「あんたたち、ススムちゃんが来ても絶対に飲ませたらダメやけんね」
そう言って微笑んだのは、僕がたまにバイトしていた中洲のスナックで、みんなから当たり前のように「お母さん」と呼ばれていた人だった。
元をただせばデビュー前、僕たちがニュース素材として数々のローカル番組に取り上げられていた頃。
とある番組でひとつ年上のコンバット満さんが「僕はひとり暮らしなので生活が苦しいです。夜は飲み屋さんとかでバイトしたいんで、誰か雇ってください! お問い合わせは福岡吉本まで!」と発言したところ、それを真に受けて、本当に事務所まで連絡をくれたのが、この「お母さん」だった。
わざわざ福岡吉本の電話番号を調べてまで、どこの馬の骨かもわからない芸人志望の男を、好きな時に好きなだけ、入れる時に入れるだけで構わないという超フレキシブルなシフトで雇ってあげるというのだから、まだまだバブルの残り香が漂っていた中洲とはいえ、その太っ腹ぶりには僕らはもちろん、電話を受けた所長の吉田さんも「これは何か裏があるんちゃうか? オモロそうやからええけど」と、その善意の真意を勘ぐらずにはいられなかった。
「あたしはコンバットがタイプなんよ」
満さんがバイトを始めてから数ヶ月後。実家暮らしだった僕も毎日の生活に困窮していた。
というのも、メンバーの中で僕だけが福岡市外に住んでいたのだ。実家だけに、ご飯と寝る場所だけは確保されていたが、市内の事務所へ通う交通費が想像以上にかさばり、財布の中にはいつも数枚の小銭しか入っていなかった。
それでもなんとか、祖母の貯金箱から硬貨を抜いたり、誰かにお金を借りて凌いではいたが、そんな対処法が長く続くわけがなく、意を決した僕は「実家通いの芸人は、基本的にバイト禁止」という福岡吉本のルール改正を吉田さんに求めた。
華丸やター坊・ケン坊の実家とウチでは経済状況が大きく異なること、これ以上はどうにもならないことを熱く訴えると、意外とアッサリ吉田さんは「芸人の仕事に支障をきたした場合は即刻、芸人かバイトを辞める」という条件で、ルール改正に踏み切ってくれた。
芸人を最優先させるということは、好きな時間に働けるバイトしかダメだということだから、僕は満さんに口を利いてもらって「お母さん」のところに行くのが一番の得策だと思っていたし、実は最初からそのつもりで、吉田さんに交渉していた。
一緒に働けるという喜びを感じてくれたのか、すぐに連絡を入れてくれた満さんの口から合格の内定を知らされたのは、満さんがお母さんとの電話を切った直後だった。
お店の名前は「ぺぺル・パート2」。
今も中洲で営業中だが、すっかりご無沙汰しているので現状はわからない。
ただ、当時は深夜12時を回ると「ナイト」という営業形態に変わり、その時間が僕たちのメイン労働時間という話だった。
「あんたはタイプじゃないけん、安心しとき」
満さんの説明によると、12時以降は店の従業員が全て男性に入れ替えられる。それまで女の子がついていたボックス席やカウンターに出向き、男性従業員が酔客の相手を引き継ぐというのだ。
極端にわかりやすくいうと、キャバクラが12時を過ぎるとホストクラブに変わる、みたいな感じだろう。
しかし、どう考えてもその接客はアウェー中のアウェーだ。
お客さんにしてみれば、せっかく目当ての女の子と楽しく飲んでいたのに、急に知らない男がやってきて、女の子が去った後も一緒に飲もうとするのだから、僕が客なら絶対に納得できないシステムである。ぼったくりを疑われても仕方のない営業形態だろう。
「慣れるまでは、コンバットと一緒においで」
だから、決まったものの憂鬱で仕方なかった。
どおりで、僕らみたいな芸人の卵を無条件で雇ってくれるハズである。
不機嫌なヨッパライから「お前、芸人だったら何か面白いことやれよ」という乱雑な言葉を投げつけられるに決まっているのだから、これは精神的にかなりキツい。キツ過ぎる。
それでも、こんなに恵まれた条件のバイトは他ではあり得なかったし、芸人を名乗るのならば、これぐらいの苦労はしておくべきなのだろう。現に満さんだって、それで頑張っているのだ。だったら僕もやるしかない。
そう自分に強く言い聞かせて、僕はペペルの重厚なドアを開けた。
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