 \leqq x \leqq 0.00000000001 $$ でも、その範囲に実数$x$は無数に存在する。テトラが言いたいのはそういうこと?」
テトラ「はいっ! そうです。その通りです。それは正しいですよね?」
ミルカ「正しい。しかし、それは実数に固有な性質ではない。なぜなら、有理数もまったく同じ性質を持っているからだ。 テトラはそのことを忘れていないか」
テトラ「有理数も同じ性質を持っている?」
ミルカ「そう。どんなに狭い範囲を選んでも、その範囲に有理数は無数に存在する。狭い範囲という表現は誤解を招くから、きちんといおう。 有理数はこういう性質を持つ」
有理数$a,b$が$a < b$を満たすならば、 $$ a < c < b $$ を満たす有理数$c$が存在する。 このことを有理数全体の集合は稠密であるという。
テトラ「ああ、確かにそうですね。確かに有理数はこういう性質があります」
ミルカ「証明はできる? 有理数全体の集合は稠密であることの証明」
テトラ「証明……?」
ミルカ「いまテトラは『確かにそうですね』と言った。そのときに頭によぎったことをいえばいい。恐らくそれが証明になっている」
僕「ああ、できるね」
テトラ「あたしの頭によぎったことというのは……こうです。有理数$a,b$があって、$a < b$が成り立っているときに、 $a < c < b$という$c$が存在するかな? と考えました。 つまり、これは『$a$と$b$のあいだに有理数があるか?』という質問ですよね。 《例示は理解の試金石》を使って具体例で考えました。 たとえば『$0$と$1$のあいだに有理数はあるか?』という質問になります。 もちろんあります! $\dfrac{1}{2}$がありますから」
ミルカ「ふむ。そして?」
テトラ「はい、そしてすぐに、どんな有理数$a,b$でも、そのあいだに有理数は見つかる! と思いました。だって、いま$0$と$1$から$\dfrac12$を求めたように両端の平均を取ればいいんですから。$\dfrac{a+b}{2}$です」
僕「それで証明ができてるよね。一般的な$a,b$に対して$c = \dfrac{a+b}{2}$をとればいい」
ミルカ「そう、後はその$c$が確かに$a < c < b$を満たしていることと、$c$が確かに有理数になることを主張すれば証明は終わる」
僕「それはそうか」
ミルカ「話を戻そう。だから、《稠密である》というのは実数固有の性質ではない。実数全体の集合は稠密だが、有理数全体の集合も稠密だ」
テトラ「そうなんですね……」
ミルカ「ふだん私たちが使っている実数は便利だけれど、改めて考えると難しい」
別のパターン
僕「ちょっと待って。有理数の順序対で実数を作るのはどうすればいいかわからないけど、 違うことに気付いたよ。 $p,q$を有理数として、 $$ p + \sqrt{2}q $$ という数を考えることができる。 これは試験にもよく出てくるパターンになってる数だよ」
ミルカ「ふむ」
この連載について
数学ガールの秘密ノート
数学青春物語「数学ガール」の中高生たちが数学トークをする楽しい読み物です。中学生や高校生の数学を題材に、 数学のおもしろさと学ぶよろこびを味わいましょう。本シリーズはすでに14巻以上も書籍化されている大人気連載です。 (毎週金曜日更新)