生身の人間が命をかけて戦う」中邑真輔の生き様

能力や技術だけでなく、己の肉体と肉体、そして人生をぶつけあうのがプロレス。プロレスは幾度かの困難な時期を乗り越えて、いま新たな黄金時代を迎えています。馬場・猪木から時を経て、現在のプロレスラーは何を志し、何と戦っているのでしょうか。長年キャスターとして現場からプロレスと向き合ってきた三田佐代子さんが、一人ひとりのレスラーにスポットを当てて紹介した新刊が『プロレスという生き方』(中公新書ラクレ)。その発売に先駆けて、cakesで連載がスタートします。まずは今年アメリカWWEに移籍した中邑真輔について。その命をかけて戦う男の生き様とは?

艶やかさの裏側で

 2016年が明けて早々、プロレス界にとって衝撃的なニュースが海の向こうからもたらされた。新日本プロレスの中邑真輔が1月31日をもって新日本プロレスを退団し、世界最大のプロレス興行団体であるアメリカのWWEに挑戦するという。それはまさに日本におけるプロレス界年間最大のビッグショー、新日本プロレス1・4東京ドーム大会の直後に飛び込んできたニュースだった。

 その後、新日本は1月12日に中邑の契約解除と退団を正式に発表し、シリーズ終了後に中邑自身が記者会見を開いて本人の口から14年在籍した新日本プロレスを退団すること、そして新たな挑戦に向けて旅立つ決意が語られたのだった。

 中邑真輔はプロレス界において唯一無二の存在だった。その身を全てさらけ出してこの10年のプロレスを引っ張り上げた最大の功労者である棚橋弘至の終生のライバルでありながら、棚橋とも新日本プロレス本体とも少し距離をおいた独特のスタンスで、その存在感を示していた。そして中邑はさまざまな言葉で表される。「KING OF STRONG STYLE」「唯一無二のアーティスト」「選ばれし神の子」。長い手足をくねらせて入場し、その動きは静から動へと爆発し、その圧倒的な色気に私たちは酔いしれる。2002年にデビューし、幾度かのスタイルの変遷を経て中邑は今や、世界にただひとりの表現者となった。「100年に1人の逸材」棚橋弘至とも「レインメーカー」オカダ・カズチカとも違うその個性は、老若男女の違いはおろか海を越え、海外にも熱狂的なファンを持つ。

 私が中邑から聞いた言葉で強く印象に残っているものがある。それは2011年11月に「プロレスの将来性、プロレスができること」というテーマで話を聞いていた時のことだ。映画や音楽、お笑いなど他のエンターテインメントと比較して、プロレスにしかないものってなんでしょうね、と問うた時に、中邑は即座にこう明言した。

「生身の人間が命をかけて戦っているということじゃないでしょうかね」

 この言葉はそれ以来、私にとってプロレスを見る、感じる、考える時のひとつの指針となり、プロレスについて尋ねられた時にこの言葉をいつも思い出すようになった。

「今でもその考えはありますね。やっぱり命に関わってるんだっていうことはものすごく重要なものだと思いますね、プロレスにおいて」

 中邑がそう答えてくれたのは、2015年9月に神戸で行われたタイトルマッチの翌日だった。その試合で中邑は後藤洋央紀とIWGPインターコンチネンタル王座をかけて戦った。後藤の熾烈極まる攻撃を全て受けきった上で勝利した中邑は満身創痍で、ダメージと試合がもたらす昂揚感のゆえに試合後は一切眠ることができず、そのまま朝の4時から海に出てサーフィンをしたという。

「エンターテイメントとしてプロレスというカテゴリーの中では戦うことだけではなくて、時にはお笑い的な要素が入ったり、パフォーマンスに特化したものもありますけれど、でも本当にベースとしては戦いを見せるっていう部分がないと単なるコメディとコントになってしまう。こんなこと言ったらダメなのかもしれないけれど、でも本当に命に関わっているんだからっていうところはしっかりプレイヤーが意識しないといけないと思っています」

 中邑にはいつも刹那の気配が漂う。中邑真輔は当代随一のセクシーなレスラーだが、その艶っぽさの裏には彼が常に意識しているという命が、「死」の覚悟がうっすらと見える。

「選ばれし神の子」という役割

 中邑真輔は京都府の郊外で1980年に生まれた。小さい頃から絵を描くのが好きだった、という中邑は姉2人の後に生まれた末っ子ということもあり、子供の頃はずいぶんと泣き虫だったという。ジャッキー・チェンが好きで、強さに憧れてプロレスに夢中になった。高校時代からレスリングを学び、上京し青山学院大学ではレスリング部の主将と、並行して美術部にも所属した。そして大学4年の時に新日本プロレスのテストに合格し、卒業後に新弟子として入門。棚橋弘至からは3年後輩にあたる。

