「誰でも出たい」のがテレビなのか
ワイドショーのコメンテーターをやりませんか、とのメールが来たので「やりません」とお断りしたのだけれど、断った後で依頼書をよく読んだら「複数名の方へ打診中ですので、決定のご連絡ではございません」とある。「原稿を書いて欲しいと思っていますが複数名の方に依頼中なのでもしかしたらお書きいただかなくても大丈夫になるかもしれませんがどうでしょう」との依頼が来たら媒体名を晒すだろうが、こうしてテレビ局が上から釣り糸を垂らしてくる感じを前にして「まぁ仕方ないなぁ」と許している自分がいる。こちらから頼み込んだわけでもないのに「まだ色めき立つんじゃないよ」との通告、なぜこの無礼を許容するのかと自問するのだが、いまいちキチンとした答えが出ない。
自身もワイドショーのコメンテーターとしていくつかの番組に出演してきた中野雅至『テレビコメンテーター』(中公新書ラクレ)を開くと、「もし『テレビに出ませんか?』と耳元でささやかれたとしたら、誰でも反射的に『はい、出ます』と言ってしまうのが人情というものではないでしょうか。こうしてコメンテーターの椅子取りゲーム競争は一層激しさを増していきます」とある。思わず反射的に「人情」という言葉を辞書で調べてしまったが、誰だって目立ちたい、その最高峰がテレビだよね、と言い切る清々しさを前に、ついつい苦虫を噛み潰したかのような顔で書籍を睨みつけてしまう。
「皆さんの“敷居を下げた”」
ふと、尾木ママのことを思う。気づいたらああいう感じになっていたけれど、本来ああいう感じではなかったことも、うっすら覚えている。尾木ママは、テレビにキャラクターを付与されたのか、それとも積極的にキャラクターを獲得しにいったのかを、今さら確認したくなった。芸能ニュースや社会時事に対して直情的な物言いを重ねてくれる有名人の存在は、盗人猛々しいコピペ記事を量産するネット媒体に重宝されているようだが、その素材提供を繰り返しているのがデヴィ夫人や尾木ママである。
尾木直樹が「尾木ママになった」(と、自分で書いている)のは、2009年末の『さんま・福澤のホンマでっか!?ニュース』(のちの『ホンマでっか!?TV』)でのこと。教育評論家としてニュース番組に出るのとは異なる話法が求められていることを察知した尾木は、収録前に家族を相手にバラエティ的な話し方を練習したという。日頃から女性的なしゃべり方だったが、そのしゃべり方を明石家さんまが面白がり、「ママー」との掛け声に「なあに〜?」などと返してみたところ、番組側が喜び、その口調がたちまち茶の間に浸透していく(『尾木ママの黙ってられない!』)。尾木ママは、この本のなかで明確に記している。バラエティ番組やブログを通じて「『教育評論家・尾木直樹』から『尾木ママ』へ、皆さんの“敷居を下げた”」と。敷居、あまり好きな言葉ではない。
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