翻訳者が裸を見られたような気持ちにさせられた、伝説の編集者
郡司 越前さんの『翻訳百景』、読ませていただきました。別に秘密にしているわけではないと思うのですが、「翻訳者が普段、何を考えているのか」とか「どういうことを思いながら翻訳をしているのか」といった翻訳者の手の内をかなり赤裸々に書かれているので、読んでいて「こんなにばらしていいんですか!?」という気持ちになりましたね(笑)。僕もずいぶん長い間、翻訳編集をやりましたけども「ああ、そんな背景があるのか」と改めて思う部分も多々ありましたし、訳文の比較なんかも、とても勉強になる内容でした。
越前 今回は「百景」というタイトル通り、あらゆる角度から、いろんな人の興味のアンテナに引っ掛かる書き方をしたつもりなんです。だから読んでくださった方の感想を聞いていると、何章がいちばん良かったかは、人によってバラバラなんですね。いま翻訳を勉強している方なら1章や3章、『ダ・ヴィンチ・コード』のファンの方ならダン・ブラウン秘話が書かれた2章、読書会やイベントに興味がある方なら4章というふうに分かれていて。郡司さんはいかがでしたか?
郡司 僕はやっぱり原稿のやり取りやゲラ(校正刷り。著者の原稿を印刷所で打ち出したもので、これに著者や校閲者が赤字を入れる作業を二三回繰り返し、校了する)が出てきた1章ですね。編集者がどういう鉛筆を入れて、それを翻訳者がどういうふうに拾うかっていうプロセスが証拠として晒け出されるなんてそうそう無いことだと思うので。しかも他社の編集者のものまで掲載されているとなると、より珍しい。
越前 今回は角川書店のTさんのものと、東京創元社にいらしたМさんのものを1つずつ載せました。
KADOKAWA編集者・T氏によるゲラへの書き込みの例
越前 『翻訳百景』は東京創元社・前社長の戸川さんにも献本したのですが、そのお返事で「Mくんのこれまでやって来た仕事を何らかの形で世に残していく必要があると以前から思っていたので、とてもありがたい」と仰ってくださって、嬉しかったです。
郡司 僕も存じ上げている方なのですが、Мさんってゲラが大好きなことで有名な編集者なんですよね。「ゲラフェチ」って呼ばれていて、その名のとおりいつでもゲラを持っている。
越前 僕が『翻訳百景』に載せたのは3作目のときのゲラなんですが、デビュー作のときなんて、この倍は入っていましたからね。
郡司 別の翻訳者の方にもМさんのゲラを見せてもらったことがあるんですが、その鉛筆の入り方たるや、「翻訳者の方、怒らないかな」というくらいの量でした。でも、自分の思いを持ってしっかり読み込んでいるので、すべてにおいて丁寧に書き込まれているんですよ。「さすが、ただのゲラフェチじゃないな」と思いました(笑)。
越前 もっとすごいのはね、鉛筆書きのひとつひとつに修正候補を書いているんですが、そこに書かれている漢字のとじ開きが、全部、僕の表記と合わせてあるんです。つまり、彼は僕の表記を全部覚えているんですよ。これ、僕だけじゃなくて他の翻訳者も同じことを言いますから、Мさんは翻訳者一人ひとりの表記を、すべて覚えているということです。
郡司 しかも当時はまだPCで検索って時代じゃないですからね。
越前 そう、紙だけでそれをすべて覚えていて。それってもう、僕ら翻訳者としては裸を見られてしまったような感じなんですよね。すごい人でしたねえ、あの人。
直す?それとも直さない? 翻訳者としての判断とは
郡司 ネットができてからの翻訳の仕事と、できる前の仕事ってやり方が全然違いますよね。昔は著者に質問があるときって、翻訳者の方に質問表をリストで出していただいて、それを手紙で出していたんですよ。
越前 僕が仕事を始めた時はすでにメールの時代になっていましたが、昔は手紙だったという話は、聞いたことがありますね。
郡司 手紙だとね、早くてひと月、遅いと半年くらい返事が返ってこなくて、その分だけ作業が止まるんですよ……。あとネットが無いということは検索も出来ないから、辞書に載っていないようなこと、例えばアメリカでリアルタイムに流れているテレビ番組やCMの内容みたいなことを調べようと思うと、ものすごい苦労がありましたよ。今は調べればパッと出てきますからね。ネットが出始めた時代もまだあんまり情報が充実してなかったから、検索して一発で当たったら「すごい!」って思ってましたけど(笑)。
越前 そういうのって作品の中にも反映されますからね。『ダ・ヴィンチ・コード』で言うと、原作では図書館に行って調べ物をしている主人公たちが「検索に15分ぐらい掛かるのでお茶でもどうですか」って言われてお茶飲んでるシーンが、その後公開された映画では、バスの中でスマホを使ってちゃちゃっと調べるように変わっていたり。
