「こなれ感」について
「会いに行けるアイドル」集団を根本的に理解しない人は、すぐに「どうせ背後のオッサンたちの思うがままに操られているだけ」とか言う。それが私だ。一方、根本から理解している人は「彼女たちの頑張りはそういう運営側の狙いを飛び越えていく」とか言う。おそらく実際は「オッサンたちの思うがまま」と「彼女たちの頑張り」が混じり合って高まっていくのだろうけれど、どちらか一色にしないと気が済まない両極はなかなか打ち解け合おうとしないし、実のところ、「オッサンたちの思うがままじゃねぇし!」や「彼女たちの頑張りだけを信じるのって無理あるだろ!」と、互いのスタンスを突つく事が何より持論の補強になったりするので、その溝の深さや相手との距離は保たれる。
女性ファッション誌が連呼するフレーズはいつだって不可解なものが多いが、このところ散見されるのが「こなれ感」という言葉。熟れ、つまり、なにかと無理せず自然に着こなしている様をそう形容するようなのだが、常識的に考えて、「こうすると、こなれますよ」という指示自体が、無理せず自然に着こなすという行為を遠ざけている気がしてならない。最近、昼のバラエティのテッパン企画であるコーディネート対決を見ることが多いのだが、そこに出てくる女性誌のモデルたちの多くは「逆にこういう色づかいもありだと思う」という、全てを許してしまう「逆に」を頻繁に使う。それと同じくらいの頻度で、「こなれている感じ」というフレーズも用いられる。個性を獲得するのでなく、「うんうん、無理してないよね」に行き着くことが褒めそやされるのって、なかなか把握しにくいベクトルである。
「正直、残酷だなって思いました」
さて、1年間この連載を担当してくださった編集者が、今週いっぱいで会社を去ることになった。1年前に担当を引き継ぐ際、「乃木坂46が好きなんです」と矢継ぎ早に言われてすっかり無視したのを思い出し、はなむけの意味をこめて乃木坂46について考えてみようと思い立った……というわけではない。「退社します」メールから始まったやりとりが、最終的に「乃木坂46のメンバーの中で一番好きなのは橋本奈々未さんなのですが、その橋本さんと並ぶくらい好きだった深川麻衣さんがこのたび卒業するので、そんなタイミングで会社をやめることになって嬉しい気持ちでいっぱいです」という極めて一方的な通告に至ったからである。
それなりに把握しているつもりだが、イチから勉強しようと、彼女たちの足跡を追った著書『乃木坂46物語』を読み、ドキュメンタリー映画『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』を見た。その結果、彼にぶつけてみようと頭ん中に浮上したキーワードが「背後のオッサンたち」と「こなれ感」なのだった。自分以外の誰かが決めたことに屈せずに耐え忍ぶことは確かに努力だが、万事を査定されながら、麻痺せずにこなしていくタフネスがこの世界を生きる最低条件だとするような運営方法って、やっぱり頷けないものだな、と思う。そんなのファンならばとっくの昔の咀嚼し終えたことに違いないが、結成直後から「メンバーお見立て会」を開き、ファンに「メンバーの中から、好きなメンバーをひとりだけ見立てて、選んでもらう」(『乃木坂46物語』)という会の存在をじっくり聞かされると、そのイベント内容を知らされたメンバーのコメント「そんなふうにわかりやすく順番をつけられるなんて思ってもみなかったから、正直、残酷だなって思いました」(能條愛未)に頷いてしまう。
橋本奈々未の「こなれないぞ感」
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