笑いのカイブツ

世界一ダサく童貞を捨てた27歳—原子爆弾の恋・中編

物語は冒頭に巻き戻ります。ハガキ職人も辞め、東京から戻り、童貞喪失に失敗し、自暴自棄になっていたツチヤタカユキさん。そんなツチヤさんが出くわしたのは、金髪でピアスだらけの“アナタ”でした。
他を圧倒する量と質、そして「人間関係不得意」で知られる伝説のハガキ職人・ツチヤタカユキさん、二七歳、無職。その孤独にして熱狂的な笑いへの道ゆきが、いま紐解かれます。

初めて行ったアナタのアパート。
それは、僕が初めて入った女の子の部屋だった。

エヴァンゲリオンの、綾波レイの部屋みたいに生活感がなくて、必要最低限の物以外は、何も置いてなかった。


そこでしたキスは、僕が27 歳にして、やっとできた、ファーストキスだった。

アナタの舌が口の中に入ってきて、舌にしてあるピアスが、たまにベロに当たった。
舌のピアスがベロに当たるたびに、まったく味のないアメを舐めているみたいな感覚になった。

アナタの顔がこんなにも、近くにある。

僕はアナタの眼球の中でだけ、生きることができる。

その中にずっと、うつっていたかった。


アナタの家からの帰り道。

いつも一人になった瞬間から、アナタと出会う前の自分に戻る。
アナタの視界から消えた瞬間、僕は死体と同じになる。

人生のすべてを諦めた瞬間に、世界中から色が消えてなくなった。


夕方に目が覚める。
ああ、また今日もこの灰色の世界に放り出された。

スーパーで飯を買うために、外を歩く。

灰色の街。

灰色の道。

灰色の人々。

息ができない。息ができない。

時だけが流れて、お笑いの仕事は一つも増えはしない。
ネタ帳の冊数だけがむなしく、増え続け積み上がっていく。
すべての努力が無駄だというのなら、書けなくなってしまえばいい。

「そうか、分かった。ええわ、やめたるわ。
 もう書かれへんくなったらええねん、こんな右手なくなったらええねん」

道端の電柱を何度も何度も殴った。
皮膚が完全にめくれ上がった右手から、血が滴り落ちる。
どす黒い鮮血を地面に向けて落下させながら、僕はアナタの家に行った。

「大丈夫? 何かあったん?」

「何が?」

「様子がいつもと違うから」

アナタの視線は下に降りて行き、その視線は、僕の右手にぶつかる。

「何があったん?」

「ちょっとケガしただけやで? ええねん。こんなん放っておけば治るし」

こんな姿で会いに行けば、アナタが心配することさえ、当時の僕には考えられなかった。

アナタはすぐに、手当てを始めた。
右手を消毒して、包帯で巻いてくれた。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」アナタはいつしか、その言葉を繰り返すようになった。

「何一つ、大丈夫ちゃうやん」

そのまま、僕はアナタの部屋の床に、ぶっ倒れた。

「もうお笑い、やめたらええよ」

アナタは、倒れた僕に、そう言った。

「コンビニ店員やってても、好き」と、アナタは続けた。

僕にはすがるものが、笑いとアナタしかない。
笑いからは、総スカンをくらっているから、もうアナタしかいない。

「お笑いやめるって考えたら、なんか死ぬみたいな感じやわ」

その時、窓越しに見える青空さえ、僕には灰色に見えていた。
アナタがその灰色の世界を、いつも、クレヨンでぬりつぶしてくれる。

「一生懸命生きてるやん?
 本気でやってるやん?
 何もかも全部を捧げてるやん?
 だから、私はどんな金持ちよりも、どんな売れてる人よりも、どんな評価されてる人よりも、キミこそが、本物やと思うねん」

アナタは自分の額を、僕の額にくっつけて、言った。

「キミの絶望、全部吸い取ってあげる」

僕の目の前に広がる灰色の世界が、アナタのクレヨンで塗り潰されていく。

どこにも行けなかった、翼が折れた飛べない鳥。
アナタが唯一、僕の居場所だった。


27歳で童貞を捨てた。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

出版社からの書籍化希望が殺到した青春私小説の傑作。cakesの連載を大幅に加筆し、ついに書籍化!

笑いのカイブツ

ツチヤ タカユキ
文藝春秋
2017-02-16

この連載について

初回を読む
笑いのカイブツ

ツチヤタカユキ

他を圧倒する量と質、そして「人間関係不得意」で知られる伝説のハガキ職人・ツチヤタカユキさん、二七歳、童貞、無職。その孤独にして熱狂的な笑いへの道ゆきが、いま紐解かれます。人間であることをはみ出してしまった「カイブツ」はどこへ行くのでし...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

haruukonjk |ツチヤタカユキ なんだろう、読み終わったらいつも鼓動がはやくなってる。 https://t.co/a2xxhzVV2J 3年以上前 replyretweetfavorite

oimoyasann |ツチヤタカユキ ツチヤさんの中での「アナタ」の存在は大きな物だったのだろう。 https://t.co/iggwwUwrdn 3年以上前 replyretweetfavorite