 そして入門からわずか4ヶ月、2002年8月に中邑真輔は日本武道館で安田忠夫を相手にプロレスラーとしてデビューした。同期の誰よりも早く、しかも会場は武道館という破格の扱いだった。当時は新日本プロレスが格闘技ブームの大波に揺れていた時期で、オーナーのアントニオ猪木がPRIDEやK-1といった格闘技に関わったことから選手も格闘技戦にたびたび駆り出された。大晦日には地上波のテレビ局が競って格闘技の試合を生中継し、前年の2001年には新日本プロレスの永田裕志がその名も「INOKI BOM-BA-YE」とアントニオ猪木の名を冠したイベントでミルコ・クロコップと戦って敗れていた。そんな時代である。

 中邑は学生時代から和術慧舟會という総合格闘技の道場に通っていて格闘技の心得があった。同期の中で体力的には決してトップではなかった、という中邑だが、その彼の経歴は時代に求められ、本人の意図とは別の次元で会社は彼を「選ばれし神の子」として売り出した。破格のデビュー戦後も、新日本プロレスの若手が経験するいわゆる「ヤングライオン」としての生活、つまり寮に住み、道場で練習に明け暮れ、炊事・掃除・洗濯をこなし、先輩の付き人として巡業に出るといった生活を彼は許されず、そのまま当時新日本プロレスがロサンゼルスに所有していたLA道場に送り込まれたのだ。

 LA道場で時にはアントニオ猪木とスパーリングをしながら、地元にある格闘技のジムに出稽古に行っては中邑は自身を鍛えていた。日本と隔離された環境で、ただひたすら強くなることしか中邑に残された選択肢はなく、その年の年末に中邑は呼び戻されて大晦日には格闘技の試合に出場する。かと思えば新年早々の1・4東京ドーム大会では、プロレスラーとして試合に出場し初勝利を挙げている。格闘技戦と新日本プロレスでの試合、日本とアメリカ、その双方を行ったり来たりしながら中邑は時代の寵児となり、2003年12月にはデビューわずか1年4ヶ月で新日本プロレスの最高峰のベルト、IWGPヘビー級王座を奪取した。デビュー1年4ヶ月、さらに23歳10ヶ月の若さでの戴冠という記録は共に今もって破られていない。

 確かに中邑は時代の寵児ではあったが、同時に時代に翻弄されていた。1990年代後半からの総合格闘技ブームによってプロレスファンが格闘技に奪われたことは事実だが、それによって新日本プロレス自らが格闘技に近づいていったことでさらに状況は悪化した。武藤敬司ら格闘技路線に背を向けたレスラーは新日本を退団し、たいした準備をする時間も与えられぬまま格闘技戦に乗り込んだ新日本の選手も多くは結果を残せずに悔しい思いをした。そんな中で中邑はひとり、気を吐き続けたが、それほどまでに命を賭けて総合のリングに挑み、そのダメージも癒えぬまま顔を腫らしながらプロレスのリングに戻ってくる中邑に、ファンはあまり応えられずにいた。

 その頃中邑と立ち話をする機会があり、彼が「わかってるんですよ、僕もプロレスファンだったから。プロレスファンはこういうぽっと出の、会社に推されてる選手って応援しないですからね。やっぱりたたき上げのヤングライオンからやった選手じゃないとダメなんですよね」と淡々と語っていたことをよく覚えている。彼は自分が会社に熱烈に推されていることをよく理解していたし、それに応えようと必死で努力していたし、そしてその努力の結果があまりファンに好まれないこともわかっていた。

 ただ今になって当時のことを「可哀相だった」と評されることも中邑は好まない。あの頃は大変そうだったよね、今はプロレスが楽しいでしょう? と言われるたびに、「あの頃も楽しかったですよ」と中邑は言い返す。デビュー間もない選手が新日本プロレスを背負わされて、と言えば、「背負わされた、という部分もあるだろうし、自分から背負い込んだという部分もあります」と彼は言い切る。

「だって自分には何もなかったので。捨てるものすら。失うものもないっていう状況で、そういう役割というものはチャンスでしかなかったですね。そこに死にもの狂いでしがみついていって、結果というものを僕は出していったと思っているので。だからこその今があるっていうのはあります」

(イラスト:澁谷玲子

次回『中邑真輔が振り払ったアントニオ猪木と「ストロングスタイルの呪い」』は5月5日更新予定。

いま、プロレスが面白い! 5月6日発売!!

この連載について

プロレスという生き方

三田佐代子

能力や技術だけでなく、己の肉体と肉体、そして人生をぶつけあうのがプロレス。プロレスは幾度かの困難な時期を乗り越えて、いま新たな黄金時代を迎えています。馬場・猪木から時を経て、現在のプロレスラーは何を志し、何と戦っているのでしょうか。長...もっと読む

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oga_maki @345m 三田さんの↓の記事をFBでシェアしたら、プロレス観たことない友達が興味を持ち、G1決勝戦@両国を一緒に観戦しました。ケガで凹んでいた気持ちが吹き飛ぶくらい面白かった、また行きたい!と言ってくれました。嬉しかったです! https://t.co/obLKWtziHM 3年弱前 replyretweetfavorite

jawanosaka_89 気張りますわー。 明日も明後日もー。 約3年前 replyretweetfavorite

consaba #ss954 #radiko 約3年前 replyretweetfavorite

shimarocks こないだもツイットしたきがするけど、この記事とてもいい。新日ファンならなおさらじゃないだろうか。 約3年前 replyretweetfavorite