バック・トゥ・ザ・ノーフューチャー

2016年まで生き延びた42歳のオッサンであるところの、ボク。1999年、ド底辺のお先真っ暗な二十代のガキであるところの、ボク。どっちもしょうもないけど、なんでだかあの頃が、最強に輝いて思える。夢もない、希望もない、ノーフューチャーなリアルに「最愛のブス」がいただけなのに――
燃え殻 @Pirate_Radio_ さんのいちばん長いつぶやき、最終回です。

「〝小沢(加藤)かおり〟さんが友達リクエストを承認しました」と画面上部に表示される。スマホを持つ左手がじわりと汗ばむ。目の端に、店主がレコードプレーヤーに針を落とすのが見える。ジッポの小気味いい金属音がして、カウンターの隅に座った細身のスーツの男が、煙草に火をつける。店内に音が広がり、煙草の煙がこの部屋の隅々まで行き渡る。この甘い匂いは、きっと国産じゃない。カラコロンとドアが開き、ランドセルをしょった店主の子が飛び込んでくる。細身の男性は大きく吸い込んだ煙を、口をほの字にして気持ちよさそうに吐き出す。鼓動がドクドクと聞こえる。この胸の痛みは、懐かしい。店主の子が、ボクを見つけて満面の笑みで近づいてくる。少年、キミもいつかはわかるだろうか、オジサンのこの焦燥と希望と絶望が。スマホに視線を戻す。彼女からそれ以外の反応はない。短いため息を吐く。ぬるいコーヒーを一気に飲み干した。

 おしぼりで手をふくと、フェイスブックを閉じて、あてもなくLINEを開く。

 大竹しのぶみたいになりたいと言っていた女の子から、ここ数日、毎日LINEがきていた。いつも夕暮れどきの写真が1枚、メッセージはなしという内容だった。何気ない、ただの空や街の写真だった。
 昨日送られてきた橙色の雲を既読にした瞬間、LINE電話が鳴った。

「もしもし」ボクはフェイスブックの誤爆事件から逃れるように電話に出た。
「もしもし、わかる?」電話越しに駅の雑踏の音が聞こえてくる。
「わかるよ」
「わたしもね、わたしなりにね、考えたんだ。わたしの〝ナポリタン〟」
「え?」
「もう、わたし、27なの。5才もサバよんじゃった。ごめんね」
 ボクは彼女の告白を黙って聞いていた。
「わたしのお母さんは良い人じゃないけど、一人でわたしたち兄妹を育ててくれて。苦労ばっかりかけたから」
「うん」
「わたしね、わたしはね、やっぱり女優さんになりたいんじゃない。わたしはね、いいお母さんになりたい。へん?」
「へんじゃない」
「ありがとう」彼女の声が、後ろに聞こえる電車の音にかき消されそうだった。
「ごめん」思わず口からこぼれた。
「空の写真、ごめんね。毎日送っちゃって。同じ時間に送ってたの。会えなくても同じ空の下にいるよって伝えたかった。うまくなくて、ごめんね」
「いや、ごめんじゃない」
「あと、わたしね〝サイトウ チヒロ〟っていうの」
 彼女を死ぬまで抱きしめる情熱がないことを、せめて悟られまいとボクは口をつぐんだ。
「さよなら」
 どこかの駅構内のアナウンスが聞こえた。そしてすぐに、回線は切れた。


 喫茶店の店主の子が、フロアを駆け回っている。少年は、顔見知りのボクの膝の上に乗ってきた。「なんで悲しいの?」変なシールをボクに貼り付けながら尋ねる。
「悲しくないよ、考えごと」彼のほっぺにシールを返した。

 店主は、少年をボクの膝から回収しながら「コーヒーおかわりいる?」と聞いた。
「いいわ。行くね」500円玉をテーブルに置いて、カラコロンと店を出た。

 歩きながらツイッターを開く。タイムラインを眺める。

「新宿のガードレールに座りながら空を見てる」というツイートが流れ、それを受けた徳島のコーヒーショップのオーナーが「今日は星がきれいらしいですよ」とリプライを送っていた。埼玉で趣味がセックスの女の子が「ファミレスの窓から見た夕日がきれい」とつぶやいた。千葉のサラリーマンはそのつぶやきに、「窓をあけて空を眺めている」とつぶやいた。
 スマホを開いただけで会ったこともない人たちの生存確認ができる時代。知らない方がいいことも親指一つで知れてしまう時代にボクは生きている。