郡司 やっぱりそこは時代にあわせて変えますよね。
越前 『インフェルノ』に至っては、誰でも手もとで調べものが出来る時代ですから、設定から変わっていますよね。主人公たちが何か調べていても「もう、見つかっちゃうよ」とか、そんな設定になっていたりするのを見ると、書く側も本当に大変なんだろうなと思います。
郡司 ダン・ブラウン氏自身が、ペダンティックにいろんなことを作品に入れる方だから、生半可なことを書くと、すぐにみんな調べちゃうじゃないですか。で、「嘘をつけ、そんな場所にはない!」とか言われちゃったり。
越前 だから、僕も最初の頃は細かい部分まで調べたりしていたんですけど、最近は逆に、「もうフィクションだから」って開き直っているところがあるかもしれない。細かいことやちょっとした誤解なら直しますけど、実際に現地まで行って取材したはずなのに、まだ1階しかない建物の2階部分で話が展開していたりすると、「これは分かり切ったうえで作り物として書いているんだから、そういうのを直したってしょうがない」と思うようになってきて。
郡司 これは別にダン・ブラウン氏に限ったことじゃなくて。海外のエンターテイメントってわりとその辺りの校閲がゆるいんですよね。
越前 ゆるいですね。校閲も校正も、ものすごくゆるい。曜日の一つや二つ、平気で飛ばしますからね。火曜日が2日続くとか(笑)。
郡司 辻褄の合わないことも多かったりするから、僕も最初の頃「自分がどこかで読み飛ばしてしまったのか、何かを間違っているんだろうか」って悩んだ時期もあったんです。でもそのうち、「これは何か違うぞ」と気がついて。でも、こういった間違いに気づいたとき、翻訳者として直すか直さないかという判断も仕事としてありますよね。それはもちろん、編集者としてもあることなんですが。
越前 ありますね。だからあえて直さない場合も、最近は多いです。いわゆるケアレスミスの類ではなく、作者がそれをあえて狙っているんであれば、直さないという判断をしよう、という考え方ですね。
「歯ごたえを残す」訳し方
越前 ここからは、皆さんからお寄せいただいた質問に答えていきつつ、お話していきたいと思います。まず1つめは、「海外作品を不特定多数の方が読むものとして訳するときに留意していることは?」という質問ですが……。
これは『翻訳百景』でも少し触れたことなのですが、個人的には訳文をあまり砕きすぎないのが重要かなと考えています。「歯ごたえを残す」というか、読者がその文章を読んだ時に「これ何だかちょっと理解しきれてない気がするから、もうちょっと英語を勉強したいな」って思うくらいが良いんじゃないかなと思っているんですね。例えば『ダ・ヴィンチ・コード』の日本語版タイトルを決める時、『ダ・ヴィンチ・コード』なのか『ダ・ヴィンチの暗号』なのかって話があったんですよ。郡司さんはどっち派でした?
郡司 僕は『ダ・ヴィンチ・コード』派でしたね。担当編集は『ダ・ヴィンチの暗号』で作業を進めていたんですが、翻訳書とはあまり関係のない編集者が、立ち話で「『ダ・ヴィンチの暗号』だとわかりやすすぎるから『ダ・ヴィンチ・コード』のほうがいいんじゃない?」って言っているのを聞いて「確かにそっちの方がいいな」ってはっとしたのはよく覚えています。
越前 あぁ、なるほど。僕は『天使と悪魔』のあとがきで『ダ・ヴィンチの暗号』って堂々と書いちゃってるんですよね。その当時は「コードってその辺の線だと思われないかな?」って一瞬思ったんだけど、でもだんだんその「少しわからないくらいが良い」っていう感覚がわかってきた気がしています。
郡司 この話と同様に、担当でも何でもない人の意見がぽんとポップアップしてきて、「それ良い、いただき!」ってなることってちょくちょくあると思うんですね。
越前 たしかに、翻訳書担当でも何でも無い人のアイデアが活きることって結構あるかもしれない。まぁすべて結果論の話ではあるんだけど(笑)。
郡司 売れたら良いタイトルっていうね(笑)。
越前 でも『ダ・ヴィンチ・コード』はやっぱり『ダ・ヴィンチ・コード』で良かったと思いますよ。『ダ・ヴィンチの暗号』だと似たタイトルの本もたくさんあるし。『ミケランジェロの暗号』なんてノンフィクション本でも映画でも同タイトルの作品がありますからね。良い参考になりました。
郡司 他に何か、留意したり気をつけたりしていることってありますか?
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