従兄弟にはめられてはめられた美青年
1146年、一人の貴族が浮かぬ顔で、都大路を牛車に揺られていました。彼は従兄弟にお呼ばれし、その邸宅に向かうところでした。年は20歳になるかならないかくらいでしょうか。まだ頬の赤味も引かず、鼻筋通り、秀でた額の、大変な美青年でした。
貴族の憂い顔には理由がありました。彼の美貌を見初めた上司から、しつこく関係を迫られていたのです。
ラブレターは毎日山のように届き、自分との恋が成就するよう、陰陽師を雇って夜毎祈祷しているという不気味な噂も聞きます。
7つ年上の上司は姿形は麗しく、日本一の学者と言われるほどの俊才なのですが、性格があまりに激しく、人の過失を容赦なく追及するため、貴族は苦手なのでした。第一、彼にはそのケが一切なかったのです。
ただ、今お呼ばれしている、3つ上の従兄弟は男色の癖があり、問題の上司とも関係を持っていました。そのため、子供の頃からの心慣れた仲といっても、どんな話を持ち出してくるか、空恐ろしく落ちつかないのでした。
貴族を迎えた従兄弟は大変に喜んでくれました。
歓待もひとしおならず、山海の珍味を集めた膳、美酒、流行りの今様を歌う白拍子の舞。 心のこもったもてなしの楽しさに貴族の憂いは溶け、先ほどの警戒心もゆるゆるとほどけてきました。
やがて歌と舞も終わり、白拍子たちが引きあげると、宴の席は貴族と従兄弟、二人きりになりました。おさなじみ同士、水入らずで、思い出話に花を咲かせていると、ふと思いついたように、従兄弟がこんなことを提案してきました。
「今日は折角の望月。興ざめの灯は消して、月をながめ、歌など交わそうではないか」
「それは面白い」
話しに乗ると、従兄弟は重ねて言います。
「苦吟する様というのは見苦しいものだ。几帳をへだて姿を隠して心ゆくまで詩句を練ろうではないか」
不思議な提案でしたが、そんなこともあるかなとこの時は思い同意しました。
酒、月、歌。
しばらくの間、二人は杯を傾けながら、上下の句をつけあう連歌を楽しみました。
やがて、二十句ほどの連句をこしらえたころ、几帳の向こうから、
「短冊が切れてしまった。どうぞそちらのものを分けてくれ」
という声がしました。
「やれやれ」
貴族は自分の短冊を手に取ります。
「几帳のかたびらの綻びから手を入れて渡してくれ」
それで、従兄弟の言った通りにしてやると、あにはからんや手を強く握られ、そのまま几帳のあちら側に引き入れられてしまいました。
「あっ」
と思ったのもつかの間、気づくと背の高い男が貴族を組み敷いていました。青々と冴えわたった白目に、妖しく光る瞳。
「あなたは!」
なんと、あの恐れていた上司だったのです。上司の背中越しには薄ら笑いを扇でおさえながら退出していく従兄弟の姿が見えます。
「どうぞごゆっくり」
貴族は目の前が真っ暗になりました。
「あぁ、何と恐ろしい人たちだ。腹黒くよろずにきわどいという噂は本当だったのですね。従兄弟と組んで私をだますとは」
上司は月の光に濡れそぼったお歯黒をのぞかせながら笑いました。
「私は自分の欲しいものを手に入れるためには何でもするのだよ」
そう言うと、荒々しく貴族を抱き寄せ、思いを遂げたのでした。
「濫吹」は「男色する」って意味!?
以上は、平安時代末期の貴族、藤原頼長の日記『台記』に記載されているお話です。上司が頼長で、「あっー」された貴族は藤原隆季、はめた従兄弟は藤原忠雅です。
平安時代の歴史は、とにかく藤原ばっかり出て来てややこしいのですが、頼長の藤原が道長直系の超エリート藤原なのに対し、隆季、忠雅の藤原はやや傍流、家柄がよくないんだなと思ってもらえれば大丈夫です。
藤原頼長は、摂関家出身の貴族で、一時は天下の政治を采配する地位にまで昇り、保元の乱の主犯ともなった人物です。
学職とともに、男色家としても有名で、日記のなかでは、男色行為を示す濫吹(らんすう)という言葉が度々出てきます。もともとは「乱暴、狼藉」の意味なのですが、頼長は攻め役をすることを自分で勝手に濫吹(らんすう)と呼ぶようにしたのですね。
忠雅とは相互に濫吹するという記述もあるので、頼長はカエサルのように、攻めも受けもどっちも出来る、リバーシブル物件だったようです。
このお話の後も、従兄弟丼とも言うべき、隆季、忠雅、双方との関係は続き、隆季の奥さんが亡くなったときは、ちゃんと弔問に行ってあげています。もちろん、お弔いのあとは、しっかりいただいたようですが。
その気がなかったはずの隆季も、生粋の男色家頼長の肉体教育を受けているうちに完全に目覚めてしまったようで、後に頼長が隆季の男色の仲立ちをしたこともあります。育てた雛が巣立つのを見る親鳥の気持ちだったのでしょうか。
一応断っておくと、頼長はちゃんと愛妻家で、妻の幸子が亡くなったときは、身分にも関わらず、野辺送りに徒歩で参列しています。まぁ、愛しすぎて、美少年だった妻の弟もご馳走様してしまったんですけどね!
頼長の日記『台記』には、こうした平安貴族の男同士の秘めたる愛の営みが赤裸々に描かれています。
しかし、当時、男色行為は政治と密接に結びついており、歴史学者、五味文彦氏がおっしゃるように、院政期の政治史においては、避けては通れないテーマでした。
今回は、台記をひも解きながら、変安時代末期の大変革を前にした不安定な貴族社会と、才能に恵まれながら、時勢に見放されたある天才政治家の悲劇を語っていきたいと思います。
日本一の大学生
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