 ボヤいている人がいる。はしゃいでいる人、怒鳴っている人、甘えている人もいる。みんな広い世界を覗いて、片手に収まる窓を開けて満足しようとしている。
 ボクはときどき、急にその場所が息苦しくなる。見えない窮屈なルールを感じる。そして、決して自分と分かち合うことのできない並行世界に目を伏せたりする。
 それでも、みんな「ここにワタシはいる」と瞬いているのが見える。一等星から六等星まで、その光の強さはそれぞれ違うけど、もっと早く、もっと深く、本当は、みんなどこかに繋がりたいのだろう。


 円山町の坂の途中、神泉に近い場所に安さだけが取り柄のラブホテルがある。そこはかつてボクの唯一の安全地帯だった。

 あの部屋の中で、彼女と一緒に過ごしていた時は、世界にふたりぼっちだった。

 一度、大雨の夜に、どうしようもない不安にかられて、誰もいなくなったオフィスから彼女に電話をかけた。「不安でさ、この仕事をずっとやっていける気がしない、どうしよう」まくしたてるボクに彼女は「うんうん」と繰り返し話を聞いてくれた。そしてどんな愚痴でも、最後に「キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」と言ってくれた。自分より好きになった人のなんの根拠もない言葉ひとつで、やり過ごせた夜が確かにあった。


 スマホが何度も短く鳴っていた。
 目を疑った。
 彼女が、〝小沢(加藤)かおり〟が、ボクのページにタダ事ではない頻度で反応している。
「お知らせ」を開くと、どんどんと「ひどいね」が刻印されていく。

 有名人とボクが肩を組んだ写真、恋するフォーチューンクッキーを知人のIT企業社長らと踊ってる動画、後輩たちがサプライズで祝ってくれたシャンパンタワーの写真。そのすべてにどんどん「ひどいね」が刻印されていった。彼女の健在ぶりに口元が緩む。そして自分のページの間抜けさ加減を、改めて思い知った。
 一つだけ「いいね!」とコメントが押されていた。それは、だれも「いいね!」を付けていない最近の仕事場の光景の一枚だった。EXILEの等身大パネルの中で青白い顔したボクが横に並んで一人直立不動で立ってる写真だった。
 コメント欄には「おもしろおじさんだ」と書かれていた。

 ボクは何度か返事を打ちかけたけど、結局送信ボタンは、押せなかった。六本木駅の改札に向かっている。行くあてもないのに、恵比寿で乗り換えて渋谷に向かいたい気分だった。

 夕方の六本木駅に向かう階段は行き交う人の多さで、なかなか前に進まない。海外の観光客が立ち止まって何組も写真を撮っていて、流れはさらに乱れていた。


 こうしてる間にも、刻々と確定していく過去に仕上がっていく今日。達観した彼女の今日も、まだアップダウンを繰り返してるボクの今日も、先に続いているのは未来であって、過去じゃない。1999年に滅亡しなかった地球でボクも彼女もまだしぶとく生きていた。
「大人の階段」は上にしか登れない。その踊り場でぼんやりとばかりしていたボクも、手すりの間から下を覗いたら、ずいぶん高い場所まできていて、下の方は霞んで見えなかった。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で使われたデロリアンの生産を300台限定で始めるというニュースがヤフーニュースのトップで流れていた。
 ボクが今、デロリアンに乗ったら〝1999.8.29〟そしてAM6:30と打ち込んでアクセルを踏む。行き先は、1999年の渋谷。あの円山町の坂の途中に、火を噴いたデロリアンを乗り捨てるだろう。


 あの真っ暗な部屋に入って、早朝なのか昼なのか、ここがどこなのか分からなくなるような錯覚を噛みしめる。レベッカの『フレンズ』が小さな音で流れている。
 身支度をしながらドライヤーをかける彼女。着替え終えていつものようにベッドにダイブするボク。彼女は「あ、待って待って」と、トイレに行く。

 あの瞬間、ボクは彼女にどうしても聞きたいことがあった。フェイスブックによれば彼女はこの時すでに、今の旦那と出会っていたはずだ。最後の夜の彼女の涙の意味をどうしても聞いてみたかった。次の日、リップクリームを買いに行ったデートで「今度、CD持ってくるね」が最後になったわけを知りたかった。

 ベッドに突っ伏したままサイドテーブルを見やると、彼女の手帳からカードがはみ出ていた。ボクは気になって、自分を抑えることができなかった。そのカードをスッと抜いてしまった。
 それは「小沢さんへ」と書かれた、見知らぬ宛名のバースデーカードだった。ただ差出人の彼女の名前は、ボクの知ってる「かおり」じゃなくて「香帆」と書かれていた。トイレを流す音が聞こえた。焦りながら手帳に戻そうとするが、うまく入らず、手帳ごとサイドテーブルから落としてしまった。慌てて、そのカードだけを、彼女のコートの内ポケットに突っ込んだ。


 六本木駅のホームに日比谷線が激しいブレーキ音と共に滑り込んできた。白線ギリギリにいた、サラリーマンがたじろぐ。車輪が軋む音と、あのホテルで聴いた雨風の打ちつける音がシンクロし、心臓がビートを刻み始めた。日比谷線が目の前を通り過ぎて風圧を感じて半歩下がった。

 ボクが、底の底に押し込めていた記憶のフタが、風圧で吹き飛んでいった。


 あの日、たしかに「香帆」という文字をボクは目にしていた。

「あ、あとわたしね〝サイトウ チヒロ〟っていうの」という別れ際のあの娘の言葉が、リフレインしてくる。
 彼女も、後に旦那になる小沢という男に「わたし、本当はひらがなで〝かおり〟っていうんだ」と涙したんだろうか。そして彼は、彼女を死ぬまで抱きしめる情熱でそれに応えたのだろうか。


 六本木駅のホームで大勢のサラリーマンと外国人、若いカップルたちが交錯していた。


「キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」どんな電話でも最後の言葉は、それだった。彼女は学歴もない、技術もない、ただの使いっぱしりで、社会の数にもカウントされてなかったボクを承認してくれた人だった。1999年のあの時、彼女に毎日をフォローされ、生きることを承認されることで、ボクは生きがいを感じることができたんだ。いや今日まで、彼女からもらったその生きがいで、ボクは頑張っても微動だにしない日常を、なんとか踏ん張ってこれた。

 そしてあの年、ボクと加藤かおりは、別れたんだ。正確にはこっぴどくフラれたんだ。

 きっとフェイスブックで再び繋がったのは、もう一度、彼女に向き合うためだったのかもしれない。


 ホームのベンチに座る。ボクは、フェイスブックを開く。そして彼女に、メッセージを送ろうとした瞬間「今日は、〝小沢(加藤)かおり〟さんのお誕生日です!」という表示が飛び込んできた。

 マークザッカーバーグという男は、本当に空気が読めないヤツだ。ボクはスマホを後ろポケットに入れて、とりあえず次の電車に乗ることにした。
 白線の内側に立つ、遠くからライトが近づいてくる。けたたましい音が近づいてくる。あの風の強かったラブホテルの、あの朝の音とその音はどこまでもリンクした。

 身支度をしながらドライヤーをかける彼女。着替え終えていつものようにベッドにダイブするボク。彼女は「あ、待って待って」と、いつも通りトイレに行く。もうすぐチェックアウトの時間だ。

 ボクは彼女を待ちながら今日一日の出来事を振り返っていた。物語の最終回っていつもどんなだっけ?

 いつの間にかトイレから出てきた彼女から「変態、行くよ」と声がかかった。その瞬間、背後からガバッと彼女が覆いかぶさってきた。ラッセンのジグソーパズルが飾ってあるのが見える。空調はいつも通り効き過ぎていた。

 そして彼女は、いつものように言う。

「ね、ふたりで、海行きたいね」

 ボクは、まっすぐ前を向いたまま、彼女に言う。

「ありがとう。さよなら」

 その時、フロントからチェックアウトの時間を告げる電話が鳴るんだ。


第一部完

デザイン:熊谷菜生 写真:額賀順子

この連載について

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ボクたちはみんな大人になれなかった

燃え殻

2016年まで生き延びた42歳のオッサンであるところの、ボク。1999年、ド底辺のお先真っ暗な二十代のガキであるところの、ボク。どっちもしょうもないけど、なんでだかあの頃が、最強に輝いて思える。夢もない、希望もない、ノーフューチャーな...もっと読む

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angelmikazuki |燃え殻 @Pirate_Radio_ |ボクたちはみんな大人になれなかった 達観した彼女の今日も、まだアップダウンを繰り返してるボクの今日も、先に続いているのは未来であって、過去じゃない。 https://t.co/e3IKVtYVq6 9ヶ月前 replyretweetfavorite

Littelnello 何度も読んでしまう。 11ヶ月前 replyretweetfavorite

LAHEJA https://t.co/f1uo4EWlWu 約1年前 replyretweetfavorite

7kosuke27 雨の音しかない田舎で読むと都会で読むのとはまた違っていい。 約1年前 replyretweetfavorite